大衆教育社会のゆくえ: 学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書 1249)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121012494

感想・レビュー・書評

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  • 25年も前の著作だが、データを丹念に扱い、他国との比較も踏まえ、戦後の日本教育の変遷を辿った語り継がれるべき良書。今でも学歴の再生産と固定的知能観を醸成させていることは否めない。大学入学共通テストもどうなるんだかねぇ...。合否判定する側の力量の方が問われるだろう...。

  • ●教育の量的拡大
    ●メリトクラシーの大衆化
     高校進学率の爆発的拡大と合わせて、経済的理由によって進学を断念しなけらばならないという貧困問題が希薄化。だれでも努力次第で進学できるように見える社会が到来した。
    ●学歴エリートの非選良性
     量的に拡大した新制大卒層がエリートとしての自覚や世代間再生産の後ろめたさを持たないまま、漫然と中間層上層を構成している現代日本の実態

  • <概要>

    『知的複眼思考法』で有名な(少なくとも個人的には…)苅谷剛彦氏の著書。
    日本に特有な「大衆教育社会」が成立した経緯及び生み出される問題、隠されている問題を検討する。「大衆教育社会」の特徴は以下の三つである。
    ①教育が量的に十分供給されており、国民に広く行きわたっている。
    ②学校における成績によってエリートが選抜され、エリートがその後の人生において非エリートに対する相対的な優位に立てることが社会的にある程度認められており(メリトクラシーの大衆化)
    ③エリート層はあくまで「学歴エリート」であり、独自の文化を持たず大衆に基盤を置いている。

    まず日本における教育機会に関する検討が行われる。戦後に関しては親の経済力が子供の教育機会に如実に表れる傾向があった。経済成長を経てこの傾向が希薄化された後も、親の階層(学歴・職業)によって子どもの教育機会は強い影響を受けたが、この相関関係は大きな社会問題としては取り上げられなかった。
    この要因として筆者は、以下の二つを指摘する。
    第一に国民に根付いた学歴社会観であり、「誰でも学校で成功すれば成り上がることができる」と思われたために、学校教育が階層に関して中立的とみなされたことである。
    第二に、生徒の受ける差別感をなくすために日教組が唱えた「能力平等論」であり、これは学力差を(出身階層にも由来する)能力差としては見ず、高い学力を努力の成果だと捉えるものである。
    しかしこのように形成された「大衆教育社会」も近年(本書の出版は95年)揺らぎ始め、教育に全てを求めるのではなく教育に「できないこと」を検討すべきである。

    <所感>

    極めて雑な概要でまとめてごめんなさい。所感は以下の三つ。
    ①能力の平等を日教組が主張したことが、表面的な平等感を作り出し社会階層と教育機会の問題を隠蔽した、という部分の議論展開は面白かった。理想理念が日教組にとってより深刻で重大そうな問題を隠蔽したと。

    ②エリート層と非エリート層の間に文化的・精神的な隔絶がないことが労使協調に寄与した、というのは興味深く、新しい観点を得られた。

    ③大学に進学した際のことを回顧すると周りの友人の出身社会階層がかなり限定されていたことが思い出される。多くの友人は、親が有名企業勤務のサラリーマンだったり、公務員だったりする場合が多くて、ブルーカラーが少なかったため、個人的な経験からも筆者の主張は実感できる。
    加えて地方格差が酷いと受験期には思っていたので、筆者の議論に何か付け足すとしたらその辺かと。

  • 教育社会学のパイオニア・苅谷剛彦氏が書いた15年前の書である。しかし、内容は今にも通じるものばかりである。経済から見た教育格差。大衆化した大学教育とメリトクラシー。教育格差から生まれる階層・文化の違い。国際比較から見た日本の教育の現状etc...いずれにしても両極端に偏ることなく、バランスのとれたものが多い良書。教育社会学のバイブル。

  • 95年の著作でありながら社会学として普遍的な書だと思う。
    流石は東大教官がすすめる100冊といったところか(まあその手のモノはむやみに信用しているわけでもないのだけど)。

    この本ではデータを駆使して今まで全く論じられることのなかった点を追及している。
    それは学歴取得以前にも不平等はあり、小学生レベルでも親の社会階層によって学力が違う、ということ。
    正直これは子ども心に薄らと気付いていたけどある種触れてはいけないタブーのような部分があったように思う。
    やっぱり団地の子とか軽く馬鹿にされていたし、そういうのは確実にあった。
    また改めて振り返り、進学校と呼べる高校に入った子をカウントするとその分布にも面白い発見がある。
    最近ではAO入試というものが多いそうだが、この著者はそういったことに対しても「個性」や「創造性」が親の階層によって決められる可能性がある・・・と予言している。
    これは事実そうなっているだろう。
    また満足な職を得るにも親の階層が多いに関係している社会になっている。
    しかもこの手の本を手にするのも親の階層が関わってくるのだ。
    小学校入学時に親に配って感想を書かせるべき一冊。
    因みに個人的な感覚だけど、進学校でも親の階層を感じる部分はかなりあった。

  • [ 内容 ]
    本書は、欧米との比較もまじえ、教育が社会の形成にどのような影響を与えたかを分析する。

    [ 目次 ]
    第1章 大衆教育社会のどこが問題か
    第2章 消えた階層問題
    第3章 「階層と教育」問題の底流
    第4章 大衆教育社会と学歴主義
    第5章 「能力主義的差別教育」のパラドクス
    終章 大衆教育社会のゆらぎ

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「本書は、比較社会学の視点から、戦後日本の教育と社会とのユニークなむすびつきがどのように形成され、いままた、どのように変わりつつあるのかを探るひとつの試みである。」(まえがき■)
    「戦後日本社会の形成という謎に、教育と社会との結び目に着目することから迫っていく。本書は、教育に視点を置いた、戦後日本社会論のひとつの試みである。」(025頁■)

    著者の『知的複眼思考法』を実践したもの。

  • 教育社会学の視点からの、日本の教育の歴史と現状。

  • 戦後、国民の平等がうたわれ、形式上は階級格差がなくなったとされる現代だが、その背後には依然として教育の場で階級格差が残っている、と説く一冊。
    教育社会学かな?

  • なるほどなーと思った。確かに東大の子は東大、政治家の子供は政治家だ。入試の際に、その後の階級を決める公平で平等な「生まれ変わり」が行われているようで、実は、生まれたときから自分の階級は決まっているのかもしれない。少し怖いな、と思う。

著者プロフィール

オックスフォード大学教授

「2023年 『新・教育の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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