キラキラネームの大研究 (新潮新書)

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著者 : 伊東ひとみ
  • 新潮社 (2015年5月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106106187

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キラキラネームの大研究 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • 名前の付け方、読み方について詳細に記されており、読む価値のある本です。タイトルは軽いですが中身はまっとうで社会人の知識として損はないものです。

    本書第六~第七章の考察で多くは理解できます。
    字の持つ意味を無視した漢字を用いことへの解釈は丁寧に解き明かされていますが、私には文化的側面が抜け落ちているように感じます。
    微笑ましいキラキラネームではなく、愛夜姫と書いてアゲハと読ませる子供を水商売にするつもりかのような親の精神構造、DQNネームの問題には突っ込みが足りません。(伊藤氏は文中でDQNネームの呼称を何度も使用している)
    序盤で多少触れられていますが、結局は程度の低い親の問題かもしれませんが、伊藤氏はその特定を避けています。
    それは、本書のレビューに一つ星を付けた、上から目線で名前を語るなと書いた人が居るように、中年以降の年齢からすれば珍妙極まりない名前であっても一生背負わなくてはならない方への配慮でしょうか。
    提言しておけば哀れな名付へのブレーキになったかもしれないのに。

  • そうそう、こういうこと知りたかったんだよな、という一冊。

  • まず先に、率直な感想を一言。
    プレママパパさんたちに必要なのは、名付け辞典ではなく、「名付け」という儀式のもつ意味や歴史を伝える本なのかな、と。。。

    この本ほ、キラキラネームを第三者の視点から、肯定も否定もほどほどに検証していくので、押し付けがましくなく読みやすかったです。
    わたしが20代半ばで、わたし自身は出産未経験ですが、似非キラキラネームを子に名付けている友人は結構いて…。
    しかも、わたし自身が似非キラキラネームに慣れていて、違和感が薄れていて、本書に登場するキラキラネームも「え??これもそうなの??」ということも、多々ありました。
    最近登場した言葉だし概念だし、人や環境によって範囲にズレがあるものではありますが、日本における「名付け」という儀式についても知ることができました。

  • 難読の「キラキラネーム」が増えているという話は、以前から話題にはなってきた。
    本書以前にも、そういう名づけが、音重視も発想に、「世界で一つだけ」の名前をプレゼントしたいという親心から起きた現象とか説明されていた気がする。

    本書では、キラキラネームを命名する親たちは、実は存外キラキラネームはイタい、と思っていることを指摘していて、そこがまず面白い。
    で、結論的には、日本の漢字政策も反映、つまり漢字の意味を考えるべきとする「漢和辞典的規範」意識の薄れが原因とみている。
    その結論自体は、失礼ながら、なんとなく予想通り。
    その過程で、名づけや言語意識を歴史の中で確認する章が続く。
    例えば、明治初期、戸籍で一人一姓一名に制限して登録せざるを得なくなったときの、明治の元老たちの対応が面白い。
    実名を登録した人、通称を登録した人様々なのだが、係が間違えたり、代理人が間違えたりして、違う名前になってしまっても、当人はあまり気にしていなかったとか。
    私はこういった個々の事実も面白かったが、この辺りは読む人によってはまどろっこしいと感じるかも。

  • ものすごく軽~い書名ですが、
    中味はなかなかの読み応え
    単なる 「イマドキの命名は…」になっていない
    読み応えのある一冊になっています

    筆者が古典文学に精通しているのも
    その論考の厚みになっていますね

    巻末の参考文献のランンアップが
    とても興味深い

    名付けの意味
    名付けもまた その時代を反映する
    名付けもまた その教養が背後にあった(!)
    名付けもまた その教養のあるなしが大きく左右する

