ビアズリー伝 (中公文庫 M 419)

  • 中央公論新社
3.36
  • (1)
  • (2)
  • (8)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 36
感想 : 4
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122016248

作品紹介・あらすじ

夭逝した世紀末の鬼才は、ピカソを始め、竹久夢二や芥川龍之介らにも影響を与えた…。「サロメ」「アーサー王の死」などの名作を遺し、初期アール・ヌーヴォーの創出者となった、ビアズリーの劇的なる生涯を、世紀末を背景に、ワイルドら多彩な人物をもからめ、膨大な資料をもとに活写する。ビアズリー伝の決定版。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • アメリカの歴史学者であり伝記作家のS・ワイントラウブ(1929-2019)によるビアズリーの評伝、増補改訂版1976年。

    オーブリー・ビアズリー(1872-1898)は19世紀末イギリスのイラストレーターであり、文学作品『アーサー王の死』『サロメ』や雑誌『イエローブック』『サヴォイ』等の挿絵が代表作として知られる。本書では、バーン=ジョーンズ、モリス、ホイッスラー、ワイルド、イェイツ、ヘンリー・ジェイムズ、ダウスン、シモンズなど、同時代の作家、芸術家、出版業者らとビアズリーとの関係が生々しく描かれている。世紀末デカダンスというと神秘めいて聞こえるが、自尊心や嫉妬心からくる人間同士のあれこれはいつの時代にもみられるありふれたものだ。

    ビアズリーの頽廃的で人工的な美意識はヴィクトリア朝の保守的な性規範と裏腹の世紀末デカダンスの雰囲気のなかで醸成されたのであろうが、それに加えてイラストレーターという新しい職業において彼が収めた世俗的な成功の背景には、雑誌という新たな大衆メディアが発達してきたことによる美術作品の流通形態などの物質的基盤の変化があったのだろうと思う。マクルーハン的にメディア(下部構造)が文化(上部構造)を規定している一例だろうか。



    文中、自分がこれまで言葉にできずにいたビアズリー作品の特徴や、世紀末芸術の雰囲気について、新たな気づきを与えてくれる箇所がいくつかあったので、以下に引用しておく。

    ①線描について

    「私は線と線描という問題について、どこかで何かを言いたい気持ちがしきりとします。輪郭の重要性は、最上の画家によってさえ、ほとんど理解されていないことがあるのです」(p64)。

    「僕は色にはそれほど関心がない[略]。僕はただ平面的に濃淡を付け、地図でも塗るように仕事を進める。僕の狙いは浮世絵の効果を出すことだ。僕は何でも小さく描くことが好きだ」(p202)。

    ②抽象について

    「彼[ビアズリー]は、画面に大胆に、しかも繊細に一本の線か曲線をさっと引いただけで、あとの多くの部分を文字通りそのままに残し、黒と白のマッスで劇的な効果を挙げていることが多い。それは、非本質的な部分が取り去られた線と形態への接近であり、時には、画面に何も描かれていないというところにまで危うく近づくこともあった」(p443)。

    「自己の世界に吸収できぬすべてのものを省略したところの、彼[ビアズリー]の絵における省略と同じ精神に発する現実の無視の態度のゆえに、彼は時代だとか本当らしさなどといったものについてのあらゆる懸念から自由だったのである。それは、絵に対するビアズリーの感覚を解放するという効果を生んだ。……絵の本質に役立たぬすべてのもの、あらゆる旧来の約束事を完全に排除したというのは驚くべきことである。抽象への欲求を感じた九十年代の若い画家が――カンディンスキーやクレーのような画家が――ビアズリーの生み出したこれらの形の持つ正確さを……驚異の念をもって眺めたということは不思議ではない」(p444ー445)。

    ③ビアズリーにおける反自然的な美意識について

    「さて今やポスターは、先ず第一に有用性を持つという理由によってその存在を正当化しているのである。また、ポスターが線と色の美を今後さらに追求するならば、現在の広告板は画廊との類縁性を主張し、affiches(ポスター)のデザイナーは、ホランド通りの巨匠やボンド街の風景画家と同じくらい誇らしい姿に公衆の眼に映るようにならないであろうか(それに、思い出して頂きたいが、ポスターの場合、何の入場料もカタログも要らないのだ)。[略]。ロンドンには間もなく広告が満ち溢れ、鉛色の空を背にして空中広告がアラベスク模様を描くだろう。美が都市を包囲し、電線はもはやわれわれの唯一の審美的知覚の歓びではなくなるだろう」(p156ー157)。

