- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106101304
作品紹介・あらすじ
右肩上がりの発展を続ける戦後日本がたどり着いた「坂の上の雲」。それが1985年という年だった。プラザ合意、米ソ首脳会談、NTTの誕生…この年を境に日本と世界は確実に姿を変えていく。阪神優勝、日航機墜落事故を始め、忘れがたい出来事もたくさんあった。「過去」と言い切るには新しく、「現在」と言うには時間が経ちすぎた時代の記憶は、妙に苦くて懐かしい。愛惜の念と共に振り返る、「あの頃」の姿。
感想・レビュー・書評
-
最も日本が輝いていた時代で最も能天気な時代。
「俺の空」という漫画で30年後の日本の悲惨な状況が描写されていたが、本当にこんな悲惨な時代が来るとは思わなかった。ずっとこんな能天気な時代が続くと思っていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『1985年』。。。題名だけを見ると、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『一九八四年』を思い出してしまうが、本書は、まさに“1985年”という年の出来事を回顧したノンフィクションである。
著者の吉崎達彦は1960年生まれで、双日総合研究所副所長(当時)。本書の発行は2005年である。
私は、1985年当時、地方都市から東京に出てきて、田中康夫氏の『なんとなく、クリスタル』(1980年に発表され、80年代の都会の若者のライフスタイルに大きな影響を与えたと思うのだが、本書には一切登場しない)などを読みながら、大学生活を謳歌していた。
今にして思うと、1985年は、著者が冒頭で語っているように、日本にとって1945年の終戦に始まった40年に亘る「上り坂」のピークの年であり(80年代後半に訪れたバブル期は、その後に咲いたあだ花のようなものであった)、それを象徴するかのように、プラザ合意(1ドル=240円台だった円相場が、その後3年かけて120円台まで上昇した)、ゴルバチョフの登場(1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦を終結させることになる)、科学万博-つくば’85の開催、電電公社の民営化・NTTの誕生、ファミコンのスーパーマリオブラザーズの発売、ミノルタα‐7000の登場、CDプレーヤーの普及、ハーゲンダッツの流行、美味しんぼのヒット、ドラマ『金曜日の妻たちへⅢ』と小林明子の主題歌「恋におちて」のヒット、阪神タイガースの21年振りの優勝などの出来事があったのだ。(日航機の御巣鷹山への墜落事故も本年)
本書で著者は、それらの出来事の歴史的な意義や反省などには全く言及していない。
しかし、最後にこう言うのだ。「人は、無性に過去を懐かしみたくなることがある。どうでもいいこと、忘れていて当たり前のことが、妙にいとおしく思えるものだ。無理もない。未来などというあやふやなものに比べれば、過去ははるかに確かである。それが楽しい記憶であったとすればなおさらである。1985年は、日本人にとってかなりいい年であったように思える。だとしたら、そんな記憶を持つわれわれは、きっと幸福であるはずだ。思うに懐かしむことのできる時代を持つことは、人として最高のぜいたくではないだろうか。」
同感と言わざるを得まい。
(2018年9月了) -
後半が興味深い。盛り上がってきた惜しいところで終わってしまう
-
170107読了
-
歴史を縦に見るのではなく、定点の政治経済やカルチャーを水平に見てみた本。この'85年は、僕が高校を出て見知らぬ土地で一人暮らしを始めた年なので、なかなか感慨深い。ロン、ヤス、ゴルビーといった華のある政治家。タイガーズ優勝。御巣鷹山の事故。ニュース・ステーションの開始。スーパーマリオ。ホンダのプレリュード金妻。つくば博。。。様々な懐かしい話題とともに、バブルが膨らみ始めていく様子が蘇る。1960年代生まれの人にはお勧めの一冊。
-
大学を卒業し、就職したのが1984年(昭和59年)だった。
1985年は社会人2年目で、東京でヒトル暮らし。仕事の面白さも少しは分かるようになってきた頃か。
あんなこともあった、こんなこともあったと色々思い出す。
一番印象的なのは、やはり「オレたちひょうきん族」か。
(すいません、レビューになっていなくて・・・) -
阪神の優勝。御巣鷹山。そういったとしの1985年。もう30年も経ってしまうんだと思いつつ。
1985年の世情、出来事をまとめた本。サクッと読めて面白かった -
師匠おすすめ本。この年とは比べ物にならない転換期の”今”読むべし、と。
この本を読んでいたら、隣の席の子に「何読んではるんですか?」と聞かれ、表紙を見せつつ「○○さんはこの年って生まれてた?」って聞くと、「いえ、まだです。生まれたのは3年後です。」だと。
やれやれ。ヽ(´▽`;)ノ
この年、私は社会人1年生だったわけだが、こうやって改めて1985年を眺めるとあれもこれもこの年だったのか…!?と驚く。
さて、ここから私は“今”をどう読むのか?
…読めるのか?