    「漢字」そして「感字」の造語
    いやはや 楽しい時間が持てました

  • とってもおもしろかった!昨今のいわゆるキラキラネームから、万葉集の時代まで遡って「読めない名前」を大研究。難読名乗りブームは今までにもちょくちょくあり、難読ブームと、使用文字や読み方の制限などが何度か繰り返されてるのがわかった。江戸時代には光多(みつな)、美臣(よしを)、明治前後に「十九(とみちか)」「松(ときわ)」って名前があったとか、昭和初期にも欧米への憧れから、「亜幌(アポロ)」も「七分(すちぶん)」って名前があったとか…
    そもそも今では当たり前のようになってる漢字の読みも、そもそもは難読ネームだったという話も。「和」と書いて、かず、との読みも、本居宣長が、あやしき訓だとか言って問題視するようなものだったらしい。日本語の漢字がそもそも構造的に自由な読みを許容しやすいというようなことは聞いたことがあったけどもほんとにそのようです。
    著者としては、結局、そういった歴史的な難読ネームと、現代のキラキラネームとの違いは、現代のは、漢字の意味まで深く考えずに、感覚で使っていることと捉え、漢字の深い歴史に思いを馳せずに、これを薄っぺらいものにしてしまってるのではないかという問題意識のようです。現代の難読ネームにも、漢字の意味まで考えてるものもあるとは私は思うけどね。でも知らないことがたくさん書いてあって、「へー」で終わらない考察までちゃんとされてて、とてもおもしろかったです。

  • 日頃のニュースで登場するときといえば「読めない!」「ひどい!」というネタ提供でしかないキラキラネーム(またはDQNネーム)を、日本語の漢字受容史や歴史的な命名の変遷などもふまえてまじめに分析した本。無責任な批判でも安直な羅列でもなく、予想外の深さでおもしろかった!
    20年余前に見出された頃は「頭の悪そうな」「ヤンキーっぽい」でかたづけられたが、今や人気の名前トップ10の多くが(擬似)キラキラネームという現状、いろいろ考えあわせてみるとこの問題は奥も根も深く、こういう名付は漢字受容からこのかた多様な音訓や万葉仮名・和製漢語を生み出しルビまで駆使してきた日本語のほとんど性(さが)のようなものということにも納得できたし、一方で漢字の扱い方についてはこれが当たり前になっていくのはあやういという危機感にも共感した。

  • 専門だけあってか、割と後半も面白かったです。
    なんだ、日本は昔からキラキラネームだったのか、と。
    和える、の漢字の感覚とか、あ、和子も変な読み名前なのね、と。

    何事も、一人よがりの考えすぎは良くないのだなあ、と遠い目。もうちょっと漢和辞典読もうよ…と思った。

  • 初読

    キラキラネームの氾濫の原因は当用漢字に代表される
    国語・漢字教育の変化による漢字感の変化。
    でいいのかな(大分駆け足で読んだ)

    森は深かったけど、概ねキラキラネームを付けるのは
    知性が足りない、に収束するような…w

  • 学校の仕事をしていると、こんなこと普通。どうやってこの字を出せばいいのか、わからないこと多し。これに異体字が絡むともう大変。

  • 名付けをきっかけとした、日本人と漢字との関係の歴史を考察した1冊。
    タイトルは軽いですが、中身はしっかりしていると思います。

    正しいか正しくないかは置いておいて、とても納得できる内容です。
    と同時に、我々がいかに薄っぺらな漢字の世界に生きているか、反省させられました。

    知識の浅さが若干気になる点もありましたが、個人的には、十分に満足できました。

  • 2015/5/29読了。
    これは国語の本である。読みやすい文章だが内容はかなりしっかりしている。
    著者のバランス感覚が素晴らしい。著者はキラキラネームやDQNネームをバッシングするのでも擁護するのでもなく、疑問を抱いてそれを解き明かそうとする。社会的に(特にネット上で)ホットな現象についてこういうスタンスが取れる人は昨今では貴重と思う。そういうまっとうな人に疑問を抱かせる時点で、すでにキラキラネームはかなりアレなほうへ寄っている代物だとは思うが。
    キラキラネームとは要するに親の国語的教養や社会感覚や規範意識や想像力の欠如(と言っては言い過ぎになるなら変質と言ってもいい)によるものだと思うが、勉強をさぼっていたから馬鹿だからという親個人の責任と言い切れない問題が、少なくとも国語の面には横たわっていることが、本書を読むとよく分かる。本書によれば戦後の国語国字改革がそのキーワードだ。案外と高学歴な人でも雪崩を打つようにキラキラネームを付け始めた理由がここにある。キラキラネームを付けた親自身が、そして付けられた子供自身が、それをキラキラネームだと理解できないという痛ましい状況の理由もここにある。
    あとは、社会感覚の面や想像力の面での考察を行う類書の登場を期待したい。日本の庶民が我が子を「世界で一つだけの花」として扱うよう世間に要求するようになったのはいつからか、我が子に「オンリーワンの名前」を付けても良いと思うようになったのはなぜなのか。それが知りたい。

