- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106104909
感想・レビュー・書評
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「間抜けの構造」というよりは、むしろ「“間”(ま)の重要性」について語った本である。身のまわりの間抜けな人々をコミカルに紹介する第一章は、読み手のハードルを下げるためのつかみとしては機能しているが、まったく本題ではない。
自らが心血を注いできたお笑いから映画、そしてスポーツに至るまで、様々な場面における間の重要性が、具体例を挙げながら説明されていく。もちろん、大学教授が書く新書のように建設的な論理が展開されていくタイプの本ではないが、やはり個々のエピソードのチョイスと切り口の面白さは流石で、新書というよりは喋りとしての面白さがある。
本書では大小硬軟あらゆる場面における「“間”についての話」が語られるが、中でも最も印象的だったのは、「その人の“間”がいいか悪いかというのは、どの時代に生まれたかに尽きるんじゃないか」という、最も大きな時間的スケールで“間”というものを捉えた、元も子もない一文である。
長嶋茂雄も王貞治も、石原裕次郎も美空ひばりも、そして本人ビートたけしも、「時代が生み出した」という側面はたしかにあるだろう。しかし当たり前だが、そんなことを言っても仕方がない。それでも言わなきゃ済まされない根本的なことから逃げずに、むしろ思い切って言ってしまうその勇気こそが、ビートたけしの真骨頂である。なにしろ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ってブレイクした人である(もちろんネタ中のフレーズだが)。
そしてたけしは、そんな絶望的な、どうにもならない時代という怪物を相手に戦うために必要なものは「結果論」だと主張し、「方法論なんてない。すべては結果論の世界なんだ」と言い切ってみせる。それはどう考えたって何の解決にもなっていないように響くが、いくつもの勝利を手にしてきたビートたけしという人物が、ここまでの「厭世観」をその根底に持っているという事実は、なぜかしら読み手の中にほのかな希望の欠片のようなものをそっと残してくれる。だから最終章に待っている「我々の人生というのは、生きて死ぬまでの“間”でしかない」という極度に厭世的なフレーズは、残酷でありながらもそこはかとなく優しい一節であると思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
生まれてくる意味なんかわからないし、死んでいく意味もわからないのだからその間の人生もわからないことばかり。間を埋めることに躍起になってギスギスより、もっとゆるくいきましょう。
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芸人の視点から間についてよく考えられている本。
間は、面白いと感じた。 -
間の取り方で世界は変わる。
何にでも大事なのは「間」。
とにかく読みやすい、本を読んでいてもたけしさんとしゃべっているような感覚で読めました! -
お笑い、テレビ、映画といった自身で体験してきたものから、スポーツ、さらには人生論まで「間」を視座に語っていく。客観的、俯瞰的に自身の「間」を捉えられるか、といったあたり。一読の価値はあった。最初の「間抜けな」弟子の話はなくても良いかな。
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小咄のようで読みやすい。間というか余裕を持って人生を送ろうと思った。
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漫才の間から、映画の間、人生の間まで「間」についての筆者の考えをとりとめなく話しているという印象。
ビートたけしの自伝と思って読めば読みやすい。 -
「間」の取り方は、あらゆる場面で重要である。このことは日常生活でなんとなく感じている。じゃあ「間」とは、その逆の「間抜け」とは、一体何なのか?
「間抜け」とは、自分を客観視できないヤツのことだ、という。なるほど、もうちょっと詳しく。その構造は?
構造を分析すると…だなんて、できない。たけしだってできないんだもの。「間」は「間」である。「空気が読めない」の「空気」と言い換えてもいいだろう。「間」とは、「だいたい」そんなもんだ。
掴みどころのないものを構造的にとらえようと、本書を手に取った私もまた「間抜け」だなあ。 -
・相手が息を吸ったタイミングで話す
・自分を客観視