いい子は家で

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104741021

感想・レビュー・書評

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  • 一言で言うと"超絶"!(◎_◎;) 小説の固定概念を根本からひっくり返す内容。一戸建てに住む父、母、長男、次男の物語3編。1話のぶっ飛び方は凄すぎて付いていけない面多々あり。2話の細部に徹底的に執着する方法論は前に読んだ「私のいない高校」っぽい。とにかく不穏。且つ笑える。

  • 家族とは 親とは ひとつ屋根で暮らすっていうことは どういうことかしら、とぼんやり考えていたときにこの本を読みました。読み手が試されるというか 読み手が母というものを、父というものを 家族というものをどう捉えているかによって感想が変わると思います。
     私は、なんだか落ちこみました・・。
    笙野頼子さんの書く家・母親像と何かしら
    共通するものを感じます。笙野さんはもっと土着的で血が濃いのに対して この本はとても無機質で現代的なのにも関わらず。

  • 母の呪縛である。母の呪縛は母自身にも及ぶ。特殊日本的風景が立ち上がるその叙述は、しかし、淡々として事務的である。営々と続く日常は苦痛以上のもので、退屈が固着している。

  • 私としてはこちらの方が『このあいだ東京でね』よりはまだ良かった。
    奇抜な構成や試みが抑えられていて普通だったから私にはこちらの方が読みやすかった。

    3話収録されているが、どれもどこにでもいそうな日本の家族を観察してみると、という話。

    私はこういう作品よりも島村利正さんや串田孫一さんたちのように自然の美しさや静けさが漂うものや、山田稔さんのように街と人が生きている温かみのある作品の方が好きなので、私のような感覚の人には青木さんは向いていないと思う。

    でも、私が青木さんを苦手に感じるのは、もしかしたら青木さんの文章とか内容云々よりも自分も生きている時間での家族というのが舞台だからかもしれない。
    同じように家族を観察した文章でも、これが明治や大正、または戦後まもなくという私がいない時代だったら好きな作品だと言うかもしれない。もしくは場所が日本ではないどこか別の国だったらいい作品だと言うかもしれない。

  • 仕事もせずに女のところへ遊びに行く孝裕
    専業主婦として家のことを全てこなす母
    定年退職し、毎日テレビにくぎ付けになっている父
    会社を辞めて戻ってきた兄

    他似たような短編

    なんだこの話、というかこの文章は。
    非常に絡みにくい。

    普通の家で起きている出来事なんだけど
    突然現実なのか妄想なのか定かではない領域に入ってしまい困惑する。

    すごいんだろうけど、苦手だ…)^o^(

  • 何かを表現したいから書く。つまり、書くという行為には、何らかの意図がある。

    この本に収録された3篇の小説は、すべて平凡な家庭が舞台である。「他人の不幸は蜜の味」とは昔から言われていることである。同時に、幸福な生活というのもまた語り草になる。だが、その中間、つまり、平凡な生活は…?推して知るべし。だから、平凡な家庭という題材それ自体は、無味乾燥なものだ。

    だが、そうであるなら、なぜつまらない題材を選んだのか。もちろん、何らかの意図があるはずだ。あえて凡庸なものを題材とした挑戦なのかもしれない(もちろん、結果が面白くなる保証はないのだが)。

    そのような実験小説とみてもいいのかもしれない、が、それだけではないと思う。この3篇に共通するのは克明な写実性だ。特に「ふるさと以外のことは知らない」はそれが明確だ。これは、家庭の、家族の、家構えの、家庭生活の、家具調度の、細やかな描写に徹した小説である。モデルは典型的な核家族家庭で、共感(既視感?)を覚えたところも多かった。その意味では面白かったし、不気味でもあった。先に、家庭生活は「凡庸」だと記したが、実は、構成要素を個々に見ていくと、ずいぶんとカラフルなのである。それは、家具ひとつとってみても分かる。例えば、植木鉢は、雑然としたホームセンターから買ってきたもので、それだけを見ると、ずいぶんと個性的だ。それなのに、家庭の中に入り、日用品のひとつとして風景と化してしまったとたんに、凡庸なものになってしまう。いわば、「家庭」がもつ凡庸化の機能である。そんなことの気づけた点では面白かった。

    私は青木淳悟という作家を新聞で知った。そこには、「日本のピンチョン」のような書かれ方がされていた。いままで、ピンチョン氏の作品を通読こそしたことのないものの、面白さの一端はつかんだつもりでいた。日本版ピンチョンならば、もっと読みやすかろうと思って、青木さんの作品を手にしたのだった。ところが、本書は、ピンチョン的なポップさがないように思われた。たぶん、他の作品から読むべきだったのだろう。次は代表作『四十日と四十夜のメルヘン』を読んでみようかな。

  • 幾年か前の雑誌の記事を見て借りたけど、私には合いませんでした。途中で断念。

  • 図書館でわりときれいな本だったのでなんとなく借りてみたら大失敗だった。変な家族の話なのか妄想なのか意味不明。

  • 2010/7/20購入

  • <table style="width:75%;border:0;" border="0"><tr><td style="border:none;" valign="top" align="center"><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104741027/yorimichikan-22/ref=nosim/" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41mpvCjt4hL._SL160_.jpg" alt="いい子は家で" border="0"></a></td><td style="padding:0 0.4em;border:0;" valign="top"><a href="http://blog.fc2.com/goods/4104741027/yorimichikan-22" target="_blank">いい子は家で</a><br />(2007/05)<br />青木 淳悟<br /><br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4104741027/yorimichikan-22/ref=nosim/" target="_blank">商品詳細を見る</a></td></tr></table>
    <blockquote><p><strong>女ともだちのマンションに通う次男。その靴を洗うことに執着する母。仕事をやめ「ひさしぶりに殺し合いをしようぜ」と、ゲームコントローラーを握る兄。父の耳の穴からは得体の知れないものが飛び出して―。いま、最も注目を集める気鋭が拓く、家族小説の新しい地平。 </strong></p></blockquote>
    内容紹介には、「家族小説」とあるが、これはほんとうに家族小説なのだろうか、とはてなマークが飛び散る一冊である。ある家族が描写されているのは確かである。だがそこからは、家族のあたたかさとか家族愛とかいったものは微塵も感じられず、偏執狂的な匂いすら漂ってくるのである。死かもそれがあながち妄想とも言い切れないところに苛立たされたりするのである。この母親は自分だ、と多くの母親がおそらく苛立ちや腹立ち、あるいは空しさと共に思うに違いない。同じように、父親や息子も何かを思うのだろう。人は、真実をいい当てられると腹が立つ、という意味で、腹立たしい一冊でもある。

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著者プロフィール

青木淳悟(あおき・じゅんご)…1979年埼玉県生まれ。早稲田大学第二文学部表現・芸術系専修卒業。2003年、「四十日と四十夜のメルヘン」で第35回新潮新人賞を受賞し小説家デビュー。05年、同作を収めた作品集『四十日と四十夜のメルヘン』で第27回野間文芸新人賞、12年、『私のいない高校』で第25回三島由紀夫賞受賞。ほかの作品に『いい子は家で』『このあいだ東京でね』『男一代之改革』がある。

「2015年 『匿名芸術家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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