永井荷風 ひとり暮らしの贅沢 (とんぼの本)

  • 新潮社
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本棚登録 : 87
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106021428

作品紹介・あらすじ

誰にも気兼ねなく、ある日は終日読書三昧、またある日は浅草で過ごし夜半に帰宅。自宅の手軽な自炊には、七輪を部屋に持ち込んで…。そして孤独も老いも死も、さらりと語る独居の達人。吝嗇だ奇行だと陰口きかれても気侭に生きた後半生。

感想・レビュー・書評

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  • 永井荷風の独身生活は如何なるものであったかを、死亡時遺品と『断腸亭日乗』の抜粋とを掛け合わして編纂されたフォトブックである。シングル・シンプルライフを貫く永井荷風を深掘りすべく紐解いたが、良書であった。

    昭和34年4月30日荷風は、かねてよりの念願成就して突然の「単独死」する。遺品の性格より、本書内容は主に戦後の荷風の日常生活を浮き彫りにしていた。一見野卑た偏屈爺い、その実ピュアな人間観察者。かなりいい加減で周りにも迷惑かけていて、聖人君子に程遠いが、理性的に自分を見ている。ということがわかった。荷風入門書としてもピッタリと思う。

    『一番下品なことを、一番優雅な文章、一番野蛮なことを一番都会的な文章で書く』と三島由紀夫は喝破する。荷風は老年から晩年にかけて「プロの女性」と毎日のように付き合っていたが、それはひとえに観察のためであった。
    ‥‥相磯氏が荷風に「宿屋に一緒に泊まったことはないですか」と質問したところ、「それまでしなくてもいいですよ。ほんとうはそうしなければダメなんでしょうが‥‥」と答えている。(『荷風思い出草』より)宿屋に行くかわりに、食べもの屋に行って飲み食いさせ、話を引き出した。こうしてかきあげたのが小説『吾妻橋』である。(63p)

    表紙に麦藁帽子、丸メガネ、下駄の写真がある。これに通帳、年金手帳などを入れた革製のカバン、蝙蝠傘、ゆったりめの米国製仕立てのスーツを着て浅草、鳩の街、三ノ輪浄閑寺などを歩き回った。はからずも私は2018年の東京旅で全部歩いている。鳩の街の喫茶「こぐま」でシフォンケーキとコーヒーを飲んだ。しかし、立川方面は完全ノーマークだった。次回はそこに行きたい。

    荷風は、金銭管理は案外節制していた。戦前までは親の遺産があったから「されば小説家たらんとするものは、まずおのれが天分の有無のみならず、又その身の境遇をも併せ省みねばならぬなり。行く行くは親兄弟をも養わねばならぬような不仕合せの人は、たとへ天才ありと自信するも断じて専門の小説家なぞにならんと思ふこと勿れ」(『小説作法』)とまで言っている。その頑固さが、彼を独り身にした可能性はあるかもしれない。一転、戦後は遺産の株券は紙屑と化す。友だちの家を迷惑かけながら間借り生活を始める。もし彼の著作が戦後大きく売れなければ、偏屈ジジイのまま終わっていた可能性はあるかもしれない。

    部屋には鍋・食器などの日用品の他、本・衣類も必要最低限のものしか置かなかった。衣替えの頃になると質屋に預けた。その方がキチンと管理してくれて便利だという彼なりの合理主義もあった。しかし、外出用の着衣は良いものを買ってるし、踊り子たちと食べる汁粉やドジョウは良いものを食べた。メリハリをつけたのである。行きつけの店。「梅園」(浅草1-31-12)、「アリゾナキッチン」(浅草1-34-2)、「どぜう飯田屋」(浅草3-3-2)、「尾張屋本店」(浅草1-7-1)(←ココは東京旅大晦日の年越し蕎麦として探し当て、30分並んで荷風が必ず食べた一杯当時85円[この日は1100円]のかしわ南蛮を私も頼んだ。上品で香りが違った)

    読めば読むほど魅力が増す。まだまだ読んでいきたい。

  • 身近にいたら堪らないくらい嫌な人なのに、生き様は魅力的。繋がらないと不安になってしまうからこそ、孤独を受け入れている永井荷風の姿は尊敬するし憧れる。市川時代、生活していけるかどうか不安で節約に励む姿もいい。現実を断腸亭日乗に、妄想を小説にと本当にすごい人。この本を片手に浅草、市川を歩いてみたい。