  •  どうやって読んだらいいのかわからない名前が増えてきている。例に上がっているのが以下の名前だ。

    1.「苺苺苺」
    2. 「紗冬」
    3.「愛夜姫」
    4.「手真似」

    モクモク羊は、「いちごたくさん」、「さゆ」、「あやひめ」、「てまね」と思ったが、甘ちゃんだった。正解は、「まりなる」、「しゅがあ」、「あげは」、「さいん」。

    著者によると、このような名前を付ける親は一部の特定の人たちに限らない。むしろ、日本語の歴史をたどると「無理読みは伝統だった」と述べている。

    今でもキラキラネームに対して批判している人はいるが、今に限ったことではなかった。古くは「徒然物語」の著者の吉田兼好や、江戸自体の国学者の本居宣長が痛烈に批判している。

     明治維新で文明開化が起こった時、西洋から入ってきた概念や物に対してそれ相応に見える漢字を当てて新しい日本語の一丁出来上がりで大量生産してきた。

     人命に関してもなかなかきらりと光る名前がある。1959年に出版された『名乗事典』(荒木良造編・東京堂出版)を著者は紹介している。その中で男子と女子でうーんと思ってしまう名前が挙げられている。その中でも特に印象に残ったものを挙げる。男名では、松と書いて「ときわ」と読む。女名では、日露英仏と書いて「ひろえ」と読む。どちらも難易度が高い。
     
     著者が「漢字」から「感字」へとして漢字を文字としてではなく感覚でとらえていると、漢字の調査をしている笹原宏之早稲田大学教授の分析を交えながら指摘している。「感字」とは恐れ入りました。

     「感字」で子どもの名前を考える親がこれからも出てくるだろうから、もっと驚くような名前が登場してくるに違いない。子供が非公開度まっしぐらの札付きの悪になるか、それとも森鴎外の子供たちのようにキラキラネームに負けることなくいろいろな分野で活躍する人間になるか、子供も大変な時代を生きているなあ。

  • もっと研究してほしかった。なんだこりゃ。ランキングばっかり。

  • キラキラネームを、読めない名前と定義し、分類と成立した背景を探っている。キラキラネームを、夜露死苦(よろしく)的なものとしたマイルドヤンキー説のような迎合的で安易な話ではなく、そもそも日本の漢字というものは日本の言葉(音)に中国から伝わった文字(意味を含む)を当て込んで成長してきた、というところからの考証。漢字文化の土台が変わりつつあることの表面化のひとつと結んでいる。字面の話に終始し、『なぜ、付けるのか?』には迫れていないが、これだけでも非常に興味深い内容だった。
    キラキラネームは、それぞれの時代にあり、清少納言、吉田兼好、本居宣長らが、眉をひそめた話は笑える。

  • 2017年6月30日読了

  • 子供への名付けほど迷うものはない。
    字画、音、漢字、意味、言いやすさ.....。
    迷いに迷い、最近の名付け本などを開くと、眩しすぎるお名前ばかり。
    いや、やっぱりここは中学時代から考えに考え抜いたあの名前でいこう!
    そして保育園に通うことになって、同じクラスの子供達の名前を聞いてみると、かわいいしかっこいい、けれど漢字を目の前にしてみると、読め.......ない。
    しかし半年も経てば慣れてきて、読めなかった名前が「普通」に感じるようになる。
    何が「普通」かは慣れによるものが大きいのかもしれない。

