- Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105449018
作品紹介・あらすじ
「およそ文学における最高傑作の一つと言っても過言ではない」とボルヘスに激賞され、オースターが『幽霊たち』を書く際に依拠したとされるホーソーン著『ウェイクフィールド』。ストーリーも時代設定も同じながら、新たな光をあてラテンアメリカ、欧米諸国で絶賛されたベルティ著『ウェイクフィールドの妻』。不可解な心理と存在の不確かさに迫る文豪と鬼才のマスターピース二篇。
感想・レビュー・書評
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旅行に出ると妻に偽って隣の通りで暮らし続け、20年後何事もなかったように自宅に戻ってきたウェイクフィールドの心の内を詳細に著したホーソーンの短編『ウェイクフィールド』。
先日読んだ『アメリカン・マスターピース古典篇』の中にこの短編があったのだが、彼の複雑な心情に興味を覚えながらも、「失踪中の彼と妻の生活の糧はどうしていたのか」、「隣の通りに住んでいて妻や使用人は本当に夫に気づかなかったのか」、「夫が不在の間、妻は夫だけを考えていたのか」、「夫が20年後戻ってきて『終生愛情深い夫となった』が、妻はそれを受け入れられたのか」といった疑問が頭をよぎり、すっきりしない気持ちでいた。
そんなところに『ウェイクフィールド』を妻側の視点から描いた小説があることを知り、興味を持って読んだのが長編『ウェイクフィールドの妻』。本書では長短両編が収められている。
『ウェイクフィールドの妻』では、『ウェイクフィールド』を読んだときの私の疑問が余さず解決されている。ただ、元の短編の内容を正確にたどりながら妻側の視点で物語を肉付けしているわけではなく、オリジナルを大胆にアレンジしているので、元の短編と印象がかなり違う、というのが正直な感想である。
例えば、短編では妻と夫の間にはそれほど深い愛情があるように感じなかったので、私は二人の結婚は親の決めたものだったのだろう、と想像していたのだが、長編では若い頃に親の反対を押し切って恋愛結婚している設定になっている。また、長編では早くに夫が隣の通りに住んでいることを妻が知ることになるが、短編を読む限り妻は最後まで気づかなかったのではないかという印象を受ける。だからこそ、短編には、都会の中の孤独とか、自分が思っているほど人は自分のことを重要視していない、といった皮肉がきいているのだが、長編にはその要素が薄れてしまっているように感じる。
ただ、長編は数奇な運命を受け入れざるを得なかった一人の女性の話として面白く読めるので、短編にこだわらずアナザーストーリーだと考えればよいのかもしれない。
読む人によって異なる印象を持ちそうな物語なので、老若男女、さまざまな立場の人で感想を言い合うとよりいっそう面白さが増すような気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
■ホーソーン
『ウェイクフィールド』
不思議な話だったー。
社会システム、疎外された男。
珍事を分析する視点の語りが面白かった。
社会には欠けた役割を補う働きがある。
人の心にも、欠けた状態から立ち直ろうとする働きがある。
自分がいなくても世界は回るのだ。
おかげで、一度離れたら戻るに戻れなくなった男の話。
「人の愛情に亀裂を生じさせるのは危険である。それが大きく、幅広く開いてしまうからではなく、あっという間にふたたび閉じてしまうがゆえに!」
孤独というよりは、疎外感を感じた。
親しい人はそこにいるんだけど、輪から外れているという。
離れてからの彼の新しい体系というのは、疎外者としての体系なのだろうか。戻りたい意志と、戻りたくない意志と、戻れないという意志と。
離れてからも「戻るところ」が起点となって葛藤しているから、他の役割(隠者等)を背負うこともなかったのだろうか。もし背負っていたら、家に戻らなくても良くなってしまったかもしれない。
でも結局最後はまた迎えられたらしい。
