リベラリズムへの不満

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105073213

作品紹介・あらすじ

『歴史の終わり』から30年。自由と民主主義への最終回答。リベラリズムが右派のポピュリストや左派の進歩派から激しい攻撃を受け、深刻な脅威にさらされている。だがそれは、この思想が間違った方向に発展した結果であり、本質的な価値に疑いの余地はない。多様な政治的立場を包含する「大きな傘」としてのリベラリズムの真の価値を原点に遡って解き明かし、再生への道を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • リベラリズムの理想は叶えられていない部分もあり、
    そこを左右から攻撃されているのが今。
    攻撃によって分断が進むのだから、とにかく不毛……

    次の大統領選に関する報道を見ていて、アメリカどうなっちゃったんだと思っていたので、右派の行動原理について理解が深まったのはよかった。

    言論の自由を加速させる装置かのように思われたインターネット、SNSが、そうではない方向に進んでいるのが現代の大きな問題。

  • リベラルとは何か、に関する本は様々手にしたが、今日的な右派と左派の対立現実と双方の思想的特質が明瞭に結びつけられており、もやもやしていた分かりにくさが払拭された。
    普遍的真理の尊重ととアイデンティティ政治の確執が、世界の分断に大いに影響を与えている。また、そのベースにメディア、データの氾濫という要素があることも見逃せない。
    こうした複合的な大衆の危機に、バランスの取れた視野であるべき向き合い方を示してくれる名著。

  • 200ページ強の大冊だが、リベラリズムの発展経緯を細かに述べている.新自由主義・ネオリベラリズムの登場による経済格差の顕在化を憂いているが、それ以上の現代のアメリカの状況を危惧していることに驚いた.数多くの著書や文献に目を通して、自説の補強に絶え間ない努力をされている姿勢に感心した.ロシアや中国、ハンガリーなどの権威主義体制も批判しているが、言論の自由の保護が世界的に危ういものになりつつあることへの警告も発している.p125にあった「トランプをはじめとする現代の保守派が彼らが忌み嫌うポストモダニズムの理論を一言でも読んでいることはありえないが..」のフレーズは我が国の自民党の輩にも与えたい語句だ.最後にでてきた「個人の自律性が充実感の源であるとしても、無制限の自由と制約の絶え間ない破壊が人をより充実させることにはならない.時には、制限を受け入れることで充実感が得られることもある.個人として、共同体として中庸を取り戻すことが、リベラリズムそのものの再生、いや、存続の鍵になるのである.」は至言だと感じた.

  • この本の中で筆者は、古典的リベラリズムを擁護し、それを未来に向かって立て直していくための方法について論じている。


    筆者が定義するリベラリズム(古典的リベラリズム)とは、政府の権力に法や憲法により一定の抑制を働かせることで、政府の下にある個人の権利が守られた社会の仕組みを指している。

    この考え方の基礎になる思想や制度は歴史上かなり古くからあるものの、主に17世紀に形成されたものである。

    一方で、20世紀以降の政治の流れの中で、中道左派のことをリベラルと呼んだり、経済の面でも社会制度の面でも政府の役割を最小限にすることを指向する新自由主義(ネオリベラリズム)が登場したりすることで、リベラリズム自体の捉えられ方が複雑になってきている。

    筆者はこれらの動きと古典的リベラリズムを区別し、古典的リベラリズムに立ち返った議論をすることで、リベラリズムをこの混乱から救い出そうとしている。


    現在、リベラリズムは左派、右派の両方からの批判にもさらされている。

    右派からの批判の中心にあるのは、新自由主義である。これは、経済の面では市場の力を重視し、財産権や消費者利益を追求する考え方である。

    筆者は、新自由主義が社会の仕組みを考えるに当たり個人の自律性に基盤を置いていること自体は出発点として誤りではないとしながらも、そこから思想として極端に走り、国家や社会的連帯の果たす役割を過小評価している点が誤りであるとしている。

    一方の左派からの批判は、より複雑な状況を呈している。左派からの批判は、一つには個人の自律性に絶対的な優位性を認める哲学的な考え方と、もう一つには社会的選択の主体として個人だけでなく社会集団単位も認めることでアイデンティティ政治へと繋がる流れの、2つの方向性に分かれている。

    前者は、ジョン・ロールズによって定式化された思想であり、このような考え方からは、個人の自己実現に絶対的な価値を置く考え方が生まれる。しかし、本来の人間は個々人がバラバラに存在しているわけではなく、共同体の中で共有される価値観や規範にも依存しながら生き方を選択しており、ロールズのモデルはそのような事実をあまりにも置き去りにしていると筆者は考えている。

