ガリレオ――望遠鏡が発見した宇宙 (中公新書 2239)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022394

作品紹介・あらすじ

一六〇九年末、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を空に向け、天体観測を始めた。優れた望遠鏡製作者でもあった彼は、月のクレーター、木星の衛星、金星の満ち欠けなどを次々と発見。天文学、ひいては宇宙論に革命をもたらした。本書は著作、草稿、書簡などの史料をもとに、ガリレオの「もっとも輝いた日々」をいきいきと描きだす。天体観測の成果や他の学者との論争を通して、ガリレオが見た宇宙を追体験しよう。

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  • 一六〇九年末、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を空に向け、天体観測を始めた。優れた望遠鏡製作者でもあった彼は、月のクレーター、木星の衛星、金星の満ち欠けなどを次々と発見。天文学、ひいては宇宙論に革命をもたらした。本書は著作、草稿、書簡などの史料をもとに、ガリレオの「もっとも輝いた日々」をいきいきと描きだす。天体観測の成果や他の学者との論争を通して、ガリレオが見た宇宙を追体験しよう。
    第1章 望遠鏡と天体観測
    望遠鏡と出会うまで 医学から数学へ 天文学の論争への参加
    望遠鏡の制作 ガリレオ式とケプラー四季望遠鏡 望遠鏡を制作した理論
    最初の単体観測 先取権 月の表面の凹凸
    第2章 『星界の報告』
    突き、もう1つの地球
    恒星と天の川・星の雲 オリオン座 星の「雲」
    木星の衛星と太陽中心説 衛生の発見 コペルニクス説への言及 控えめな主張
    第3章 太陽中心説へ
    先取圏とパトロンの獲得 特許と先取圏 哲学者という肩書き
    星界の報告への反応と検証 イエスズ会ローマ学院の見解
    金星の満ち欠けと太陽中心説 神学論争へ
    第4章 『太陽黒点論』
    シャイナー「太陽黒点に関する三書簡」
    ガリレオの第一の手紙
    ガリレオの第二の手紙と投影法
    シャイナー「より精緻な探究」
    「太陽黒点論」の出版
    第5章 新しい自然研究へ
    木製の衛星の運行図
    ガリレオ望遠鏡の限界
    新しい自然学 アリストテレスの哲学を巡って 哲学的な天文学者として
    自然研究と聖書 聖書解釈からの批判 ヨシュア記の解釈 訓戒へ
    終章 宮廷科学者ガリレオ
    知識のあり方をめぐって 最初の「科学者」

  • 2019年度第2回新歓ビブリオバトル
    チャンプ本

  • アリストテレス的世界観では完全な天体であり、きれいな球体だとされていた月に凹凸があることを、地球とのアナロジーで理解しようとしていた。木星の衛星の発見は、ガリレオが当時屈指の倍率の高い望遠鏡を持っていたからこそ。太陽黒点の研究も同様で、太陽表面の像を紙面に投影する技術を考案したことがものを言った。どのような実験・観測機器を持っているかによって、どこまで科学が到達できるかが決まってくることは、現代と同じであり、その意味で彼は最初の「科学者」だった。

    思弁的な哲学によって世界の本質を明らかにしようとする試みと、実験的・定量的手法で世界の属性を明らかにしようとする試みへの軋轢。 にしても、望遠鏡の巨大化レースは大変だったろうなあ。

