冬の日誌

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217181

作品紹介・あらすじ

いま語れ、手遅れにならないうちに。肉体と感覚をめぐる、あたたかな回想録。幼いころの大けが。性の目覚め。パリでの貧乏暮らし。妻との出会い。自動車事故。暮らしてきた家々。記憶に残る母の姿と、その突然の死。「人生の冬」にさしかかった著者が、若き日の自分への共感と同情、そしていくぶんの羨望をもって綴る「ある身体の物語」。現代米文学を代表する作家による、率直で心に沁みるメモワール。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりのポール・オースター! 私は彼の本を読んでいるととても幸せな気分になるから不思議(^^♪

    60代になったオースターが半生を回想したカッコいい本で、とりわけ「身体」をみまった痛み、怪我、死と隣り合わせの恐怖と緊張に満ちた体験を物語のように綴っていておもしろい。

    「君」と語りかける二人称が新鮮です。作者オースターが過去のオースターに語りかける、幼いオースターは作者オースターであると同時にいまのオースターではない。人は二度と同じ川へは入れない、他者性をもつ様々な顔のオースターは、初期の『孤独の発明』や『ガラスの街』を彷彿とさせます♪

    「クラスメイトの何人かは体に障害を持っていた。……今日ふり返ると、こうした子供たちは君の教育の欠かせない一部分だったことがわかる。生活の中に彼らがいなかったら、人間であるとはどういうことなのかをめぐる君の理解はもっと貧しいものになっていただろう。深さも思いやりもない、痛みと辛さの哲学への洞察を欠いた理解になっていただろう」

    繊細さと共感力の高さは彼のあらゆる作品に溢れていますので、今更わたしが言うのもおこがましいのですが、この本を読んで一番驚いたのは、私の想像をはるかに超えたユダヤ系の人たちへの迫害、偏見、差別。ひどく不条理で陰湿なそれは、おそらくオースターの半生、とりわけ幼少のころのあらゆる場面で剥き出しの暴力となり痛みになったはずです。

    おもえばオースター作品の根底には、いつも大きなものに小突きまわされる小さなものたちへの憂いや配慮が感じられます。そんな彼の人間性が、小気味よい、でも一筋縄ではいかない独特の物語世界をとおして多くの読者の心を幸せにしたり温めたりするのかも。

    ちなみに、この本は、「精神」面にクローズアップした『内面からの報告書』と対になっています。また『トゥルーストーリーズ』を補完する本にもなっていますので、あわせてお読みになると面白いと思います。柴田さんの翻訳もいつもながら素晴しいですよ♪

  • 冬のニュー・ヨーク。ワシントン・スクエアは雪におおわれ、ベンチにも人の姿はない。コート姿の人の影が寂しく道を急ぐ様子。モノクロームで撮られた静謐な写真を使った書影が、いかにもポール・オースターらしい情感を湛えている。これは小説ではない。同じ作者による既刊の『孤独の発明』や『空腹の技法』に連なる、自分を素材にした一種の自伝的エッセイである。

    この後すぐに出ることになる『内面からの報告書』を、訳者は「ある精神の物語」と呼んでいる。対になっているこちらは「ある身体の物語」。たしかに、顔面を引き裂いた釘による怪我から、淋病や毛じらみといったセックスに係わる疾病まで、六十何年かの間、作家に降りかかってきた身体的な災難を片端から書き並べて見せるところなど、まさに「ある身体の物語」だろう。

    ただ、人間の身体と精神は別々のものではない。時には、ひとつながりのものであって、精神が難局に耐えられなくなった時に、それは身体を襲うことになる。オースターは、母親の突然の死に直面した時、一滴の涙を流すこともなく火葬から遺物の処理をこなし、一息ついた後、突然のパニック発作に襲われ、死を意識する。

