- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121000279
作品紹介・あらすじ
付: 参考文献209-212p
感想・レビュー・書評
-
「主権在民」・「男女平等の普通選挙」・「団結権・団体交渉権の保障」など世界で最初に「社会権」の保障を掲げ、当時としては最も民主的な憲法(ワイマール憲法)を持つことでお馴染みのワイマール共和国(1919-33)の歴史について書いた本です。しかし、そんな憲法の名声とは裏腹にこの共和国の歴史は苦難の連続でした。第1次世界大戦(1914-18)でドイツ帝国(第2帝国)が敗れた後、スパルタクス団の蜂起(1919)に始まり、敗戦による賠償(金)問題、その支払いの遅延を理由に起こったフランス・ベルギーによるルール占領(1923-25)。そこから発生した爆発的なインフレーション(当時の首相シュトレーゼマンにより奇跡的に回復)。これ以降の賠償問題は、ドーズ案(1924)・ヤング案(1929)・ローザンヌ会議(1932)で賠償金の削減は徐々に削減に成功。また対外的には、ロカルノ条約(1925)・国際連盟へのドイツの加入(1926)・不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)(1928)と平和路線を成功したかに見えましたが、1929年の世界恐慌の影響を受け、それはヒトラーによるナチスの介入を招き、1933年についにナチスが政権を取ったことによりこの共和国は倒れてしまいます。第1次大戦からヒトラーの政権獲得までの歴史をよくまとめている良い本だと思いますが、書かれたのがけっこう古いのが唯一の難点でしょうか。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ワイマール共和国時代のドイツの歴史に関する本だが、本書を読むと、成立当初から政治体制が不安定となっており、特に左派勢力の内ゲバの混乱が極まっていた。その後の世界恐慌が決定打となり、ドイツ社会がいっそう乱れて不満が募った。そんな中、ヒトラー率いるナチスドイツの勢いが増して、日増しに支持されていく。しかし、全権委任法によって権力がヒトラーに集中し、ワイマール憲法は無力化した。これにより、ワイマール共和国は終焉を迎えた。
-
チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態である。民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば。」というセリフは、運用する側の問題如何でもある。ワイマル共和国の盛衰史、もしくは衰亡史を読むと、外部からの圧力もあったとはいえ、とても民主制を運用できる状態ではない。下手である。
ドイツは歴史的に賢い国だった。カントもいたし、ニーチェもいた、この時代にはハイデガーもいた。しかし、そんな国でも不幸なかけ違いが連鎖すれば、転がり落ちることを誰にも止めることができない。おそらくこの時代がドイツ史上最悪の時代といっても過言ではないと思うが、誰もそれをコントロールできない。
ワイマル共和国の歴史は短いが、部分的には建て直しに成功したと思える時期もある。ヒンデンブルクが大統領の座に就いたあたりは政治的混乱もハイパーインフレも落ち着いている。アメリカからの資本の影響が大きいとはいえ(そのせいで大恐慌の傷は深くなるが)、失業率も改善される。しかし、ヒトラーの独裁を許す結果になったのもヒンデンブルク(パーペン)である。
ヴェルサイユ条約や外資による経済復興など外的要因も大きいし、内政上の問題も思ったより理性的に動く人間も多い。シュライヒャーの暗躍と失策などもあるが、当時でも無法者の右翼政党ナチスへの危機感は共有されており、最善ではないがベターな対応をしているように思う。
しかし、それも歴史がこうなってしまった以上は失策の誹りを免れないだろう。
そのあとの歴史は知っての通りだが、本書は意外とリーダビリティを高めるような構成がなされており、読みやすい。ワイマル共和国についての概要はこの一冊で充分かのようにさえ思える。 -
-
「しかし彼らは目前の苦境に追われて、社会と人間の存立のために最も重要なものがなんであるかを認識することを忘れた」