    「僕は装飾的な芸術が大好きなんです[略]。しかし、一つの時代のリアリズムは、次の時代には装飾的芸術となる、ということに気づいたことはありませんか?」(p365)。

    「僕の目的はただ一つ――グロテスクであること。もし僕がグロテスクでなければ、僕は何物でもない」(P362-363)。

    ④世紀末芸術の美意識について

    「だがその[マックス・ビアボームのエッセー「化粧品弁護」の]根底には、フランスの唯美主義の最も重要な観念が――ありきたりの模倣を意識的に拒否する、従って自然を美の理想とすることを拒否するという観念が――あった。芸術は――つまり人工美は――自然に対する芸術家の抗議でなくてはならなかったのである」(p186)。

    「ユイスマンスが、この小説[『さかしま』]を「文学、美術、草花栽培、香料、家具、宝石細工等……この世のあらゆる事物の精髄」で満たすために数十の異国趣味的な題材に関する書物を調べたということは、読んでみれば分かる。そのポーズは大いに受け、この小説は[略]意識的な不健康さと人工的性格ゆえに、既成の審美的、道徳的規範を軽蔑し、感情的、精神的経験の幅をひろげようとした読者にとって――著者は彼らのそうした気持を表現したのだが――ヴァレリーの言葉を借りれば、「聖書であると同時に枕頭の書」だった」(p60ー61)。

    「[ゴーチェ『モーパン嬢』は]有用性を持っているうちは何物も真に美しいとは言えない、なぜなら、有用性は欲求を表すものだからである、という哲学を説いている。「人間の欲求は、人間のみじめな弱い性格と同様、下劣で不快なものである。家のなかで最も有用な場所は便所である」」(p382)。

    「淫らにして、かつ審美的たらんとする術を、識ることこそ、世紀末の真髄」(p10)。

  • オーブリー・ビアズリーについて私は全くと言っていいほど何も知らなかったのでとても興味深く読んだ。

    以前、フロベールの『サランボオ』の感想に『サロメ』と似ていると書いたが、この本を読んでフロベールはオスカー・ワイルドやその他にも多くの作家に影響を与えていることを知った。フロベール的というものがあることも。

    オーブリーがバーン・ジョーンズやホイッスラーに影響を受けていたことも(そして知り合いだったことも)初めて知った。
    私にはちっとも作風が似ていると思えないけど、初期のオーブリーは「バーン・ジョーンズ的」らしい。

    それに私はオーブリーが当時世間からそんなに悪評を得ていたことも知らなかった。グロテスクで悪趣味なものと言われていたなんて。
    今でこそ素晴しい才能だと誰しもが認めるところであるが、1890年代ということを考えると認めるのは難しかったのかもしれない。しかしそういう時代に新しい藝術を生み出したオーブリー・ビアズリーの才能には本当に舌を巻いてしまう。

    とてもおもしろかった。

  • </span>&rdquo;</div><div class="quantityDisplay black textSquash" style="display:none;padding-bottom:3px;"><nobr><span class="strong black">欲しい数量&nbsp;

  • ビアズリーに関しては、沢山本を集めた時期がありましたが、その中でも一番読み甲斐があったのがこの本でしょうか。
    どうも、自分は”カワイソウナ”ものに、とことん弱いのかもしれません。
    ビアズリーに出会ったのは、オスカー・ワイルドつながりだったのですが、それとほとんど同じ時期に大好きなヴィクトリア朝の世紀末美術画集で彼のイラストを見つけて、これまた速攻、本屋さんへゴー!!
    彼は幼い頃から病弱であって、結局は夭折してしまったのですが、その短い生涯に沢山の作品を残しています。
    晩年は、「すべて焼却して欲しい」と希望したイラストも描いたりしていますが、すべてが幼い頃からずっと自分の近くあるであろう死を感じながら、生きることや描く事に執着した彼の活きた証だと
    思います。
    頬杖をついたポートレートが好きで、部屋に飾ってありますが、そういえば・・・蝋燭の灯りで絵を描く―という彼の流儀に憧れて真似したこともありました。
    ヴィクトリア~ンな世紀末そのままのお人・ビアズリーを知るのには、とてもよい伝記かと思います。

全4件中 1 - 4件を表示

スタンリー・ワイントラウブの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×