人間の往生: 看取りの医師が考える (新潮新書 403)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104039

作品紹介・あらすじ

自然や人とのつながりを忘れ、病院の中に死を遠ざけるうちに、日本人は死の全身的理解を失ってしまった。クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の根幹をなすクオリティ・オブ・デス(QOD)の悪化をかえりみず、健康維持や抗加齢ブームにとらわれるのはなぜなのか…終末期医療に取り組みつづける医師が、在宅看取りの実際と脳科学の知見、哲学的考察を通して、人間として迎えるべき往生の意義をときあかす。

感想・レビュー・書評

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  • 現代、多くの人が病院で死を迎えるが、筆者は自宅での死を看取る医師をしている。その経験や、経験で考えたことが綴られている。自分が望む死を迎えるためには周囲の協力は欠かせない。そのためにも家族との関係は良好に保つ必要がある。また、医療をお金に応じた治療を受けられるというサービス業とするのではなく、金銭にかかわらず望むサービスが受けられる社会資源として捉え、制度づくりをして欲しい。

  • 看取り医が終末を考察する
    時に癒やし しばしば苦痛を取り 常に慰める
    他人の行為を見て活動するミラーニューロン
    作り話をする脳…意思はあるのか 私はどこに宿る?

  • 自発的な水分摂取停止により、ほとんどの人は半月以内で亡くなるが、QOLは9点満点て8点が、もっとも多く、穏やかな死だった。

  • ・ヒトは「意味の世界」を生きている
    ・役割と結びついた居場所にいる感覚は生きる「意味」を紡ぐには欠かせない

    ・それぞれが宇宙の中心(全ては宇宙の一部)
    →悟った時平和が生まれる

    ・「意味の世界」を落ち着かす

    ・浄土真宗 僧侶 清沢満之
    ”宗教は主観的事実なり”
    「私共は神仏が存在する故に神仏を信ずるのではない、私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのである」

  • 見えるもの感じるものは、それぞれの意識により違う。『手を打てば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池』老いて、身体の能力が落ちるごとにその世界が変わっていく。いま見えて感じている世界は、死が近づけばまた違う世界になっている、というわけで。その時見えるのが、きっと三途の川とかそういう臨死体験にでてくる話なんだろうな。身体の能力を失う代わりに、見えなかったモノが見えるようになるのかもね。

  • 人生の最期をどうやって終わらせるかについては考えることが多々あるが、震災の後に在宅の看取りについて考えることの、なんと幸せなことか。

  • [レビュー]畳の上で死ななくなった日本人の話。日常から死を隔離することで、死を実感・学習する機会を失わせ、死に対する恐怖心を増長させた。生命の誕生・成長・老化・死へのサイクルが失われた現在の日本において、「往生」を迎えるために欠けているものは何かを終末期医療医として考察する。

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著者プロフィール

1935年生まれ。東京大学医学部卒。77年ハーバード大学公衆衛生大学院修了。東京大学名誉教授。医学博士。79年から長野県佐久市の「認知症老人・寝たきり老人」の宅診に関わるようになる。その後国立環境研究所所長を経て、現在は東京都立松沢病院と桜新町アーバンクリニック非常勤医。著書に『人間の往生』『終末期医療』『痴呆の哲学─ぼけるのが怖い人のために』『「痴呆老人」は何を見ているか』『病から詩がうまれる─看取り医がみた幸せと悲哀』『環境世界と自己の系譜』『いのちをもてなす』など多数。

「2014年 『講座スピリチュアル学 第2巻 スピリチュアリティと医療・健康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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