アーロン収容所 改版 - 西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 3)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121800039

作品紹介・あらすじ

イギリスの女兵士はなぜ日本軍捕虜の面前で全裸のまま平気でいられるのか、彼らはなぜ捕虜に家畜同様の食物を与えて平然としていられるのか。ビルマ英軍収容所に強制労働の日々を送った歴史家の鋭利な筆はたえず読者を驚かせ、微苦笑させながら、西欧という怪物の正体を暴露してゆく。激しい怒りとユーモアの見事な結合と、強烈な事実のもつ説得力のまえに、読者の西欧観は再出発をよぎなくされよう。

感想・レビュー・書評

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  • 「オリエンタリズム」の主張の先駆けだったのかもしれない。記述の面白さは、その時代、1960年代ね、群を抜いていた。サイードとちがうのは、何だかルサンチマンの結晶化のイメージが、やっぱり物寂しい。戦争での体験が、腹が立ってしようがなかった、そんなオヤジの気分が漂っていないか?
     だから、単なる文化論を越えた名著なのだろうが、昨今跋扈する、でたらめな「歴史修正主義」とやらの、心性を育てた節がないでもないところに要注意。
     でも、面白いよ。
    https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/201906140000/

  • 英軍捕虜として、ビルマの収容所で強制労働の日々を送った歴史家が、実体験から西欧の人種差別観を説く。名著を改版で読みやすく。

  • 東2法経図・開架 B1/5/3b/K

  • Human beings are recognized (authenticated)by “ideology”.

    ①「東洋人に対する彼らの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。」
    →英軍の東洋人に対する家畜化は、英国の当然のイデオロギーによって疑う余地もなく遂行されていた。彼らは思想教育を施さない事で、東洋人を家畜の枠へと押し込めた。
    →発展途上であると言う事実は、先進国の立ち位置を補償するために保持されている。
    →資本主義の中で一次産業に従事させる。ある意味では合理的。
    →人間でないものにヒューマニズムは必要ない。

    しかしそもそも、”生物学そのものがイデオロギー的レトリックである”


    近代ヨーロッパ: 美の独立性の主張(美に対する絶対的な自信)
    日本: 全ての価値を美醜に還元。(美に対する劣等感)(例えば仏教の教義よりもその仏像の美しさに惹かれて信奉)


    インド: まず自然を憎む事、それらの脱却を出発点として成長する。
    日本: 自然崇拝と自然への帰依。
    ヨーロッパ: 自然と友人になり、時には自然を支配しようとする方向に発展する。


    •「人間には様々の型があり、万能の型というものはない。異なった歴史的条件が異なった才能を要求し、その型の人物で、傑出し、しかも運命に恵まれたものだけが活躍した。」
    ☞人間の価値など、その人がその時代に適応的だったかどうかだけにすぎないのではないか。

    •収容所で均質化された状態から、また序列やヒエラルキーが生まれる逃れられない競争化のプロセスを垣間見た。

    •国民性☞本来は存在していないけれど、政府や権力によって、”あるように見せかけられているもの”。→政府が国民を統治するためのレトリックに過ぎない。

    痛切でありながらユーモラス。こうした歴史的文献をもっと積極的に読んでいきたい。

  • 記録・実話として大変貴重な、価値のある本です。
    本書は色々な人の本で引用されていましたので、以前から読んでおかなくてはいけない本だと思っていました。
    聞きしに勝る、想像を絶するというか、これが日本人に対するイギリス系の人間達の本性なのだと思わされました。
    捕虜体験により、それまで日本で接していたイギリス人たちとはおよそ異なる、「イギリス人の正体」「イギリス人オーストラリア人の陰湿で残虐残忍な正体」をはっきりと見た体験の記録を残してくれています。

    表面は甚だ合理的で、非難に対してはうまく言い抜けできるようになっていた。しかもあくまでも冷静で「逆上」することなく冷酷に落ち着き払って行なっていた。
    人間が人間に対する最も残忍な行為。

