皇紀・万博・オリンピック: 皇室ブランドと経済発展 (中公新書 1406)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121014061

感想・レビュー・書評

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  • 万博や五輪が、経済発展のためという「下心」で誘致されるのは、半ば常識だと言えるが、戦前は「皇紀2600年」という皇室ブランドを使った「建前」を掲げざるを得なかった。それは国を強くする、団結するという目標が、個人の経済的利益の追求という目標を超越していたから。だが、建前の下で、ビッグイベントに伴って民衆はしたたかに計算を巡らせる。万博や五輪より、戦争の方がもうかるのであればそれでも良かった。著者の「戦時中の『欲しがりません勝つまでは」という有名な標語は、逆に言えば「勝てば欲しがるぞ」ということを意味している」という指摘には、思わず笑ってしまった。70年の大阪万博の際、40年万博で前売りした入場券を有効とし、実際に3千万枚余りが使用されたというエピソードは、戦前と戦後が地続きであることを伺え、興味深かった

  • 昨今の報道を通じて皆さんもよくご存じの通り、天皇制と元号制度は密接なつながりを持っています。ところで、あなたは明治維新~太平洋戦争終結までの間に使用された「皇紀」というものをご存じでしょうか?これは、元号・西暦とは別に存在する、日本独自の紀年法でした。この本では「皇紀二六〇〇年」というキーワードを中心に、オリンピックや万博、戦争といった国家的なイベントとの関連について概観していきます。戦後ほとんど一般に使われることの無くなったこの紀年法がどのようにして誕生し、戦前・戦中・戦後日本とどのように関わってきたのか。現代と繋がる、歴史の流れを体感しましょう。
    (生命理工学系 B2)

  • 日中戦争下の1940年が皇紀2600年の節目として、観光や娯楽などなかなか盛り上がっていたことは、今日ではよく知られるようになった。本書は、こうした理解を作った先駆的な著作の一つ。筆者の言う「皇室ブランド」を利用しつつ、金儲けや地域活性化を目論む人たちの、したたかな姿が描かれている。

    もっとも、こうしたしたたかさが、結局は戦争回避にはプラスとならず、アジア太平洋一帯での甚大な犠牲に結び付いたことを、決して忘れてはならないと思った。

  • 中央新書の一冊。本書が発行されたのは私が大学院の博士課程を修了しようとしている頃。ちょうどその頃大学院修士課程に他大学から入学してきた女性がいて,終わったばかりの長野オリンピックを題材に研究をしたいといっていた。彼女の卒業論文は私の論文を参照していたことから,私もそれなりに相談に乗っていたのだが,そんなことでオリンピックの政治性みたいなテーマはちょっと頭の片隅にあった。実際に本書を購入したのは古書店のようだが(巻末に鉛筆で350と値段が書いてある),購入の動機にはそんなことがあったと思う。でも,最終的には彼女の修士論文のテーマは別のものになって,私の関心とは離れたものになってしまったのだが。
    さて,本書はタイトルから分かるように,オリンピックといっても,日本のある時期に限定されている。端的にいえば,1940年に計画され,戦争のために幻と消えた東京オリンピックと万国博覧会だ。今日では万国博覧会は,2016年のオリンピック招致合戦のように盛り上がりはしないものだが,20世紀前半は同じような盛り上がりをみせ,万博もオリンピックも同時開催など双方が認めるようなものではなかったが,時代が時代で万博はともかく,オリンピックは開催決定までこじつけたとのこと。もちろん,このことは日本が日中戦争から太平洋戦争へといたる,自信に満ちた拡張政策と無縁ではない。その戦争では天皇が神格化され,思想的な支柱になったのは周知のことだが,本書はそれを「皇室ブランド」と名づける。しかし,一部の研究がそれに大きな影響力を与えるのに対し,本書はそれはあくまでも名目的なものにすぎないという。つまり,万博にしてもオリンピックにしても,運営側も国民も,望んでいるのはそうした天皇を頂点とした国民統合などではなく,それがもたらす経済波及効果だと断言する。戦争ですらも,戦勝によって敗戦国からもたらされる賠償金などを目当てとした金儲けの手段だったという視点はなかなか面白い。そのせいか,タイトルに上げる割には天皇の話が少ないのはちょっと物足りない。
    あまり期待しないで読み始めたが,なかなか面白い本。さすがに私には細かい記述が退屈で,いい加減に読んでいると重要な前後関係が分からなくなったりして困りますが,中公新書ものとしてはかなりレベル高いです。しかし,やはり近代日本ものはけっこう論調が似てきてしまうのは避けられないんですかね。