    「これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。」

    オースターの小説は、ミステリの体裁をとりながら、カフカやベケットの不条理劇を思い浮かばせるニューヨーク三部作から、最近の『闇の中の男』まで、内省的でありつつも底にユーモアを湛え、読んで面白いだけではない、考えさせられる何かを隠し持っている。初期から読んできた読者なら、ユダヤ人差別に対する激しい怒りの表出も、最愛の妻に対する臆面のない称賛もすでにおなじみのものばかり。

    それまでに住んできた所番地をすべてさらして、当時の暮らしの有様や思いを語る口調は、「君」という人称を使っていることもあって、どことなく懐古的。もうすぐ六十四歳になろうとする作家は、自分の生涯を総浚いする気になっているのだろう。年寄りの昔話ほど、聞いていてつまらないものはないわけだが、さすがにポール・オースター。事実を語っても小説以上に面白い話を選び抜いている。

    ほんの少ししか離れていない位置に座っていた友人が雷に打たれて死ぬ話は、すでに他の作品で読んで知っていたが、近所の悪がきに庭に繋いでいた愛犬のリードを解かれ、車に轢かれて死んだ話は初めてだ。子どもと犬が飛び出てきて、どちらかを選ぶしかなかったと語った相手の言葉に「違う、あの人は間違ってる、犬じゃなくて子供にぶつかるべきだったんだ、あいつをぶっ殺すべきだったんだ」と思ったところなど、いかにもオースターらしい。弱い者、虐げられている者に対する姿勢は少年時から変わらない。

    家族を乗せて運転していたカローラで事故を起こした時の話も短編小説のようだ。友人の父親の飄逸な遺言「いいか、チャーリー」「小便のチャンスは絶対逃がすな」から始まり、運転の上手さを誇っていた作家に対し、珍しく妻が異変を予感するところからサスペンスを高めていき、ついには交差点で左折時に対向車の速度を見誤って激突に至る事故の顛末を当人でなくてはかけないリアルさで綴っている。

    偶然交差点に居合わせたインド人医師の冷静な対処もあって、幸いなことに同乗していた愛犬も含め、家族は全員助かるが、新車のカローラは無残な有様に。後日、廃車置場を訪れ、どうしてこれで自分たちは助かったのか、と首をかしげる作家にドレッドヘアーの管理者が語る「天使があなたたちを見ていてくれたんだよ。あんたたちは昨日死ぬことになっていたんだけど、天使がひょいと手を伸ばしてこの世に引き戻してくれたんだよ」という言葉がいい。

    逆に、何もかもうまくいかなかった時の話。当時住んでいた家のせいにするのもどうかと思うが、何とその家の前の住人が残した持ち物の中に、ナチス関連の書物やら何やらに混じって、エーコの『プラハの墓地』にも出てくる『シオンの議定書』を発見する。ユダヤ人のオースターにとってこれ以上ない最悪の書物と一つ屋根の下に暮らしていたわけだ。本当の話なのか、と思わせるような『トゥルー・ストーリーズ』の作者ならではの面白さ。

    一方的に読んできただけだが、古くから知っている友人の過去の打ち明け話に付き合っているような心持ちになってくる、どことなく心温まる本である。それにしても、オースターがここまで女好きであったとは。若い頃の話など、女狂いの域に達している。それにしては、前妻であるリディア・デイヴィスのことはあまり詳しく書いていない。現在の妻に対する遠慮もあるのだろう。とにかく、この美しい首を持つシリに対するべた惚れぶりには、読んでいて「ああそうですか」と何度も言いたくなった。

    これが作家の性(さが)というものなのだろうか。今まで暮らした家や、少年時に食べた食べ物に至るまでの羅列ときたら、露悪的と言いたくなるほど。年齢のせいなのか抑制が効かなくなったようだ。これで身体の物語なら、精神の物語である『内面からの報告書』は、どうなるのだろうか。愉しみなようでもあるし、怖いようでもある。刊行を心待ちにしながら、この稿を終わることにしよう。