    イギリス人の日本人ビルマ人インド人たちに「人間以下」の動物として見下して対する傲慢な態度の実話の数々。
    イギリス人オーストラリア人ニュージーランド人、白人のイギリス系は根本的に今でも大して変わらないでしょう。

    収容所長のイギリス人中尉がビルマ人売春婦を何人も自分の居室に集め全裸にさせ、とても書くことのできないいろいろな動作をさせて楽しんでいた様子を見て、英文学をやっていた「英国の教養」を信奉していた学徒出身の日本人少尉は大変なショックを受けた。
    イギリス人は男女共に大小の用便中でも部屋に入っていっても平気であった。

    女兵士が掃除のお礼に、たまにタバコを一本か二本床の上に放って顎で拾えとしゃくる。

    女共は足で指図する。

    部屋に入ると一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていた。後ろを振り向いたが何事もなかったように髪をすき終え下着をつけ、そのまま何事もなかったように台に横になりタバコを吸い始めた。

    イギリス人達の東洋人に対する「人間扱い」しない絶対的な優越感の態度は空気を吸うようになだらかな全く自然なものだった。

    真正面からいじめてくるのではないそういった英軍の様々な態度に対し極度の反感を感じた。
    今日でも、思い出してくると私は激しい感情に駆られる。「万万が一,再び英国と戦うことがあったら,女でも子供でも,赤ん坊でも,哀願しようが,泣こううが、一寸きざみ五分きざみ切り刻んでやる」という当時の気持ちがまざまざとよみがえってくる。

    以下の会田さんの指摘はかなり重要です
    P60~
    若い軍曹は、若いビルマ人の死体を確認するのに、うつ伏せの死体を、靴の先で激しく蹴り上げるように死体を持ち上げる、ビルマ人の首の骨がガクンと折れる。泥まみれの生気のない顔を見て「フィニッシュ」とつぶやいた。
    人間ではなくネズミ一匹の死としか見ないまったく冷静で事務的であった。

    オーストラリア兵は特に程度が悪かった。
    額でタバコの火を消されたり、靴先で散々顎を蹴り上げられたり、跪かせて足掛け台の代わりに足をのせ、1時間も辛抱させられたり、怒鳴られ、跪かさせられて、口を開けさせられ、顔にションベンをかけられた。

    P70
    飢えに苦しんでいる170人の鉄道隊の人たちを、わざと病原菌があるカニを食べさせ、赤痢にやられ血便を出し血反吐を吐いて、水を飲みに行き、水の中へうつ伏せして死ぬ。
    看視のイギリス兵は皆が死に絶えるまで岸から双眼鏡で毎日観察していた。全部死んだのを見届けて、「日本兵は衛生観念不足で自制心も乏しく英軍の度重なる警告にもかかわらず生蟹を捕食し疫病にかかって全滅した。誠に遺憾である」と上司に報告した。

    P.76
    あだ名がハゲタカの見事な鷲鼻の、傲慢、陰険、着実、冷静でイギリス下士官の典型のような男。
    無類の女好きで復讐欲に燃えたサディスティックな目が私に今でも焼き付いている。
    毎晩ビルマ人の女を宿舎に引き入れて、ときには2、3人を連れ込んでキャーキャー大騒ぎし、男女の交わりを電灯も消さず終始演じて見せるのである。とてもしつこく、ニヤニヤして動作を止めないこの男の曲がり鼻と落ちくぼんで、青くギラギラ光る目はまさに畜生を思わせた。
    それを見せつけられる私達は吐き気のような嫌悪感と屈辱感を持たされる。

    「イギリス人を全部この地上から消してしまったら、世界中がどんなにすっきりするだろう」私は、つくづく心からそう思い、そう考えた。

    戦前にイギリス人教授に学んでラングーン大学英文科を出たビルマ人にあった。シェイクスピアに関する卒業論文を書きカンタベリー物語も読んだ、面白かったと言う。敬意を表してその本を見せてくれと言ったら、大得意で貸してくれた。本は絵入りのカンタベリー物語、シェイクスピア劇物語なので、戦前の日本の中学2、3年程度のものである。しかしそのビルマ人はそれが本物だと思っていた。イギリス人はこの程度にしかビルマ人やインド人を評価していなかったのである。

