斗南藩―「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起 (中公新書 2498)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024985

作品紹介・あらすじ

戊辰戦争に敗れた会津藩は明治2年、青森県の下北半島や三戸を中心とする地に転封を命ぜられる。7000石たらずの荒野に藩士とその家族1万7000人が流れこんだたため、たちまち飢餓に陥る。疫病の流行、新政府への不満、住民との軋轢など、凄絶な苦難をへて、藩士たちは、あるいは教師となって青森県の教育に貢献し、あるいは近代的な牧場を開いて荒野を沃土に変えた。知られざるもうひとつの明治維新史。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。
    丹念に調べあげられた人々の足跡。
    下北半島に移住させられた後の塗炭の苦しみ、極貧生活。
    まさに難民という言葉がピンと来るような有り様。
    そんな中でも、斗南藩の運営に当たって一番に教育を施す部署を作っている辺りがさすがだなと感心した。
    実際には食料調達で通えなかった子供たちも多かったとのことだが、後半の青森に残って先生と呼ばれるまでになる人々を育て上げたのも、東京で教育関連の職について名を成したのも、会津藩時代の人材育成の賜物だったのだと思う。
    故に、商人に物を買ってくれと頭を下げられなかったりというプライドも捨てきれなかったのであろうが、それでも、教育で学んだ人々は地元の人々にも多大なる影響を与えたことだろう。
    差別されても強く誇り高く生きようとする様が切ない。

    リーダーシップを発揮した山川、知恵を絞って牧場を開いた広沢、自爆して会津藩士の燻りの解消を引き受けた永岡。
    年齢的にまだ若い壮年までの人々の藩を背負って生きんとする生きざまが胸をついた。

    最後の方で、はじめて「私」という主語が登場する。
    其れはこの会津と斗南をめぐる調査が現在進行形で行われていることを示していた。

    家老職たちのその後や失踪の故など、足跡を追いきれていない部分を問題提起しているのがまた興味深い。

    会津、三戸、五戸、八戸、下北半島、いずれも足を運んだことのある地であり、その風景を、夏の暑さ、冬の凌ぎがたい寒さを想像しながら、会津藩士たちの人並みの暮らしが難民レベルになってしまったその落差に思いをはせ、ため息が出た。
    なんとも正直でまっすぐな人々であることよ。

    開拓史として余市や札幌の方へと出ていった人々の苦難もまた、想像以上のものがあったろう。
    切り株の処理に困るところは、「なつぞら」のシーンが浮かんだ。
    途方もない原生林に絶望したに違いない。
    それでも生きていくため、彼らは開墾を進めていった。
    我慢強く、いつか薩長を見返してやるために。
    その精神は、やはり教育に培われてきたものなのだろう。

    あとがきで作者が述べていた、義の精神の称揚について、私も一冊を読み終わろうとする中で、マイナス10度から20度の吹雪の中で、風にあばら屋が倒され寒さと飢えに力尽きていく人々の生活を再び思いだし、綺麗事ではすまない壮絶なその後があったことを忘れてはならないと思った。

  • 僕たちにはそれぞれに出自についての「歴史」があります。故郷や一族には過去にどのような出来事があったのだろうか。僕の場合、本当に知らなかったこと、理解しようと思わなかったことが山ほどあって、今でもすべてを把握しつくしているわけではない。少しでも出来事をつなぎ合わせたりして、僕につながり、連なることどもをくっきりと思い描いておきたい。会津を追われた人々が流されたのは、北東北の僻地、いまの青森県三戸から北の下北半島まで。土地は荒野そのもの、言葉も通じない、冷害で食べ物もないところだった。幼い命、老いた命、将来を嘱望された命は随分と失われた。生き残った人々はその無念を忘れてはいない。

  • ふむ

  •  明治維新後の大日本帝国が世界大戦に突き進んだのは、敗戦を経験していなかったからではないか。
     勝てば官軍、歴史は勝者が編纂する。

     戊辰戦争で敗れた奥羽越同盟の雄藩、会津藩は朝敵として転封される。
     向かった先は不毛の地、現在のむつ市を中心とする下北半島だった。
     28万石から3万石へ、実情は7千石にも満たない原野で会津藩士と、その家族は飢えにと病気に苦しみ斃れていく。
     この仕打ちは明らかに、戊辰戦争の意趣返しであった。

     歴史の教科書の明治維新では語られることのない、敗者の末路。

  • 第1章 会津藩の戦後処理
    第2章 なぜ南部の地に
    第3章 移住者の群れ
    第4章 斗南の政治と行政
    第5章 会津のゲダカ
    第6章 廃藩置県
    第7章 揺れ動く心
    第8章 斗南に残った人々
    第9章 北の海を渡った人々
    第10章 流れる五戸川

    著者:星亮一(1935-、仙台市、小説家)