  • 作品よりも、荷風の人物像や散歩コースに焦点をあてた一冊。
    鴎外に心酔してるのは知ってるけど、「出来る事なら鴎外先生と同じ日に死にたいと口にした」エピソードに関するソースはどこですか……知りたいです……。

  • (貸出中)

  • <パラサイト、ニート、おひとりさま…昔の話とは思えないキーワードがいっぱい!>


     初めはぴんと来なかった永井荷風を、「それでも読み続けたい」と思った理由がこの本にちょうど拾い出されていて、興味深くめくりました。
     魅力は『断腸亭日乗』により詳しく綴られた、荷風の暮らしぶりにあります。優雅なニート、パラサイトの名残に、惹かれる匂いを感じてしまうのです☆ 荷風の感覚には、現代の若者に通じるものがあると思います。

     裕福な家に育った荷風は、父親の転勤について異国へ渡り、留学ではなく遊学した。あちらで職に就いてはみたけれど、無理して労働に身をやつす必要がなく、好きなだけ読書や執筆に時間を割くことのできる身分だったのです。時が経ち事情が変わってきても、そこはかとなく優雅☆

     初期作品の『あめりか物語』辺りは、正直ボンボンちゃんすぎるかも。「そりゃ、24時間好きなもの読んで好きなことしてたいに決まってる。こっちはそれができないから働いてるんだ!」という私は、ややイラつきますw
     しかし、さらなる歳月が流れて「そのまんまおじいちゃんになっちゃった」荷風の日常を垣間見ることの楽しさ★
     あんまり好きな言葉ではないものの、近年「おひとりさま」という便利なフレーズができましたね。その「おひとりさま」になっても、荷風は全くスタンスを変えずに日乗を綴り続けたのです。お国に迎合することなく、妥協して落ち着くことなく、奇行と言われようが一向かまわず、好きなことを好きなままに貫いたお方でした。

     荷風は想像させます。真にひとりを愉しむ、ひとりを味わうってどんなことなのかを。ひとり=わびしーと思いこんでいる人もいるようだけど、ひとりの時間を持てるって、このうえなく豊かな状態に思えます。荷風愛用の品々の一つ一つを写真で確かめながら「ひとりという贅沢」を読んでいる時間も、とても豊かで面白かったな。

     遺品の中にあった幻の春本『ぬれずろ草紙』の抜粋が唯一掲載をゆるされた点でも貴重。

  • ある意味究極の生き方、そして死に方。

  • 〜元官僚の家に生まれた壮吉は明治12年に生まれ,第一高等学校不合格で落語家の弟子になるが,父に知られてアメリカはシアトル・ニューヨーク,フランスで気ままな留学生活を送る。帰国後,新聞雑誌に小説を発表する傍ら慶應義塾の教授の職を得る。父の薦めで結婚するが,芸者と交際し,妻と離婚し,二度目の結婚を果たすが長続きしない。兄弟とは疎遠となり,麻布の家が空襲で焼けた後,疎開生活を送り,市川に住まい,浅草・銀座に通う毎日を送る。38歳から書き始めた日記は断腸亭日記として昭和34年に79歳で死去するまで41年間続けられた。従弟の次男が永井家を相続し,金庫を建てて遺品を保管している。愛用品以外にも草稿や蔵書,清書された原稿もある。その中には春本『ぬれぞろ草子』もあり,最初で最後の抄が紹介されている。これは発禁を恐れて全集の中にも収録されていない。〜文学者は大学などに通わない方が良いという偏屈な人。墨東奇譚がよく知られているが,彼自身は断腸亭日乗で文化勲章を貰ったと云っている。文化勲章を受けてから劇場や女郎屋などへ出入りがしにくくなったと語っている。高校生の時だったか,面白半分という雑誌に発禁の四畳半襖の下張りが掲載され,買って読んで感動?したが直ぐに雑誌は廃刊に追い込まれた。原稿自体は麻布の偏奇楼消失の時に失われ,誰かが活字化して間違ったまま流布されたモノだそうだ。30年以上前の謎が解けた。養子の永光氏が『ぬれぞろ草子』の発表に踏み切ったが,確かに口語調で書かれ,『四畳半・・』に比べ出来が良いとは云えないが,流石に文豪ではある。ペン書きは上手でなかったようだが,手帳に書いた下書きを和紙に細筆で書いた毛筆の冴えは凄い。間借りしていたファンの家の中で七輪を焚いたら追い出されるわけだ。日記には感想を書かない方が良いと荷風は云っている。感想はやめるかなぁ・・・。

  • 永井荷風ってただのエロオヤジじゃないところがすごい。あんなじじいになりたいな。

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