  • 伊藤和行『ガリレオ』中公新書、2013年:1609年から1613年までのガリレオ・ガリレイに焦点をしぼった評伝である。つまり、『星界の報告』(1610年)、『太陽黒点論』(1613年)の時期である。著者の専門は科学史で望遠鏡にくわしい。望遠鏡の倍率は、対物レンズの焦点距離÷接眼レンズの焦点距離であるが、ガリレオやケプラー、土星の輪をみたホイヘンスなども接眼レンズの役割を知らなかった。それで45mもある長大で扱いにくい望遠鏡をつくったりしている(ポーランドのヨハネス・ヘヴェリウス)。ガリレオのつくった望遠鏡は2本のこっていて、口径52mm・全長1273mm・倍率14倍のものと、口径37mm・全長927mm・倍率21倍のものである。ガリレオ式望遠鏡の場合、接眼レンズが凹レンズで(対物レンズは凸)、正立像が得られるが(現在でもオペラグラスはこれ)、視野がきわめてせまく0.25度である。満月の直径が0.5度であるから、満月の半分ほどしか視野がない。像を鮮明にするために対物レンズの周囲を蔽い、対物レンズの中央部の光しか通さないようにしていたので、ただでさえ狭い視野が、これまた暗かった。ケプラーが接眼レンズも凸にした望遠鏡を考案したが(『屈折光学』1611年)、製作されたのは1620年代で、ガリレオと黒点の正体について論争したシャイナーが黒点観測につかった。ガリレオは優秀なレンズ鑑定の眼をもち20倍もの倍率をもつ当時最先端の望遠鏡をつくった。それでも、こういうひどく不便な道具をつかって月面観測、金星の満ち欠け、銀河が星であること、スバルなどの観測を行い、木星の四大衛星を発見し、『星界の報告』を書いたのである。ちなみに星は日周運動するから、視野がせまいとすぐに観察対象が視野から外れるので追いかけるのが大変である。当時、ガリレオはヴェネチア共和国パドヴァ大学のただ一人の数学教師であった。ガリレオが良質なレンズを手にいれられたのは、ルネッサンス以来発達したヴェネチアン・グラスの本場に住んでいたことも大きい。「報告」のなかの最終観測は1610年3月2日だが、同年3月中頃に「報告」は出版されている。ガリレオは書きながら原稿を印刷に回し、現代でもまれなスピードで著作をしあげた。初版は550部で、大反響をよんだ。月面の図には金をかけ、この部分だけは銅販画であった(ガリレオの月面図には誇張があるとされる)。のちの海賊版には月面図がほかの図と同様に木版画になっており、図が逆転しているものもある(この点、中国で紹介された『遠鏡説』にも木版画・上下反転問題がある)。木星衛星については研究をつづけ、周期の計算もしている。分単位の誤差である。星雲(星団)の図は頁の調整でいれられ、通し番号がぬけているそうだ。太陽黒点の観察については、まず、インゴルシュタットのイエズス会士、シャイナーの考察があらわれた。シャイナーは天動説を保持しつつ、黒点を水星より内側の軌道をまわる天体と考えたが、ガリレオは太陽表面にあることを球面上の幾何学から考察し、雲に似たものとした。シャイナーのガリレオ批判は控えめであったのに、ガリレオは徹底的にシャイナーを批判し、これがイエズス会との関係悪化の一因にもなった。ガリレオがシャイナーを批判できたのは、ガリレオの弟子、カステッリの投射法(太陽は眩しいので紙などに投射して黒点を画く方法、カメラの原理とにている)による所が大きい。シャイナーはイエズス会総長アクアヴィーヴァから匿名で出版すること、近年の見解は教えないことといった指示をうけながらも、黒点観測をつづけた。また、1611年5月13日のことも詳しい。この日、ローマのコレジオ・ロマーノ(イエズス会設立の当時最高の教育機関の一つ)で、ガリレオを称える式典が行われ、学院全員が参加している。中国に布教にくるまえのアダム・シャールも参加していたはずである。この式典で、マールコテが「ローマ学院の星界の報告」を講演し、ガリレオの発見をみとめた。コペルニクスの『天球回転論』が禁書になるのは1616年、ガリレオの第一次裁判の年であるから、1611年には、まだコペルニクス説が禁じられておらず、暦の計算に便利な「仮説」として扱われていた。イエズス会士とガリレオとの関係も良好だった。ガリレオは望遠鏡天文学を創始し、ジョルダーノ・ブルーノなどとはちがい、経験と感覚から「天の自然学」という分野をつくりだした。これが太陽中心説(地動説)を支持せざるをえなくさせた。ガリレオの行動は、観測機械の設計、データの合理的解釈などの点で「科学者」(「サイエンティスト」は1840年ごろヒューエルが作った語)の先驅であった。発見の先取権を確保するためにアナグラムを手紙に書いたりするところは実に興味ぶかい。ガリレオの発想の根本は「天体も地球と同じはずだ」という考えである。これはプリニウスの「月はもう一つの地球である」という当時有名だった言葉にもとづいているらしい。ガリレオは月の表面が凸凹なのに、全体としては円形に見えることに悩み、地球と同じように月の周囲にも蒸気があるとし、これによって円形に見えるのだとする。アリストテレスの宇宙論では月下界とそれより上の星界では物質のあり方がちがう。月下界は地水火風の四大元素がうごく「生成消滅」の世界だが、星界はエーテルで構成される不滅の世界であった。ガリレオはこの観念を打ち破り、「地球照」(地球の反射で三日月などの暗部が完全に暗くならない現象)などを、天体と地球の相互作用を発見したが、同時に「蒸気球」を導入せざるを得ないなど、限界もあった。

  • ガリレオといえば、世論のバッシングを受けながらも地動説を唱え続けた孤高の天文学者という印象。本書では、ガリレオを高性能な望遠鏡の発明家として注目する。望遠鏡があればこそ、ガリレオは数々の発見を成し遂げた。望遠鏡がなければ、ガリレオはただの人・・・とまでは言わないけど。

    そんなガリレオの代表的な発見が月の表面にデコボコがあること、木星に衛星があること、金星が満ち欠けをすること、太陽に黒点があることなど。これらの発見を総合すると地動説という結論が導き出される。科学っておもしろい。

  • 一六〇九年末、ガリレオ・ガリレイは望遠鏡を空に向け、天体観測を始めた。優れた望遠鏡製作者でもあった彼は、月のクレーター、木星の衛星、金星の満ち欠けなどを次々と発見。天文学、ひいては宇宙論に革命をもたらした。本書は著作、草稿、書簡などの史料をもとに、ガリレオの「もっとも輝いた日々」をいきいきと描きだす。天体観測の成果や他の学者との論争を通して、ガリレオが見た宇宙を追体験しよう。

  • 勉強になりました。

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著者プロフィール

京都大学大学院文学研究科教授。北海道大学理学部物理学科を卒業、東京大学大学院理学系研究科博士課程で所定単位取得。理学修士(東京大学)、博士(文学・京都大学)。 現代社会の基盤を構成している近代科学について歴史的な視点から考察することを目指し、ガリレオ・ガリレイを中心に、近代初期ヨーロッパの科学の誕生と発展を、第一次文献の読解に基づいて研究。著書に『イタリア・ルネサンスの霊魂論―フィチーノ・ピコ・ポンポナッツィ・ブルーノ』(共著)、訳書に『星界の報告』(著=ガリレオ・ガリレイ)など多数。

「2019年 『ガリレオ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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