- Amazon.co.jp ・本 (123ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106022326
作品紹介・あらすじ
国宝・重文多数、茶碗と茶室の連続コラボで問い直す、珠光、信長、利休、織部、光悦、そして現代の茶とは何か。
感想・レビュー・書評
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最近、茶道具や茶室に興味を持ちはじめて手に取った一冊だ。
千利休の好んだ茶碗を作った長次郎が創設した樂家の十五代目が、待庵、燕庵などの名作とされる茶室に、これもまた名作とされる茶碗を置き、その景色や背景、その茶碗や茶室を愛した茶人について語った一冊だ。
取り上げられる茶人は、侘茶の創始者であるとされる村田珠光から、千利休、古田織部、本阿弥光悦など。
それぞれの生い立ち、好み、死に様なども語られていて、非常に興味深い。
どちらかというと感覚、感傷で語る樂氏と、淡々と茶人について語る木村宗慎、複数の視点でひとりの茶人、茶碗、茶室に語っているので、視点が偏らないのも面白いと思った。
樂氏と、花人である川瀬敏郎氏の対談も興味深かった。
特に、待庵で今、茶碗や茶道具を持ち込んで茶会をしても「利休ごっこ」になるだけで、人間はいらない、というくだりは興味深かった。
現代の茶と、桃山時代、争いや死がもっと逼迫した時代にあった茶とはまったく別のものである、という話は、確かにそうだろうな、と思う。
生き方も、重みも覚悟もまるで違う。
だから、今、同じものを追い求めようとしても得ることができないのは当たり前なのだ。
茶、というのはなんだったんだろう、ということについても考えさせられる一冊だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
よ〜く考えたら「芸術新潮」で読んだ特集だった!でも、勉強になるのでよし!笑
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数年前にNHKでやった楽家のドキュは、伝統と血筋への反発と同調というありきたりな内容で、仕事人としてのそれを期待していただけに物足りなかった。
当本は芸術新潮の特集を再編集しただけあって、コンパクトにわかりやすく項目が列挙してあるのに、読後の印象としては今一つぼんやりとしたもの。
なぜかを考えると、やはり楽家/または現当主にフィーチャーしすぎなのである。楽茶碗は好きなのだが、作品と作家は別物であるとつくづく感じる次第。 -
2012年10月 09/82
ちょこちょこ読み進んでは戻り、進んでは戻りとしていたら2ヶ月くらい読破までかかりました。考えを知ると、目の前のもの違って見えます。ページ数は少ないですが、たくさんの知らないことに出会えるよい一冊でした。京都に行きたいです。