  • 戊辰戦争に敗れた会津藩は、下北半島に転封を命じられるが。不毛の荒野で藩士たちは次々に斃れていく。明治維新のもう一つの真実とは

  •  江戸幕府の時代では雄藩として名をはせた会津藩が、戊辰戦争に敗れたのちに新政府から見せしめのために転封を命ぜられたのがタイトルの斗南藩だった。
     実収がたったの7千石しかないこの不毛な土地に送り込まれた2万人近い元会津藩士とその家族たちは、極貧の生活にあえぎ、飢えと寒さでバタバタと死んでいく。その状況下、斗南藩のリーダーたちは、領民を飢餓から救い、将来の藩の興隆を考え血のにじむ努力をする。
     そんな中、廃藩置県により状況が大きく変わる。藩への拘束がなくなった(直後に斗南藩は弘前県に合併され、消滅)ことで、ある者は活躍の場を求めて帝都に向い、ある者はより豊かな土地を求めて北の大地(北海道)をめざし、またある者は斗南の地に残った。

     あらすじはそういったところでしょうか。本書では斗南藩成立の過程と、廃藩置県後の人々の活躍を丁寧に記しています。
     斗南藩大参事 山川浩や、少参事 広沢安任の活躍に紙面が割かれるのはわかりますが、それ以外にも本書でしかお目にかかれないような人物の活躍も丁寧に記されていて大変参考になります。
     朝敵の汚名を着せられ、社会的なハンディキャップを抱えることになったにもかかわらず、大志を捨てず、精力的に活動して成果をあげていった元会津藩士たちの活躍に驚きと感動を禁じえません。

     個人的に心に残ったのは広沢安任。
     廃藩置県に際して同志たちが次々と斗南を離れていったのに対し、彼は残りました。おそらく貧困、老いや病でこの地を動けない多くの民を案じたのでしょう。彼らの仕事探しに奔走しています。
     廃藩置県直後に青森県知事が大蔵省に提出した報告書によると、斗南に移住した会津人は当初 約1万7000人。これが2年の間に1万3000人に減り、その中から約3000人が出稼ぎで土地を離れている。そして残った約1万人のうち、およそ6000人が病人や老人だという。まさに惨憺たる状況であり、広沢も相当苦労したであろうことが見て取れる。

     そんな中で、広沢が七戸藩の大参事であった新渡戸伝(新渡戸稲造の祖父)から様々な援助を得ることができた場面が描かれている。

    **********
     広沢は、自身は斗南に残ることを宣言し、・・・人々の仕事探しに奔走した。
    資金援助も含めて積極的に支援してくれたのは、十和田開拓の功労者七戸大参事新渡戸伝だった。
    ・・・
     苦労人だけに広沢の苦悩が手に取るようにわかり、従来から農工具を提供くてくれ、さらに今回の廃藩置県で、帰農を希望する人を受け入れることも約束してくれた。

     広沢は意志の強い強情な人間で、決して人に涙を見せることはなかったが、このとき新渡戸の前で号泣したという話が伝えられている。
    **********

     広沢の置かれた状況を念頭にこのシーンを想像すると、こみ上げてくるものがあります。
     その後広沢は日本で最初の洋式牧場を開き、日本の肉食文化定着に重要な役割を担うことになります。


     終盤はどこか郷土史研究報告に近い趣があり、評価が分かれるかもしれません。
     しかし明治維新後の隠れた歴史を知る上で、お手軽に豊富な知識を得られる良書だと思います。

  • 戊辰戦争その後、会津藩降参後に下された新政府の指示が
    青森県下北半島への移住命令。藩名を斗南藩という。
    会津若松の方々のそれぞれの明治時代の軌跡が語られています。
    歴史は双方から見ないといけないですね。

  • 「ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書」を読み、会津の歴史を補完する意味合いで手にした。

    戊辰戦争後の会津藩。
    そこに暮らしていた人々は朝敵の汚名を被り、不毛の地と言われた下北半島に移され屈辱の日々を強いられる。まったく理不尽な仕打ちの中で、力強く生き陸奥地域の発展に貢献した会津人魂を強く感じた。

    現政府は明治維新の再来か。維新周年事業などを華々しく催した裏側で、会津にとっては戊辰周年なのだ。いまだに溝は埋まらない。そんな歴史に翻弄された当時の人々の無念を思うと胸が詰まる。

  • 「ただ理屈を述べることではない、速やかに実行することだ、福沢の序文は広沢の真髄をついていた。」p.150

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著者プロフィール

星 亮一(ほしりょういち)1935(昭和10)年仙台市生まれ。高校時代を岩手県で過ごす。一関一高、東北大学文学部国史学科卒。福島民報記者を経て福島中央テレビに入りプロデューサーとして歴史ドキュメンタリー番組を制作。著書に『会津藩燃ゆ【令和新版】』『天才渋沢栄一』『奥羽越列藩同盟』『武士道の英雄 河井継之助』『斗南藩』『呪われた戊辰戦争』など多数あり。また20年余に渡り戊辰戦争研究会を主宰している。

「2021年 『星座の人 山川健次郎』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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