バベルの謎: ヤハウィストの冒険

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (458ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120025358

作品紹介・あらすじ

旧約「創世記」の天地創造からバベルの塔にいたるおなじみの物語をラディカルに読み直す。

感想・レビュー・書評

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  • カインとアベルのお話でしたっけ。
    あのJ.Deenの映画「エデンの東」の素材をいじっていた。
    ああいう作品のお話を単に「泣ける」映画であると言い切る
    日本の映画俳優さんに対してはちょっとなあ…ちゃんと読み
    「直す」というか、作品の意図を忘れられてもどうしようも
    ないだろう!と。

  • ブリューゲルの「バベルの塔」は実は二つ存在しており、ウィーンとロッテルダムにある。有名なのはロッテルダムのほうだ。こちらをよくよくみてみると、いろいろと不可解な事象が現れている。画面の右と左で天候が異なっていたり、岩から直接建物が「生えて」きていたり。

    ブリューゲルは旧約聖書を正確に読み込み、そこから本作品を創り上げたとのこと。では、旧約聖書を正確に読み込むとはどういうことであろうか。

    本書『バベルの謎 ヤハウィストの冒険』において筆者長谷川三千子は旧約聖書を「教義的な立場をはなれて虚心にこの物語をみる」ことで、その解釈に斬新かつ、非常に納得感のある解説を施している。「斬新」というのは、これまでのカトリック教会的解釈、あるいはカトリック教会への反発を恐れる会社から、自由に解き放たれた世界観からの、無理のないまっとうな解釈という意味である。

    「無理のない」というのは、単純なミス、あるいは抜け落ち、改ざんといった、「こうに違いない」という解釈を持ち込まず、「何故そのような事態になったのか?」といった当時の歴史感を踏まえた事実ベースの考察である。ともするとヘブライ語の文献はヘブライ語専門家(つまりイスラエル人)の研究が最高峰と思われがちだが、そこに言語的な思い込みや国民あるいは民族的な偏見、所与、制約が組み込まれていることがある。とりわけ強い宗教観に縛られている場合は、そうなることが多い。その意味では、遠く離れた東洋の国で事実ベースでしか研究することができない世界での成果が有用になることがよくわかる。

    翻ってみると、われわれ日本人も日本の歴史や仏教研究、天皇制などの研究において、意識できない深層心理で縛りが入ってしまっていないだろうか。そんな大げさな研究ではなくとも、日常の生活のなかでも、無意識的に思い込んでいる事態や行動で、正確な事態把握や改善ポイントが洗い出せていないのではないか、いやきっとそうなんだろうという思いを本書を読んで再認識したわけである。

    具体的にどんなポイントがそこに該当しているかははわからないのだが。

    いずれにしろ、バベルの塔を題材に、旧約聖書、あるいは「創世記」「原初史」の研究を述べいるところから、研究要領の見直しということが思い浮かんだのは、本書のパワーがそれだけ大きかったということなんだろうと思う。

    歴史的仮名遣いについても触れざるを得ない。本書は著者の「自分のまはりを流れてゐる「時流」から自由になつてものを考へる」ために「「話す言葉」とは違ふ領域に身を置くこと」であるとのことだ。読み始めはちょっとした違和感を感じるのだが、少し読み進めると内容の面白さによるからか、意外とすんなりと読み進めることができるのである。もしかして、どこかにまだ歴史的仮名遣いに対するDNA的受け入れ余地が残っているのか?しかしパソコンで打つには、思考の停止をともなってしまい難しい。歴史的仮名遣い対応のFEPもあるのだろうか?正仮名遣い変換するページがありました。

  • 知的好奇心を大いに満足させてくれる本!
    旧約聖書の読み方、神と人間との関係を論理的に示している良書。

  • 旧約聖書の原初史と呼ばれる部分に対する文学的なアプローチ。
    語句の一つ一つ、丁寧に解釈されている印象。面白く読めました。

  • もともと哲学の領域で研究されている著者が取り組んだバベルの著者とはだれか?をめぐる本です。やっぱり、研究書とはいえないのでマニアックな推理小説だと思ったほうがいいのではないかなと思っていますが、ともかく面白くって、大興奮で犯人探し……じゃなくて作者探しをしてしまう。ずいぶん前の本なのに、最近文庫になったみたいです。

  • 図書館で何回も延長して借りていたが、とうとう買ってしまった。哲学者が新しい角度から全て「旧仮名づかひ」で書く。補注、付録の文も充実。

  • 長谷川三千子 「バベルの謎」
    ……矛盾してないか??と思ってしまった
    旧約聖書でおなじみの「バベルの塔」を、他民族、多言語の状態の原因譚とするのではなく、全く新しい解釈をこころみたものである。
    旧約聖書の一部の著者をヤハウィストという一個人に設定して、彼が描こうとした、人とヤハウェの関係性を解き明かそうというもの。

