- Amazon.co.jp ・本 (426ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122023376
感想・レビュー・書評
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天保年間の三方国替えが中心。大名だけでなく領民が一揆で抵抗。多勢の力の強さ、引きずられる群集心理の危うさを感じた。そもそも三方国替えは大御所徳川家斉の指示だが、この11代将軍がどういう人だったのかも興味深かった。どういう人か調べてみた。在位最長の将軍。子作り以外は他人任せの「オットセイ将軍」とは辛辣。2023.5.28
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歴史の中で、将軍や殿様の活躍はたくさんありますが、民の暮らしはどうだったのか、どう思っていたのか、気になっていました。
色々な立場の人たちの暗躍があったりして、ちょっと分かりづらく、この人はどっちの人だったっけ?と思ったり、なかなか読む手が止まってしまいました。
人々が群衆になっていく過程や様子を、民衆の立場から欲しかったなと思いました。
ざっくりに話してる感がありますが、問題はもっと奥深いもの底知れないものを感じました。 -
幕末庄内藩の強さの秘訣とも言える歴史的エピソードです。弱い立場の百姓が権力に一矢報いるのが爽快です。
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内容(「BOOK」データベースより)
時の老中水野忠邦の指嗾による三方国替え。越後長岡転封の幕命に抗し、羽州荘内領民は「百姓たりといえども二君に仕えず」の幟を掲げて大挙して江戸にのぼり幕閣に強訴、ついに将軍裁可を覆し、善政藩主を守り抜く。天保期荘内を震撼させた義民一揆の始終。 -
農民一揆を絡めた江戸時代の政治闘争を緻密に描いた歴史小説として一級品。
為政者たちが判断をくだす際の政治的なリアリティが素晴らしく、いかにもそうだったにちがいないと思わせる。
こんな作品を読まされると、この人に近現代の政治世界を描かせたら、どれほどの傑作が生まれたのだろうと思ってしまう。 -
藤沢周平が描く天保義民事件を題材にした歴史長編小説です。
何とも不思議な事件です。
御国替えを命ぜられた庄内藩領主を引き留めるため、百姓達が自ら図って江戸に上り、幕閣や諸大名に対して転封撤回の集団越訴を行う。さらには仙台等の隣国にも愁訴し、トータルで見れば1000人ほどが藩外に訴え出た事件です。合言葉は「百姓と雖も二君に仕えず」。比較的裕福だった庄内藩が善政を敷いていたとはいえ、封建時代の領主と農民の関係としては前代未聞であり、このような農民たちの振る舞いが江戸市中に広まるや庄内藩への賞賛と同情が集まりました。
元々は貧窮に喘ぐ川越藩主が養子・斉省の父で大御所の徳川家斉を動かしたのが国替え騒動の始まりです。庄内藩にとってはさしたる落ち度もなく、表高(公称)で半減、実高でいえば1/3の減封になります。
この事件を藤沢さんは3つの立場で描いて見せます。
一つは命じた側の幕閣。大御所の指示が起因とは言え一度出した命令は幕府の威厳を守るためにも推し進める水野忠邦です。しかし幕閣の中にも内部抗争があります。
もう一つは庄内藩の家老・重臣たち。理由無き国替え命令に反発しながらも撤回は困難とみて、添え地など可能な限り自藩に有利な方向に向かうように幕府に働きかけ続けます。
そして農民たち。国替えの時に庄内藩に備蓄米を持ち去られた上に、貧窮故に転封されて来る川越藩主からの搾取を逃れるために、国替え阻止に動きます。
最後には思わぬところから国替が沙汰止みになりますが、それまでのそれぞれの思いやその交錯を、歴史小説らしくきっちり丁寧に描いて行きます。そのあたりの描き方が見事です。
そして・・・
国替の沙汰止みを伝える江戸からの早籠が庄内に入るシーン。疲れ、強張り切った使者の目に映る庄内の自然。話を聞きつけ、雄たけびを上げながら早籠と並走する多くの農民たちの姿。ここだけは筆致を抑えず情感たっぷりに描いて見せます。う~~ん、やっぱり上手いです。
強いて言うならこのシーンで終わり、その後の始末は軽く流して欲しかったかな。まあその当たりは歴史小説好きか時代小説好きかの好みの違いかもしれませんが。
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余りに繰り返し読んだ挙句、ストーリーが完全に頭に定着してしまい、2009年を最後に再読を封印してきた藤沢さん。
先日から封印を解き、全作品を出版順に読み返しています。これが6作品目です。 -
反戦リベラルから 江戸時代の「高額」成功例実話
感動ものの大衆革命小説と思いきや、社会リヤリズム、マキャベリズム、封建社会の本音建前の処世術を取り入れた、政治駆け引き小説 -
水野忠邦が筆頭老中を務める天保年間。三方お国替えに反対する荘内藩の領民が起こした反対運動。多数の領民の計算された動きから、首謀者の知恵の高さが伺える。リスクをとってこれだけの運動をやり遂げた領民の勇気には感動するが、一方、最終的な決着は政治の思惑に大きく左右されることを痛感する(国替えがお取りやめになった最大の理由は、水野が捜査に指名した町奉行矢部が水野に遺恨を持っていたことが原因のようだ)。
それにしても、封建時代に領民からこれだけ高く評価されていた藩主がいたとは。