    批判されているキラキラネーム。
    だが、はてさて、本当に「光宙」(ピカチュウ)なんているのか?
    それに、「光」をピカなんて読まないでしょ、と鼻で笑って馬鹿にしているそこのあなた!
    読むんですよこれが。
    ピカイチ、漢字では「光一」(パソコンの変換でちゃんと出てきますよ、大辞泉に掲載も!)の読みとして。
    「光宙」は「みつおき」さんがいたそうで、変な漢字の並びでもない。
    こりゃあ、キラキラは馬鹿親がつけるもの、と笑っている方が浅学を晒している方かもしれぬ。

    そもそも、名前につける漢字の読み、である名乗り自体が無理読みなのだそうで、「和子」という名前ですら本居宣長は批判していたそうだ。
    名前の読みにくさというのは昔からあるものだとは知っていたが、「普通」に見える名ですら、出た当初は批判の的。
    もちろん現代と、神話や平安、江戸期、それぞれの時代背景を考えれば一緒に論じるのは無理があるが、漢字を輸入し、音を当てはめた日本ならではの面白くも見える混乱だとも言えるだろう。

    明治の文豪、森鷗外の子供達の名前は単なるキラキラネームではない。
    読めない名前はみんなキラキラだ!と乱暴にくくれば確かにそうかもしれない。
    しかし、そこには文豪と呼ばれるにふさわしい知識と経験があってこそ、名付けられた意味がある。

    言葉は「今」だけに生きているわけではない。(244ページ)
    私たちが心を込めて贈りたい名前は「意味のない単なるデザイン(同頁)」ではない。
    私たちは初めての、そして一生ものの贈り物について、もっと深い考察が必要なのかもしれない。

  • 極端なキラキラネームを取り上げて、嘲笑するだけかと思いきや、日本語と漢字の歴史や関係性がよくわかり、思いの外勉強になった。しかし、名前がキラキラしているかしていないかは、個人の感覚で全く異なる。共感を得られる人と、そうでない人では感想が全く異なる本です。

  • 漢字制限たる「当用漢字」が当然となった団塊ジュニア=当用漢字第三世代が「感字」を用いて命名することで生じたのが「キラキラネーム」、というのがまとめ。
    そこに至るまでにはながーい歴史的推移があった。「真名」と「仮名」、そして実名=諱(いみな=忌み名、口に出すことが憚られる名)と仮名(通称)、さらには諱=読まない名前と関連する言霊の力のこと。
    時代が下って明治に至り、戸籍法で名前が一つにして苗字も一つ必須となった「壬申戸籍」。そこで難読苗字が発生、改正戸籍法で苗字新設が禁止された。しかし名前はそんな制限が無いので自由に付けられるままだった。
    戦前で有名なキラキラネームといえば、森鷗外と重森未玲の子どもたちの命名。
    森鷗外:於菟(おと=オットー)茉莉(まり=マリー)杏奴(あんぬ=アンヌ)不律(ふりつ=フリッツ)類(るい=ルイ)
    森於菟:眞章(まくす)富(とむ)礼於(れお)樊須(はんす)常治(じょうじ)
    重森未玲:完途(かんと)弘淹(こうえん)由郷(ゆーご)埶氐(げーて)貝崙(ばいろん)
    ただし彼らの命名は古典に基づいている。例えば「於菟」は楚の言葉で「虎」の意味であると春秋左氏伝に載っている。明治ならばある程度の教養があればダブルミーニングだと理解できた。
    漢籍の知識があることで、漢字の深い森を自由に歩めた。しかし今は「当用漢字」そして「常用漢字」で(漢字の森を歩きやすくなったが)漢字が制限されてしまい、自由に歩める範囲が狭くなった。つまり、万人が漢字に触れやすくなったため、漢字に対する常識が失われてしまった。
    そのため、漢字に含まれる意味が、その字面の薄い意味から感字として扱われてキラキラネームが生じた。
    私はキラキラネームを名付ける側の世代である(兄が娘にキラキラネームを付けるのも見た>_<)のだが、漢字への想いがかなり強かったため、キラキラネームへの抵抗感が非常に強く出た。
    残念なことに、知識は学ばないと身に付かない。今は英語偏重で、漢字と漢文の価値が非常に軽んじられた世界になっている。なんとかならないものか、と苦々しくみているところである。

  • 前半から中盤にかけて、ベタな引用ではあるが、比較的分かりやすく書かれていた。

    しかし、最後の2章くらいから、突然、テンションが上がったようにテーマそのものを批判しはじめて困惑した。

    しかも、「三代目は会社を潰す」と唐突に言い出したかと思えば、だから今の親世代はだめなんだという、なぜそうなった?という結論を出してきた。

    結局、それ言いたかっただけじゃん?

