ピアノ・レッスン (Shinchosha CREST BOOKS)
- 新潮社 (2018年11月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105901547
作品紹介・あらすじ
半世紀前、後のノーベル賞作家はそのデビュー時から「短篇の女王」だった。行商に同行した娘は父のもう一つの顔を目撃し、駆出しの小説家は仕事場で大家の不可思議な言動に遭遇する。心を病んだ母を看取った姉は粛然と覚悟を語り、零落したピアノ教師の老女が開く発表会では小さな奇跡が起こる――人生の陰翳を描き「短篇の女王」と称されるカナダ人ノーベル賞作家の原風景に満ちた初期作品集。
感想・レビュー・書評
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小さな街のささやかな日常の中にある人々の小さな物語が、静かに心の中に入ってくる。
きっと自分の平凡な生活との対比、場合によっては少しの交錯に、何かホッとさせたりクスッとさせる癒しがあるのかと。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
再読
アリス・マンローは、まず最初に「ディア・ライフ」「ピアノ・レッスン」の2冊を読んだのだが、その時はよくわからなかった。魅力に気づいたのは、3冊目に読んだ「ジュリエット」から。
どんな話か全く覚えていないと思っていたが、読み始めると、ちゃんと覚えていて、情景がありありと思い浮かんでくることに驚いた。普通の人々の日常、人生の不可思議さや、巡り合わせ、痛みが、静かに描かれている。
忘れたと思っていても、本を開けば、またマンローの世界に帰ってこられる。そんなふうに感じた。
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それなりに生きてくると色々な記憶が澱のように溜まってくる。短編小説の題材に仕立てられるものの一つや二つはないものかと底をさらってみると、何気ない日常の延長に過ぎないが、いまだに鈍く疼く断片を思い出す(なんだか『仕事場』のミスター・マリーみたいだ。くわばら、くわばら)。
“平凡な日常を送る人々のかけがえのない瞬間を描く”と評されるアリス・マンローの作品と、僕の個人的な屈託を巡る思い出は、さて同じかと問えば決定的な違いに気づかされる。
マンローが掬い上げた物語には、ひとときの間に沢山の思いが幾重にも層をなして交差する。覗き込む角度によって描かれた世界は色を変える。
“要約しようとしてもこぼれ落ちるもののほうが多いストーリー”という、翻訳者のあとがきは言い得て妙だ。
『ウォーカーブラザーズ・カウボーイ』は、すごく好きな一篇。
ウォーカー・ブラザーズ商会の訪問販売員である父親は、小さな娘と更に幼い息子を、二人の気晴らしのためにルートセールスに同行させてあげる。
好き好んでやっている仕事ではない。訪れた家で屈辱を味わうこともある。まさに今日はそんな日だ。ちょっとおどけた冗談に変えて笑い飛ばすこともできるけど、妻の前ではそうしたくない。
家庭も妻も大事だが、自分自身を晒せる場所じゃない。
独身時代に親しかった女性のノラに会いに行くことにしたのは計画的ではなかっただろう。こんな日は、まっすぐに帰る気にはなれなかった。子供連れなのはセーフティーネットだ。彼女にも、彼自身にとっても。
四人は居間で歌い、彼女は娘と蓄音機をかけて踊り、楽しく過ごす ーもしかしたら、ありえたかもしれない、もうひとつの未来の擬似家族ー。
踊ろうよと彼を誘う彼女に、父親は“だめだよ、ノラ”と静かに告げる。危ういときは過ぎる。
この物語の語り手は、娘である少女だ。父親の心理描写がある訳ではない。
少女は、“弟と二人で外で遊んできたらどうだい”、という父親の言葉に込められた意味を汲めるほどには、ませてはない。だが、家路に向かう車を運転する父親の沈黙に、今日のことを話しちゃいけないと思うほどには大人だ。
少女が感じる漠とした不安を夏の夕べの空に仮託して締める最後の一文の見事さといい、短編小説の魅力が詰まっている。
『ユトレヒト講和条約』は、また全く違う読後感だ。ここには書かずにはいられない、そして読まずにはいられない切迫した感情と記憶の奔流がある。
家族を巡る昏い記憶は、互いを結びつけると共に越えられない断絶を作りだす。同じ記憶を共有する兄弟姉妹だからこそ決して言うことのない、だけれどもふと漏らす言葉というものが、確かに、存在するのだ。
思えば、記憶は登場人物以上に、風景と分かち難く結びついている。
僕もせっかくおぼろに思い出した、しがなくも大切な記憶を違う角度で見てみよう。また沈んで消えてしまう前に。あの日の空の色を思い浮かべながら。
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『母が「ママ」と言うたびに、わたしは冷え冷えしたものを感じ、キリストの名を耳にしたときと同じように一種の惨めさや恥ずかしさが体じゅうに広がる。わたしの本物の、首筋が温かい、気が短くて安心できる人間らしい母がわたしとのあいだに据え付けるこの「ママ」は、永遠に傷ついたままの幻影で、自分がおかすことになるとはわたしがまだ知る由もないあらゆる悪行を、神のごとく悲しんでいるのだった。』
これで20代のデビュー当時の作品だなんて!