  • 「皇紀」とは何か。昭和15年、太平洋戦争の前夜に行われた「皇紀2600年」の式典。そのイベントの陰で、万博とオリンピックは開催が予定されながら、返上することになる。この皇紀と万博、オリンピックの3つのテーマを「皇室ブランドと経済発展」という光にあてて解きほぐした。
    読みやすい本ではなかった。何度も放棄したが、「皇紀」の部分のメモを記しておく。
    「皇紀」の制定は、明治5年11月15日。西暦では1872年12月15日。太政官布告第342号で政府が示した「神武天皇御即位をもって紀元と定められ候」の布達で、これが皇紀を正式の紀年法として定めたものだ。明治6年(1873年)1月1日の日本における太陽暦採用と同時に施行された。
    太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト定メラルニ付十一月二十五日御祭典(明治5年太政官布告第342号)
    今般太陽暦御頒行神武天皇御即位ヲ以テ紀元ト被定候ニ付其旨ヲ被爲告候爲メ来ル廿五日御祭典被執行候事 但當日服者参朝可憚事


    その昔の「皇紀誕生」の事情については、次のように記されている。――西暦602年に百済の僧観勒(かんろく)が日本に中国の暦法を伝えた中に讖緯(しんい)説があった。これは十干十二支で1260年周期の最初の化の辛酉(かのととり)と甲子(きのえね)の年に大変革が起きる、という説である。これに注目したのが当時女帝推古天皇の下で摂政となっていた聖徳太子であった。太子は、中国に遣隋使を送った際、時の皇帝煬帝に「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書き送って煬帝を激怒させたことから明らかなそうに、中国から最新の政治制度を取り入れつつ、天皇家を中心とする独自の国家を建設しようとしていた。そこで、太子は讖緯説を変革の正当化に利用したのである。すなわり、甲子の年に当たる西暦604年から中国の暦法(月日の数え方)を採用するとともに、天皇統治を正当化するため、辛酉の年(601年)から1260年さかのぼった年(西暦で紀元前660年)を伝説上の初代天皇(神武天皇)即位の年、すなわち日本国家創始のとしとして、史書「天皇記」を作成した。これによって、天皇中心の変革と日本の独自性がともに正当化された。そして、この考え方は以後受け継がれ、舎人親王らが朝廷の正史として720(養老4)年に完成させた『日本書紀』において、天照大神の子孫で、九州から諸国統一の戦い(「東征」という)を続けてきた神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)が、畝傍(現在の奈良県橿原市)に橿原宮を定めて初代天皇(神武天皇)に即したのが紀元前660年元旦とされ、この年が「天皇の元年」、すなわち神武天皇紀元元年とされたのである。
    (中略)
    こうしてみてくれば、欧米による植民地化を防ぎ、できるだけ早く不平等条約を改正する(「万国対峙」の実現)ための必要条件とされた近代化を推進させるための変革(明治維新)が、天皇親政(天皇主権)をうたい、変革の開始を宣言した「王政復古の大号令」(慶応3年十二月9日、西暦では1868年1月3日)の中で、「神武創業の始にもとづき」とうたっていることはごく自然であることが理解できる。なぜなら、植民地化を防ぐには、変革にともなう内戦をできる限り避け、さらに国内の団結を強化することが必要であるが、その手段として、長年君臨してきたことから、当時その政治的権威としての正統性をだれも疑うことのなかった天皇はうってつけであったからである。こうして皇室ブランドは、国家統合と近代化のシンボルとなった。

    そして皇紀2550年にあたる1890(明治23)年に奈良県に橿原神宮が出来上がる。2600年には、この神宮が大きな舞台となる。
    万博とオリンピックについては、略す。

  • 戦前に計画されていた万博・五輪と、否定的にとらわれがちな紀元2600年奉祝イベントを検証し、新しい戦前観を提供する良書。(2008.07.06〜2008.07.27@愛知県図書館)

  • 未読。愛知万博にはいけなかったけど、せめて万博の意義については押さえておきたい。

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著者プロフィール

古川隆久

1962(昭和37)年東京生まれ。1985(昭和61)年東京大学文学部国史学専修課程卒業、1992(平成4)年東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻博士課程修了(博士(文学))。広島大学専任講師、横浜市立大学助教授などをへて、日本大学文理学部教授。専攻は日本近現代史。著書に『昭和戦中期の総合国策機関』(吉川弘文館 1992年)、『皇紀・万博・オリンピック』(中公新書 1998年)、『戦時議会』(吉川弘文館 2001年)、『戦時下の日本映画』(同上 2003年)、『政治家の生き方』(文春新書 2004年)、『昭和戦中期の議会と行政』(吉川弘文館2005年)、『昭和戦後史』上・中・下(講談社 2006年)、『あるエリート官僚の昭和秘史』(芙蓉書房出版 2006年)、『大正天皇』(吉川弘文館 近刊)などがある。

「2020年 『建国神話の社会史 虚偽と史実の境界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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