    ヤハウェは、人と大地(人の材料であり、ヤハウェの力の及ばない存在だとされる)とヤハウェ自身のあいだの関係を相互に切り離し、自立した関係を築こうとした。特にヤハウェが躍起になったのは、人と地の関係を絶つこと。そのために、カインはアベルを殺して、その血を大地は吸うことになり、地は呪われ、カインはさまよい、ノアは、洪水によって大地から箱船でて浮き上がることになる。
    その果てに、ヤハウェは、人と地を介在しない、ことばだけを対話の通路とした、自立した関係を目指す。
    しかし、この「ことば」が、どうしようもなく大地に根付いたものであるという絶対的矛盾にヤハウィストが気がついたことにより、「バベルの塔」という破綻の物語は誕生したという。

    しかし…
    「ことば」が大地に根付いたものという考えってそんなに当たり前のことか?そもそもヤハウィストにとってそう考えることは必然性があるのか?
    というのも、現代だけを考えてみれば、確かに日本人は、日本語を話し、イギリス人は英語を話し、関西人は関西弁を話している。その人が話す言葉は、その人が生きる地に規定されている。
    しかし、宗教における「ことば」というものは、あっさりと大地を超える。
    ラテン語は、中世ヨーロッパにおいて、その人が普段何語を話していようとも、キリスト教の中では共通語であり、唯一の言語だったし、古代東アジアでは「漢字」が共通語となって仏典が翻訳され、儒教の書は伝わった。もっと極端なのは、イスラーム教で、クルアーンはアッラーが「アラビア語で」ムハンマドに伝えたからという理由で、長い間、アラビア語以外の言語に翻訳不可能されてきた。今でも、アフリカでもインドネシアでもクルアーンはアラビア語で詠唱されているのだろう。その人がふだん何語を使っていても。
    これら神聖語は、日常言語の上位におかれ、文字通り神の言語として尊ばれる。
    つまり、宗教的思想にたてば、別に「ことば」(ここではヘブライ語を指すのだろう)を大地に属するものと考える必要はないし、普通は、ユダヤ人はヘブライ語をヤハウェという全知全能の神が人に与えた神聖語と考えるのではないだろうか?
    実際、現在のヘブライ教徒が、古代に書かれたユダヤ教典をまだ読むことができるのは、そのようにヘブライ語が神聖視されてきたためだろう。
    多言語が、それぞれ等しく「対等」であり、代替可能という感性は、多分に近代的なものであると私には思えるのだが。正直矛盾であり、本書に納得できない。

    だから私には、バベルの塔の話の重要性は、むしろ著者が二章で述べている、ユダヤ教はユダヤ民族の宗教でありながら、その神は全世界を統べる唯一神という構造にあるのではないかと思った。これは、ユダヤ民族は誰であるかというナチスドイツが悩み、現代パレスティナ問題にも関係深い問題にも触れるものであるけれど。
    全世界の唯一神が、ユダヤ民族を愛し救うという「選民思想」。では、救われるユダヤ人とは誰なのか?神聖語たるヘブライ語を話すものなのか?ユダヤ教徒なのか?ユダヤ人の血統なのか?もし、ユダヤ人を「閉じた」排他的な概念とするならば、ユダヤ教は世界の唯一神を神としながら、世界宗教たりえず、しかし、ユダヤ人を、例えば日本人が後天的になれるような開かれた概念とするなら、それは既に「民族」の枠を超える。二章で著者によって暗示されたこのねじれた構造の方にむしろ私は興味を引かれる。
    ちなみにイスラーム教は、ウマイヤ朝からアッバース朝に替わるときに、この問題に直面し、アラブ民族より、イスラーム教徒たることを選ぶことで、世界宗教となった。イスラーム帝国では、何民族であるかということより、イスラーム教徒であるかないかが指標だった。
    まあ、はっきり言ってしまえば、ユダヤ教徒が広範囲を支配する政治体制を歴史上一度も確立しなかったから、この矛盾に直面する事態がなく、そのまま現代までやって来たのだろう。しかし、パレスティナを良くも悪くも支配するようになった今、そうはいかないのだろうと思う。

    ん〜本の内容的には承伏できかねる点もあったが、いろいろ考えさせられる本だった。梅原猛の本みたいに細かいところ気にせずエンタティメントとして読むべきだったか。

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著者プロフィール

1946年生まれ。哲学者。著書に『バベルの謎|ヤハウィストの冒険』(中公文庫)、『民主主義とは何なのか』(文芸新書)など。

「2007年 『自由は人間を幸福にするか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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