今の私には、
★一つ分くらいしか、この本が言いたい事を理解できていない気がする。
2001年の橋本治さんの新聞コラムに大共感して、
「この人の考えを知りたい!」と思って読んだ本。
まさに今実感していた、
「所属」や、そこから生まれる「孤独や孤立」。
「個性」といったことに触れられていたのは自分の脳に吸収できた。
「個性」についての考え方に共感できた。
すごく、お友達になっていただきたいと思った。
けれど、
結局なにが言いたかったのか、今の私にははっきりわからないし、
そもそも言うつもりもなかったんだと、
してやられたりな気分である。
自分がいる。
他人がいる。
独りよがりな答えをだしてもだめ。
他人に思考してもらうことばかりしてもだめ。
自分をもち、
臨機応変に、他人と融合し、
思考できる知識をもち、
なおかつ柔軟に、
生きていきましょう。
みたいな。
そんな感じだろうか。
あたりまえじゃん!!
って突っ込みたくなるが、
その当たり前が難しく、だーれも出来て無いじゃんかと、
言っているのかもしれない。
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以下特に共感したところを抜粋
「自分のことを考える」をもっぱらにしていると、人間は孤独になる。あるいは逆に、孤独だと、「自分のことを考える」をもっぱらするようになる。
「個性を伸ばす教育」と言う人の多くは、「個性」というものを誤解している。「個性」とは、そもそも「哀しいもの」で、そんなにいいものではないのである。
だから、以外かもしれないが、「個性的」としか人に言われない人間の目指すものは、「没個性」なのである。
「個性的」と言われるしかない人間は、没個性を目指すしかない。一般的にこれを「丸くなる」と言うが、しかし、これを目指して邪魔をするのがまた、「自分の個性」なのである。「個性的でしかない自分」でい続けるのはいやだが、しかし同時に、「個性的である自分」を捨てられるのもいやなのである。人間は、そういう厄介なものだからしかたがない。
個性を持って生きると、しんどいからである。個性を持たない方が生きやすい――そういうベルトコンベア体制が、日本の社会に出来上がっていたからである。