-
昔読んだ本
-
最近読んだ新書で最も示唆に富み、かつわかりやすいという名著に思います。
政党の偏狭な視点、楽観、民主主義への不理解•国民の未成熟がナチス台頭の内的要因となったとの指摘は、50年を経ても今に問いかけるものがある。
最後の数ページだけでも繰り返し読みたい。
単純に、二つの大戦間のドイツ史を知る上でもこれ以上なくまとまっていて読みやすい。
ドイツ史からドイツ史以上のものが学べる傑作新書である。 -
1963年刊行、中公新書整理番号2ケタ。文章はところどころ古さを感じるところもあるけど全然読める。
高校世界史レベルで言うと、WWⅠ→キール軍港の反乱→ドイツ革命→ヴェルサイユ条約→ルール占領・シュトレーゼマン外交→世界恐慌→ナチス政権奪取、くらい。大筋間違ってはないけど、細かく見るといろんな人がいろんなことしてるなぁ。ナチスの台頭一つにしても、抑えこもうとするヤツ、歯向かおうとするヤツ、取り入ろうとするヤツ、取り込もうとするヤツ、、あ後から見るとナチスの政権奪取は歴史の必然とついつい思っちゃいがちやねんけど、歯車一つ、思惑一つで歴史は変わってたかもなぁ、と思いを馳せるにはすげーオモロい一冊。 -
◆戦後ドイツ史の前提、そして世界史的に重要な位置を占めるワイマール憲法の問題点を露呈した戦間期ドイツの政治。これを丁寧に描出する古典的ロングセラー◆
1963年刊。
著者は東京大学名誉教授。
憲法論・憲法制度史から見て絶対に外せないワイマール共和国。その成立から崩壊までをドイツ国内の政治史を中心に描写する古典的ロングセラーだ。
教科書的には、第一次世界大戦後、敗戦国のドイツが巨額の賠償金と経済的復興がなかなか進まない中、紆余曲折、あるいは左右からの中道への攻撃の中で、政治のかじ取りが困難になり、遂に沈没していったというものだろう。
本書はこの基本的流れをより詳細に解説していく書と言えそうだ。
元来、ナチスドイツから戦後ドイツへの変遷に関し、ワイマール憲法やその制度は、戦後ドイツ(特に西ドイツ)において、これらの継承と超克の両面を併有しているが、これを正しく理解する上でも、ワイマール時代の政治的問題点の理解は重要である。
日本国憲法を含む他国の憲法との比較の観点に加え、
さらに言うと、ワイマール憲法の長所と短所は、旧憲法を含む戦前日本の問題点の克服という視点で見ても、ワイマール的憲法観・諸制度を継受した現行憲法の意義を理解するためにも重要だし、前提知識であるとも言える。
勿論、現行憲法を基軸とする戦後日本の諸制度を照射する上でも同様だ。
こういう観点で本書を読んでみて、色々思うところはある。
その中で、
➀ 帝政に親近感を持つ国防軍保守派を野放しにせざるを得なかった(人事面で改革派を引き上げられなかった)。
➁ ソ連一国主義の体現者コミンテルンに右往左往させられたドイツ共産党(ないしこれに近い、独立社会民主党)。
➂ 巨額過ぎる賠償金。特にフランスの感情的対応が、結果としてドイツを政治的にも経済的にも袋小路に追いやってしまい、窮鼠猫を噛む状態が理性的・合理的外交政策の喪失に直結した。
➃ 右派・左派の強固な対立が議会運営を阻害。さらに夫々が各地で武力叛乱を起こす等、自らのインフラ基盤の破壊、人的資源の無駄遣いに帰結。
➄ 議会第一党の社会民主党が、1923年~28年まで政権を担当せず、議会不安定の状況に事実上手を貸していた。
➅ 議員は中道・左派が相当数であったにもかかわらず、官吏が帝政時代の延長で、特に軍隊・司法官の発想と国民との顕著な乖離。
➆ あるいは、バイエルン(中心地はあのミュンヘン)の反プロイセンという歴史に根差したドイツ各地の独立・自立志向が負に働いた。
という辺りが印象に残る。
なお、意外なことに、フランスによるベルサイユ条約順守・強硬政策が採られていた際、中道右派のヴィルト内閣は、なんとソ連との間で、平和友好を基軸とするラッパロ条約を締結した。
これは、第一次世界大戦における戦時賠償金を相互に否定、ロシア革命で没収された資産の返還要求の放棄の他、この条約による相互関係を前提(秘密協定ではない)に、どいつ軍の兵器製造と兵員訓練をソ連で行う一方、ソ連軍需工場へのドイツの技術支援が水面下で推進した。これは、後の展開を考えると見逃せない事実の摘示と言えるだろう。