そこが面白いし深みがある。
実際の話でも有り得そうだもんなあ、奥さんよく許したな、とは思うけど。愛情の亀裂というのは、塞がったあとでも柔軟性があるのかな。
有機的で混沌としてるなあ。
『妻』はまだ未読! -
ウェイクフィールドのみ。
妻サイドのも読みたい。
翻訳ではあるが、こういう文章は本当にすごい。 -
ホーソーンの「ウェイクフィールド」を
奥方サイドからみたら・・・って設定です。
小説を映画化すると、原作にない登場人物が増えてたりしますが、あんな感じもあり。
ただ、これ、オースターの「幽霊たち」、そっくり。文章の感じとか。
そもそも「幽霊たち」は柴田元幸が訳してて、この本の「ウェイクフィールド」も柴田訳なので(「ウェイクフィールドの妻」はスペイン語なので別の方)とっても変な感じ。。。
途中、牧師の求婚あたりから、えーラブ・ロマンスに持っていくんかいーと焦ったけど、そんなことなかった。セーフ。ベルティさん、アルゼンチン人ということなので、密かにマジックリアリズムへ流れるかと期待していたけど、そういうことはありませんでした〜 -
名作『ウェイクフィールド』については、今さら語ることもないけれど、驚いたのは『ウェイクフィールドの妻』。こういうのって元の作品とくらべると全然ダメって場合が多いんだけど、これはお見事。妻の立場が自然に描かれてる。しかも、元の作品を変に説明したりとか、余計なことをしてない。何より2つ並べてどちらも映えるってのは珍しい。読む価値のある1冊。セットで出版した訳者たちに拍手。
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とりあえず「ウェイクフィールド」のみ。
圧倒的不可解さ。 -
最初は、妻の愛情を試そうとして家出をする夫が、帰るタイミングを失って、ものすごく長い間、ごく近いところで別々に暮らしてしまうという、非常にやるせない話。妻の気持ちも、夫の気持ちもなんとなくわかる。お互いに愛情を持ちつつ、離れなくてはならなかったところが悲しい。
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3,4日旅行に出ると告げ家を離れた男・ウェイクフィールドは、自宅の隣の通りに部屋を借り、20年以上も誰に知られることもなくそこで過ごす。そしてまたある日、あたかも昨日家を離れたかのようにひょっこりと帰ってくる。
はたして彼になにがあったのか。
そして、その短編小説の発表から1世紀半後に書かれた、ウェイクフィールドの妻の視点の物語。
ああ、やはり翻訳モノは苦手!村上春樹さんが翻訳してくんないかな。
とにかく内容はとてもおもしろい。特に理由もなく20年以上も自宅のそばにいつつも帰らない男。こんなにもそそるあらすじにはめったに出会えないのに!ところが言葉が不自然というか……とにかく好みでない。 -
さしたる理由もなく夫は失踪し、二十年後、なにごともなかったように妻の待つ家に戻った。
オースター、カフカに多大な影響を与えた古典と「妻」の視点で二十世紀末に語り直された長篇。―世紀を越えた競作
「およそ文学における最高傑作の一つと言っても過言ではない」とボルヘスに激賞され、オースターが『幽霊たち』を書く際に依拠したとされるホーソーン著『ウェイクフィールド』。
ストーリーも時代設定も同じながら、新たな光をあてラテンアメリカ、欧米諸国で絶賛されたベルティ著『ウェイクフィールドの妻』。
不可解な心理と存在の不確かさに迫る文豪と鬼才のマスターピース二篇。(帯より) -
名作、らしいので一応読んでみる。ウェイクフィールド(10ページくらい)を読み終わった時点で「妻」を読むことを断念。…これが名作?? 全く分かりません…。翻訳のせいとは思えないほどどうでも良い。
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ちょっと旅行にいってくる、といって出て行った夫はそれから戻ってくることは無かった・・・。取り残された夫人の苦悩とそれを見つめる夫の不可解な20年。適度にスリル感もあってよかった。