    イギリス兵の文章は誤字だらけ、でたらめなのが大部分であった。
    算術のできないイギリス兵。オーストラリア兵には10以上の計算ができないと思われる連中が大勢いた。


    日本人論も書かれています

    私たちには自分を大日本帝国そのものだと考える気概はなかった。自分の約束を守ろうという一徹さ。
    日本軍の命令には絶対服従というのは、「長いものには巻かれろ、戦いは誰かがやってくれる。」という心理の基礎の上に立っている。その長いものが正義の具体像でない限り拒否するというのがイギリス人。

    私たちの精神的な気概、例えばイギリス兵に対する態度や民族的自覚などは残念ながら情けない限りであった。個人としてはよくても群衆となると手に負えぬバカなことをする。私たち日本人はただ権力者への迎合とものまねと集合的行動と器用さだけで生きていく運命を持っているのだろうか。

    イギリス軍がインド兵・ビルマ兵に配った文章に
    「諸君がやがて見る日本人は実に醜悪である。目は細く小さく、頬骨が突き出し、口はひどい出っ歯、鼻は低く潰れている。足が短くガニ股で、背は曲がり腹は突き出ている。彼らはこの醜さと、それゆえに軽蔑されることを知っているのだ。彼等の性格もまた狡猾であり、そのため嫌われることも知っている。」
    実に不愉快だが、ある程度真実をついている。
    ビルマ人の顔立ちは日本人より一般的に良い。
    インド人は体格も骨格も顔立ちも日本人より遥かに立派。
    善良な表情などとても日本人にできるものではない。

    日本人は自分たちの容姿の醜さに劣等感を持ち、しかも過度にそれに敏感になっているのではないか。容姿を気にするなと言うのは、逆に気にしすぎていることの証明ではないだろうか。

    日本では、仏教は仏像の美しさに、キリスト教もマリア像の美しさに惹かれて広まっていった。

    日本と同じ国土が辺境にあると言ってもギリシャ文化の正統性、豊かさ、巨大さは日本とは比較にならない。そこには暗さ、卑屈さ、僻み、いじけといったものが全くない。その理由の一つはギリシャ人が容姿、特に肉体の立派さ、美しさに絶対の自信を持っていたから。そういう自信を示す文献がある。

    インド兵士に、「最後の一人が倒れるまで戦いは続いているのだ。」と言われた。


    ただし本書では、イギリス軍に対し肯定的な体験も書かれています。
    読み書きや計算ができないからといって馬鹿にしてはいけない。彼らは実に責任感が強い。言ったことは必ず守る。

    文系専門のような青白きインテリなど一人もいなかった。
    イギリス士官の動作や態度は実に堂々としたものであった。
    体格は下士官や兵には見事なものは多くはない。貧弱だなと思うような男も少なくなかった。しかし士官達は、老人以外はほとんどが堂々たる体格で私たちを圧倒した。彼等と接した時ほど日本人の体格の惨めさを感じたことはない。 体格だけでなく動作が生き生きとして自信に満ち、しかも敏捷であった。
    彼等は様々な鍛錬を積んできていたのだ。
    彼らの体格は階級制度社会構成をかなり正確に反映しており、同じイギリス人かと思われるほどの差があった。
    常時ならともかく戦時の軍隊は国家の社会秩序をある程度反映するもの。
    市民革命をした市民ブルジョワによる支配は組織や欺瞞教育などではなく、この肉体的な力によったのである。
    だからプロレタリアは団結しなければ勝てなかったのだ。

    日本のように肉体と精神が本来的に別個のもの、教養と体力とは本来的に別物であると言うのは間違い。
    マルクスの見たブルジョワというものの姿は、私たちが観念的に見ている日本のブルジョワなどとはまったく違ったもの。
    ブルジョワとプロレタリアは身体から、ものの考え方から何から何まで隔絶したものなのだ。

