- Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103982036
作品紹介・あらすじ
死のぎりぎりの瀬戸際で「生」に目覚めた片目の捨て猫。その存在の輝きが見事に結晶した「生きる歓び」。故・田中小実昌との懐かしい交流をもとに、「死者」をめぐる回想と批評の混淆空間を開示する異色の追悼小説「小実昌さんのこと」。生の中の死を見つめ、死の中の生を描く二編。
感想・レビュー・書評
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何か知らないけど前に読んだことがある「小実昌さんのこと」。
なので今回は「生きる歓び」をメインに読んだ。わが家の猫がいなくなってしまった直後なので異様に響く文章があった。次の本は花ちゃんのことが書かれたのを選んでみる予定。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
生きることの非哲学的考察を、
うんうん、ふむふむと読ませてもらった。
でもこれ小説なのか、保坂さんらしいけど。
FVR には IFN がイイんじゃないかな。 -
猫は苦手なので、感情移入できずにたんたんと読んだ。 「人間の思考はもともと「世界」というような抽象じゃなくて目の前にある事態に対処するように発達したからで、純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ。」ここは納得。 『小実昌さんのこと』にある「最近はバスであちこち歩いています」で、今から20年位前の出来事を思い出した。その頃の私の職場であったバスの案内所に田中小実昌氏がひょっこり現れたのでした。後ろには若いすらりとした女性が控えめに待たれていたのを鮮明に憶えています。小実昌氏はつるつるの頭にトレードマークの編み上げ帽子を被っていました。とてもかわいい感じでした。
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保坂の小説には「記憶」や「時間」というものに対する作者の思想?(哲学と言ってしまうことはできない)のようなものが淡々と書かれていて物語性は全くない。この『生きる歓び』という作品も、墓参りに行って子猫を拾って帰ってくるというただそれだけのことしか語られておらず、本書二作目の『小実昌さんのこと』は故田中小実昌と保坂の交流を延々と書いたものだが、本人があとがきで言っているようにエッセイではなくあくまでも小説らしい。
保坂の考える作家というのは言葉に疑問を持つことのできる人間のことで、それ以外は皆ただの物語作家でしかない。いかにも小説的な、「その時、太郎は走っていた。」なんていう物語の書き出しを読むだけで嫌気が差すと彼は言う。保坂の作品の大半には猫が登場するのだけど、というより猫のことばかり書いているようにも思えるのだけれど、猫が何かの象徴であるとかメタファーだとか、時に私たちはそのような読み方をしてしまうのだが、保坂の作品をそのように読むことはとんだ勘違いなのである。彼の作品に描かれる猫というのはそこにいる猫のことであり、猫は猫でしかない。『生きる歓び』とは、拾ってきた子猫の「花ちゃん」は片目で瀕死の状態で、だけど必死に生きようとする前向きな力がどこからかやってきて、そんな子猫を育てていく過程で気付いた「生きる歓び」を描いたものだ。このタイトルがまた陳腐でありきたりな感じがするのだけれど、作者の思考がストレートに突き抜けた好感の持てる内容になっている。「生きることは素晴らしい」などと、単純に謳っているわけではないのである。
“「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」という言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。” -
生きることを綴ったノンフィクション小説。
弱った子猫の話と田中小実昌さんとの話。
あとがきを読むまで、ずーっとエッセイだと思っていた私。
なんでもない日常をつづる作家だと知ってはいたけど、あまりにも日記のようだったのでわかりにくかったです。
読み返したら味が出てきそうだな。って