既に完成されている。
改めて好きだ…。
一文一文に、これを言葉にできるの?と驚き、一場面一場面に、これを小説にできるの?と驚く。
派手さはない、けれど胸を強く揺さぶられる。
見事。 -
イラクサがとても良かったので、期待して読んだけど、イラクサには敵わなかった。本著は処女作のようで、そのせいか主人公達の遣る瀬なさが強烈に伝わって来る。著者が若いってこともあるかもしれない。
しかしながら、人が人と関わることで生じる摩擦、必ずしも仲が悪いわけでもなく、親しい間柄にも生じるストレス、そういった表現が切々と伝わって来る。やはり巧みな作家だと思う。 -
子どもの残酷、年寄りの醜さ、田舎の閉塞、そして記憶の中にときどき光るかけがえのない一瞬。なんでもない日々をよくぞこのように美しく書き起こせるものだよ。
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「短篇の女王」と称されるカナダ人ノーベル賞作家の、原風景に満ちた初期作品集です。人生の陰翳を描き、凡庸な出来事であっても緻密に丁寧に描き、切り取ってあるので、読者は作品の中に、リアルを感じます。
司書3
姫路大学附属図書館の蔵書を確認する→https://library.koutoku.ac.jp/opac/opac_link/bibid/SS00104074 -
「臆病で脆いノスタルジアだ、より穏やかな真実へと戻ろうとする」
これはひとつさかのぼって、マンローの初作短篇集。なんだかちょっぴり秘密めいた物語がおおかったかも。きょうだけ、こっそり教えてあげる。って囁かれたような、くすぐったいセンチメンタル。チャーミングな反抗。
それらは彼女の傷つきやすくて壊れやすいがために大切に仕舞われていたとっておきの記憶のようだった。彼女の話してくれた思い出がおこさせるわたしじしんの思い出は、愉快なものばかりなのでとても嬉しくなる。ねずみのおなら。柘榴の絵。ビルの上に据えられたおおきなバッファロー。拙いオクラホマミキサー。フィギュアスケーターに憧れていたこととか。なかには苦々しいものもあるけれど、いまとなっては笑い話になるような。そんなこと、どうだっていいんじゃない?と遊びに誘われているような。あと青春の "トリステ・エスト" 。わたしはじぶんの思い出を記憶を、なにか忌まわしく恥ずかしいもののように大切にしてこなかった。父と母の思い出話のようなものもほとんどしらない。彼らも好んで話さない。それがいまはすこし残念だったようにおもう。
「海岸への旅」と「ユトレヒト講和条約」がとくにすき。
「コミュニティーという言葉を、そのなかに現代的でバランスのとれた魔法を発見したかのように、そして過ちをおかす可能性などどこにもないかのように口にして。」
「とことん、とことん無関心なのだ、まふで幻滅の源をもっていてらそれをいささかの満足感とともに隠しているかのように。」
「これといった理由もなく好きになれない相手、あるいは単に懇意にはなりたくない相手に対して、わたしはいつも懐柔するような態度をとってしまうところがある。わたしのことは放っておいて立ち去ってくれないだろうかと愚かにも願いながら、苦心惨憺、儀礼的な申し出をしたりしてしまう。」
「幸福になるために、自分はなんと不可解で鬱陶しい義務を負っているのだろう、危うくその義務を怠るところだったし、これからも毎回怠りそうだが、母はそれに気づかないのだろうと思った。」
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聞きながしてしまいそうな会話、見ても忘れてしまいそうな風景、そう言った日常の些細なことにフォーカスして拡大して心象を描いていると思った。多分いくつかは作者の体験や見て来た世界であるんだろうけど、短編の一つに書かれていた「感じやすい子」というのは作者自身のことだろう思った。