斗南藩―「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起 (中公新書 2498)
- 中央公論新社 (2018年7月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121024985
作品紹介・あらすじ
戊辰戦争に敗れた会津藩は明治2年、青森県の下北半島や三戸を中心とする地に転封を命ぜられる。7000石たらずの荒野に藩士とその家族1万7000人が流れこんだたため、たちまち飢餓に陥る。疫病の流行、新政府への不満、住民との軋轢など、凄絶な苦難をへて、藩士たちは、あるいは教師となって青森県の教育に貢献し、あるいは近代的な牧場を開いて荒野を沃土に変えた。知られざるもうひとつの明治維新史。
感想・レビュー・書評
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僕たちにはそれぞれに出自についての「歴史」があります。故郷や一族には過去にどのような出来事があったのだろうか。僕の場合、本当に知らなかったこと、理解しようと思わなかったことが山ほどあって、今でもすべてを把握しつくしているわけではない。少しでも出来事をつなぎ合わせたりして、僕につながり、連なることどもをくっきりと思い描いておきたい。会津を追われた人々が流されたのは、北東北の僻地、いまの青森県三戸から北の下北半島まで。土地は荒野そのもの、言葉も通じない、冷害で食べ物もないところだった。幼い命、老いた命、将来を嘱望された命は随分と失われた。生き残った人々はその無念を忘れてはいない。
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明治維新後の大日本帝国が世界大戦に突き進んだのは、敗戦を経験していなかったからではないか。
勝てば官軍、歴史は勝者が編纂する。
戊辰戦争で敗れた奥羽越同盟の雄藩、会津藩は朝敵として転封される。
向かった先は不毛の地、現在のむつ市を中心とする下北半島だった。
28万石から3万石へ、実情は7千石にも満たない原野で会津藩士と、その家族は飢えにと病気に苦しみ斃れていく。
この仕打ちは明らかに、戊辰戦争の意趣返しであった。
歴史の教科書の明治維新では語られることのない、敗者の末路。 -
第1章 会津藩の戦後処理
第2章 なぜ南部の地に
第3章 移住者の群れ
第4章 斗南の政治と行政
第5章 会津のゲダカ
第6章 廃藩置県
第7章 揺れ動く心
第8章 斗南に残った人々
第9章 北の海を渡った人々
第10章 流れる五戸川
著者:星亮一(1935-、仙台市、小説家) -
戊辰戦争に敗れた会津藩は、下北半島に転封を命じられるが。不毛の荒野で藩士たちは次々に斃れていく。明治維新のもう一つの真実とは
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戊辰戦争その後、会津藩降参後に下された新政府の指示が
青森県下北半島への移住命令。藩名を斗南藩という。
会津若松の方々のそれぞれの明治時代の軌跡が語られています。
歴史は双方から見ないといけないですね。 -
「ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書」を読み、会津の歴史を補完する意味合いで手にした。
戊辰戦争後の会津藩。
そこに暮らしていた人々は朝敵の汚名を被り、不毛の地と言われた下北半島に移され屈辱の日々を強いられる。まったく理不尽な仕打ちの中で、力強く生き陸奥地域の発展に貢献した会津人魂を強く感じた。
現政府は明治維新の再来か。維新周年事業などを華々しく催した裏側で、会津にとっては戊辰周年なのだ。いまだに溝は埋まらない。そんな歴史に翻弄された当時の人々の無念を思うと胸が詰まる。 -
「ただ理屈を述べることではない、速やかに実行することだ、福沢の序文は広沢の真髄をついていた。」p.150