- Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122028258
感想・レビュー・書評
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マンガ 日本の歴史〈4〉王統譜を編み上げる大和王権
1997.03発行。字の大きさは…小。
マンガで日本の歴史を描いたものです。
作画/漫画家・石ノ森章太郎
原案執筆/帝京大学教授・義江彰夫
此度は、古墳時代後期(五世紀後半~六世紀末)です。大和王権の時代ともいいます。
5世紀後半に倭王・武(雄略天皇)、宗に上表して安東大将軍倭王の称号を受ける、から六世紀末の泊瀬部(はつせべ)大王(崇峻天皇)が蘇我馬子に殺され。そして、豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)大王(推古天皇)が即位するまでです。
この巻は、前(シリーズ3作目)の時代に生まれた大和王権が、超越的権力へ発展していく時代です。
中国では、宗に代り、斉が建国。斉に代り、梁が建国。北魏が分裂。西魏が滅び北周が、梁に代り陳が建てられる。楊堅(ようけん)隋を建て中国統一します。
《越前・三国》
日本沿岸諸国は北九州とは別のもう一つの玄関であり、多くの渡来人が荒波を越えてやってきた。そして、越の国(越前)は、北九州とは違うルートによる渡来文化を背景に独自の文化圏を形成していた…。
《吉備の乱》
五世紀後半。雄略天皇が、物部の軍隊30人を派遣し、吉備一族70人を皆殺しにしたという…。その後、戦いののち吉備一族の抵抗は、不発に終った。以後、吉備氏は、地方有力首長としての道を歩む事となる。五世紀末、吉備での巨大古墳の造営が一斉に途絶えているのが、その現れである。
また、政変が起こり武烈天皇が即位すると大伴金村は、大連(おおむらじ)に取り立てられ、畿内の諸豪族のリーダーとなる。武烈天皇には係累がなく、歿後、その王家は途絶える。大伴金村が、畿内相互間の思惑をまとめて後継選びにフィクサーとしての力を発揮する。
《継体王朝と盤井の乱》
西暦507年、越前・三国の男大迹(おおど)王が途絶えていた王権を継ぎ。その後に起こる九州筑紫の磐井の乱を物部氏が鎮める。磐井の乱を最後に、大和大王権は豪族連合の盟主から、全国を強力に支配する超越的権力へと徐々に変わり始める。
《仏教伝来》
仏教と仏像は、シルクロードを通じて中国に入り、朝鮮半島を経て六世紀の日本に伝えられた。
《仏教受容で揺れる王権》
百済から技術や文化の受容によって大量に流入していた渡来人の合意を得て国内の安定を図るためにも、旧来の神祇信仰に代って、普遍宗教として仏教が必要であることを蘇我馬子は見抜いていたのです。そして、蘇我氏は、物部氏との権力争いを制していきます。
【読後】
大和王権では、吉備一族の乱、そして九州筑紫の磐井の乱を物部氏が治め、大王権は豪族連合の盟主から、全国を強力に支配する超越的権力へと徐々に変わり始める。戦いにつぐ戦いで葛城氏、大伴氏、物部氏、最後に残ったのが蘇我氏です。本当に戦いの歴史です。
2021.03.05読了
※シリーズ
「マンガ 日本の歴史〈1〉秦・漢帝国と稲作を始める倭人」
https://booklog.jp/users/kw19/archives/1/4122028221
「マンガ 日本の歴史〈2〉邪馬台国と卑弥呼のまつりごと」
https://booklog.jp/users/kw19/archives/1/412202823X
「マンガ 日本の歴史〈3〉興亡する倭の五王と大嘗の祭」
https://booklog.jp/users/kw19/archives/1/4122028248詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
五世紀末から六世紀末が舞台。大和王権にてひと段落と思いきや、次々と天皇の変わる内乱の時代。物部、大伴、平群、蘇我氏らによる熾烈な主導権争いが起こっていた。過去天皇の両系のの血筋ということから、越の国からオオド王が、畿内王権の救世主として担ぎ出されて大王となるなど、混乱が伺える。また、九州、筑紫は新羅と組み、大王と争うなど、国際連合の動きもあった。交易面では、仏教伝来が大きい。不安定な王権による神祇中心の政治は力を弱め、それに代わる統一的な求心力が必要な状況だった。百済、新羅、との交流もそれを後押ししているのだろう。飢饉があれば、仏教が叩かれるなど、スケープゴートとして扱われ、なかなか普及に時間を要すも、蘇蘇我馬子による、飛鳥寺建立により、かつて蛮神と言われた仏が、真神となった。
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超越的な権力へと発展する大和王権。しかし、「大唐の神」仏教をめぐって豪族は二分化し、王権はその受容に対する選択を迫られる。
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仏教の普及から厩戸皇子が表舞台に出てくるまで。
当然仏教に反対する勢力が出てくるわけで、宗教の教えと裏腹にひたすら争いが続く時代でもある。 -
古代にあって、一番血生臭いのがこの頃だし、あまりよくわからない時代だった。でもいろいろ読むと面白そうだと思わせてくれた。
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・400年代に既に韓国の人が渡ってきていた
・仏教推進派の曽我氏、反対派の物部氏。
・曽我氏と物部氏の争いが激化、この争いで活躍したのは推仏派の厩戸皇子(のちの聖徳太子)
2010年12月1日 読了66(59) -
4122028256 211p 1997・3・18
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仏教伝来の巻です。仏教の受け入れについて物部氏・蘇我氏などの大豪族を中心に意見が二つに分かれ、揺れる大和朝廷。