  • 人が記憶を辿るとき、強烈な事件を必ず最初に思い返すとは限らない。それは母がふと立ち上がる瞬間であったり、父の喫う煙草の煙の色であったりと、記憶とは必ずしもその出来事の重大性の順に現れたりはしない。ましてや時系列を追って行儀良く並ぶことなどあり得ない。こういった点において、オースターは実に誠実に本書を書いた。

    もちろん、記憶を喚起するのに道具を使うことは有効だ。それが本書の場合は引っ越した家にナンバーを振ることであったり、商品名を羅列することであったりする。これらは技巧というよりは、やるべきことに適切な道具を用いる誠実さの現れと解釈した方が心地良く読書を愉しめるだろう。

  • 大好物である柴田元幸訳ポール・オースターの新刊。いつもの通り、「訳者あとがき」を読んでから本文に取りかかった。
    乱暴にまとめてしまうと、「人生の冬」を迎えた初老の作家の回顧録ということになるのだろうが、そこはオースター。彼の深い思索というフィルターを通すと、何か詩的で味わい深い文章になる。
    これまでに住んだ21箇所の家の記録こそ時系列だが、それ以外は時間を行ったり来たり。親、家族、恋愛・性愛、そして怪我・病気・事故。こうした過去の出来事を、かつての自分を「君」という二人称で呼び、少し突き放した形で書くことによって、読者と視線を共有している。
    死んでいても不思議ではなかった体験など、かなり赤裸々に書いているのだが、それでも一向に世俗的なものを読んでいる感覚はない。それどころか、読み進めるにつれ、生と死について深く黙思せざるを得なくなってゆくのは、この作品の肝だろう。
    本作を読んだ後、普段は受け取るばかりで、こちらからは出したことがほとんどないメールを離れて暮らす両親に出したことは、個人的なメモとして書き留めておきたい。

  • あまりエッセイとか自叙伝のようなものは読みませんが、今回は好きな作家の自叙伝「的」な散文ということで、一つの小説のように受け止めて読んでみました。
    面白すぎます。
    二人称で自分を呼び、経験したことや感じたことを客観的に描いていますが、それが作家の主観を少し離して読ませてくれるので、自己主張が押し寄せてくるような自叙伝独特の印象はありません。
    共感できるエピソードや、考えさせてくれるエピソードが多分に散りばめられていて、書き散らしているような作品でありながら次々とページをめくらせる本です。
    事実は小説より奇なり、ともいいますが、まさしくそんな言葉を具現化している作品だと思います。
    ポール・オースターってどんな人?とか、どんな作品?とか、興味のある方は、入門編として是非。
    なお、対を為す作品で「内面からの報告書」という作品もありますが、それはこれから読みます。

  • エッセイまでおもしろいんかい…!

  • これまでの作品(特に「ニューヨーク三部作」などの初期作品)においては、ポール・オースターという名前や存在を装置として活用することで新たな文学を切り拓いてきたオースター。

    そのような作者が人生の老いという冬の時代にさしかかり、身体をめぐるこれまでの出来事を赤裸々に語っています。長年の喫煙や過去のセックスなど、あまり言及されてこなかったトピックも含めたエピソードが時系列に沿って、それこそ「日誌」のように語られています。

    個人的には、「これ!」というような箇所にはあまり遭遇しませんでしたが、そこはオースターの文体と名訳者による訳文ですから、するすると通読できました。

  • オースター作品は、過去のものは結構持っているくらいに好き。文庫落ちまで5年ほどかかるので、借りる。オースターの半生を回顧するという形の本。

  • 後半に出てくる“君が子供のころ愛した食べ物”がどれも美味しそうでたまらない。

    “アイスクリームこそ君の若き日の煙草だった”
    は名言だと思う。

    家族を乗せた吹雪の中のドライブの話も良かった。
    戦争を経験された、寡黙なお義父さまの雪道のアシストもウィンクも、どれも素敵なシーン。

  • ポール・オースターのことを今まで知らなかったが好きな本屋さんがオススメしていたので読んでみた。人生にドラマを感じる1冊だった。

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