    日本人は一般に家畜の屠畜ということに無経験な珍しい民族。
    他のアジア人や、それ以上にヨーロッパ人は慣れている。
    家畜を数多く飼育する、多くの動物を取り扱う管理法と技術が必要となる。
    ヨーロッパ人は多数の家畜の飼育に慣れていた。植民人の使用はその技術を洗練させ、何千という捕虜の大群を十数人の兵士で護送をしていく彼らの姿には、まさに羊や牛の大群を率いていく特殊な感覚と技術を身につけた牧羊者の動作が見られる。

    ヨーロッパ人の動物飼育の感情は、動物を可愛がるのは動物が食料になるから。殺すことと可愛がることとは矛盾しない。 同じ意味で「役に立つ」のである。
    ヨーロッパでは毛皮業者や食肉業者の社会的地位が昔から高かった。
    生物を殺すのを正当化するためにキリスト教が、動物は人間に使われて利用されて食われるために神によって創造されたという教えを作った。
    人間と動物の間に激しい断絶を規定した宗教がキリスト教。
    そして相手がいったん人間でないと決めたら、殺そうが傷つけようが良心の痛みを感じないですむ。「冷静に逆上することなく」相手の動物の人間を殺すことができる。

    P72騎士道とプルターク英雄伝
    卑屈な言葉態度をとった私に対し、将校は、「君は奴隷か。奴隷だったのか」「我々は我々の祖国の行動を正しいと思って戦った。君達も自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念は足りなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であって侍ではない。我々は多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私は彼らが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私達は日本の侍たちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」
    そのときの勝者のご機嫌とりを察知されたことに対する屈辱感というものは何とも言えないものであった。

    たとえ泥棒をしようとも、ヨーロッパ人にはいったん自分がとった重大な行動の責任はどんなことがあってもなくならないとする考え方がある。また一度やり出したことは都合が悪くなっても、いや悪いと思っても断じて曲げない方が立派で男らしいのだ、という考え方も私たちの想像以上に深く根を張っているようである。
    一旦言い出したことは断固として貫くというスパルタ的精神を讃えている。

    いろいろと感じさせられることの多い本でした。
    日本人もいろいろな意味で、世界中で惨めで情けのない、屈辱的な思いを散々させられてきた国・民族の人達とまったく同じです。

  • 戦場ルポとしては一級品,比較文化論としてはもう古いか

  • 数十年振りに読了。当時は「へーほーはー」って感じだったが、今読むとかなり穿った切り口だ。捕虜当事者としての視点は尊重に値するが、状況適合の視点が弱いかな...。多文化理解を推し進める上では、読んでおいて損はない。当時の状況を垣間見られる一冊。

  • 若い頃に何度か読んでは挫けた一冊である。その後、何冊もの書籍で引用されていることを知った。竹山道雄も本書に触れていたので直ちに読んだ。やはり読書には季節がある。それなりの知識と体力が調(ととの)わないと味わい尽くすのが難しい本がある。何気ない記述に隠された真実が見えてくるところに読書の躍動がある。
    https://sessendo.blogspot.com/2018/09/blog-post_17.html

  • 大学図・1F開架 081.2/58/3a
    東2法経図・6F開架 B1/5/3b/K

  • 「西欧の人種差別意識を暴き出した名著」となっていて、確かにそうなのだが、西欧批判の書としてよりも、日本人、イギリス人、インド人、ビルマ人など、それぞれの文化を持った人間の考え方の違いが、作者の経験したことのみをフェアに書くことによって、よくわかる面白さというか、興味深い文化論・文明論になっていて、多くの発見がある。ある種の滑稽さの中に、戦争のリアルも実感できる。確かに名著。

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著者プロフィール

会田雄次

一九一六年京都府に生まれる。四〇年京都帝国大学史学科卒業。四三年に応召、ビルマ戦線に送られ、戦後二年間、英軍捕虜としてラングーンに抑留された。帰国後、神戸大学、京都大学(人文科学研究所)をへて、京都大学名誉教授。専攻はイタリア・ルネサンス史。著書は『アーロン収容所』『ルネサンスの美術と社会』『ミケランジェロ』など多数。九七年逝去。

「2019年 『日本史の黒幕』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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