    また後者は、個々の社会集団がそれぞれにアジェンダを設定し権利を主張する、アイデンティティ政治の現状が生まれる背景となったものである。筆者は、アイデンティティ集団を形成すること自体は否定していないが、特定の集団内での共通性を絶対視するあまり、相互の議論が成立しない状態は、リベラリズムの理想とは程遠いと考えている。そして、リベラリズムは特定のアイデンティティ集団に権利を与えるためではなく、すべてのアイデンティティ集団が権利を求めて戦う枠組みとして機能すべきであると考えている。


    このように、さまざまな批判、不満に晒されているリベラリズムであるが、その再興を果たすためには、古典的なリベラリズムが成立する枠組みをもう一度振り返る必要がある。コミュニケーション技術の発展や経済活動のグローバル化など、20世紀以降の現代社会の環境変化を踏まえた上で、筆者はリベラリズムに必要な原則を5つにまとめている。

    それらは、
    ・政府の必要性を認め、リベラルな民主主義が機能する基盤となる政府への信頼を取り戻すこと
    ・権力を最も市民に近いレベルの政府になるべく移譲し、市民の選択を反映すること
    ・言論の自由を守り、政府や特定の大企業などにコミュニケーションに関する権力が集中しないようにすること
    ・文化的集団の権利よりも個人の権利を優先し続けること
    ・一方で人間の自律性は無制限ではないということを理解し、既存の規範やコミュニティの役割も認めること
    である。

    非常にベーシックな内容であるが、これらの原則は、極端な個人主義にも、全体主義にも偏ることなく、多様な個人や社会集団の間でコミュニケーションを図りながら社会のあり方を決めていくということを目指しているように思う。

    本書の最後で筆者は、「中庸」という政治原理が重要であり、リベラリズム存続の鍵になるとも述べている。リベラリズムが政治的熱を鎮静化し、相互の立場を受け入れながら社会を構築していく環境を作るために必要であるということを、筆者は強く感じているということが伝わってくる本であった。

  • アメリカの政治学者フランス・フクヤマによる、古典的リベラリズムを擁護する本。リベラリズムを「人道的な自由主義」と呼び、「法の支配」による自由主義であり「寛容」が基本原則であると主張している。右派による新自由主義に基づく格差の拡大やポピュリズム、左派によるアイデンティティ政治や個人の自律の極端化を批判している。理解の難しい箇所もあるが、勉強になった。

    「新自由主義経済学の欠陥は、財産権や消費者利益を崇拝し、国家の活動や社会的連帯をあらゆる面で軽視したことであった」p67
    「近年、アメリカでは「批判的人種理論」をはじめ、エスニシティ、ジェンダー、性選好などに関する批判理論をめぐって、騒がしい争いが起きている。現代の批判理論家は、じっくりと議論する真面目な知識人であるというよりも、大衆受けを狙った政治主張をしているだけであり、批判理論に対する右翼の批判者(大多数は批判理論について一切読んだことがない)はさらにたちが悪い」p93
    「個人主義は、東アジアや南アジア、中東、サハラ以南のアフリカにおいては、ヨーロッパや北米と同じように根付くことはなかった」p96
    「福祉国家や社会保障の諸制度は19世紀後半から大きく発展し、多くの自由民主主義先進国では、GDPの半分近くを費やすまでになった」p103
    「リベラルな個人主義は西洋文明の偶然の歴史的副産物かもしれないが、いったんそれがもたらす自由に触れれば、さまざまな文化の人々にとって非常に魅力的であることが証明された」p105
    「チェック・アンド・バランスは、独裁的な権力の乱用を防ぐために存在する。中国では憲法上の制約がないため、鄧小平の改革だけでなく、毛沢東の大失敗である大躍進政策と文化大革命も可能になった。チェック・アンド・バランスの欠如は、今日の習近平の独裁中央集権化を促進させている」p110
    「極左は国家主義者ではなく、アナーキストであることが多い」p165

  • リベラリズムへの不満から、社会の分断が進んでおり、民主主義の破壊に向かいつつある。
    そのリベラリズムへの不満について分析されている。個人の自律が行き過ぎた結果、ネオリベラリズムによる富の極端な偏在をもたらし、リベラリズム自体を損なう結果となった。
    多様性を受け入れつつ、富の偏在を是正する政治が求められる。

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著者プロフィール

1952年、アメリカ生まれ。アメリカの政治学者。スタンフォード大学の「民主主義・開発・法の支配研究センター」を運営。ジョンズ・ホプキンズ大学やジョージ・メイソン大学でも教えた。著書『歴史の終わり』(三笠書房、1992年)は世界的なベストセラーとなった。著書に、『「大崩壊」の時代』(早川書房、2000年)、『アメリカの終わり』(講談社、2006年)、『政治の起源』(講談社、2013年)、『政治の衰退』(2018年)、『IDENTITY』(朝日新聞出版、2019年)などがある。

「2022年 『「歴史の終わり」の後で』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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