    明治のキラキラネームは漢文の知識に裏付けられたいい名前っていうのもどうなの?

    あと、昭和前期のキラキラネームを一切触れてないところに「痛いなこの人」という感想しか持たなかった。

  • 本屋で見かけて衝動買いしました。確かに、最近の親のネーミングセンスってすげぇとんがってるなと思ってたんですよ。

    しかし、読んでいるとどうもモヤモヤする。論のキレが悪いし、著者の提言にしてもそうですが全体的に何を言いたいのかなかなか要を得ない。「キラキラネームって結局何?」ということが知りたくて手に取ったのに、「いやぁ、それについて調べてみたら、どんどん漢字の深い森にね……」と言われたって、困ってしまいます。

    それでも、私なりに何とか要点を拾い出してまとめてみました。

    ・キラキラネームにはパターンがある。
    ・キラキラしたネーミングセンスは何も今に始まったことじゃない。
    ・「漢字本来の字義の無視・忘却(「感字」化)」が今日のキラキラネームを生む土壌であり、そこには日本の国語政策も加担している。

    以上三点がこの本の主題でしょう。そして、私も抱き、筆者も抱いたであろう「キラキラネームに対する違和感」は、

    1、世代(当用漢字第何世代に属しているか)
    2、教養(漢字本来の字義をどれだけ理解し大事にしているか)

    の違いに由来するということのようです。

    まぁ、分からなくはありません。「名づけにまつわる日本の漢字文化」という点でなら、この本はよく調べているように思います。私も知らなかったことが多かった。
    しかし、何か釈然としないものが残ります。何だろうと考えたのですが、結局「キラキラネームはアリか/ナシか」ということにそもそも私は関心がないということに気づきました。むしろ、「『DQNネーム』という明らかに蔑称である言葉でもって、人様の名前に口出ししたくなるような精神構造がどこからくるのか」ということを私は知りたいんだと。
    その点では、「日本は言霊の国だから……」程度の話が出たくらい。あまり参考にならなかった。

    私自身は、違和感は感じるものの、人様の名前にどうこう言いたくない。端的に、余計なおせっかいだからです。どんな名前だろうと、一応、親の子に対する願いが詰まった大切な贈り物ですからね。「DQNネーム」という言葉には「こんな名前をつける親の神経を疑う」というニュアンスが含まれます。だから、親の子に対する願いに勝手に口出ししているような気持ち悪さがあって、私は嫌なんですよ。「キラキラネーム」と言い換えたところで、どうかなとも私は思うわけです。
    生まれたばかりの子どもに最初に与える「名づけ」は間違いなく親の責任です。ただ、一度自身に名づけられた名前をまた自分で「名づけ直す」のは、子どものほうに権利と責任があります。「光宙」くんだろうと「悪魔」ちゃんだろうとそれは変わらないはずで、そういう手続きだって法的に出来ない訳ではない。
    とにかく、「『感字』でなく、漢字の本来の意味を大事にしよう」というのは確かにその通りかもしれませんが、もっと別に問うべきことがあるように感じました。

  • 子どもの名付けの参考までに読んでみました。昔ながらの日本語ならではの背景など色々なことがわかって楽しかったです。ところどころ、難しい話もあり、もう少し読みやすい文章だったらもっと良くなっていたと思います。

  • 図書館より。

    キラキラネーム、奥が深い。
    自分の子どもの名前、キラキラじゃないと思うが...。
    名付けは奥が深い。

  • 感想未記入。引用省略。

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