情報の文明学 (中公文庫)

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著者 : 梅棹忠夫
  • 中央公論新社 (1999年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (316ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122033986

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情報の文明学 (中公文庫)の感想・レビュー・書評

  • 1962年に執筆された情報産業論に始まる論説をまとめた著作。50年も前に現代の高度情報化社会の到来と工業から情報産業へのビジネスシフト、IT技術の家庭への普及、インターネットの可能性について予想している逸脱な論考。類似の論考はA.トフラーの「第三の波」があるようだが、情報産業論はそれよりも20年前に発表されている。農業の時代、工業の時代を経て人類は情報の時代へ突入しつつあり、これは文明としても新しい段階に一歩踏み出しているという大局的な視点で情報化を観ている。

  • なんでも情報産業に結びつけてる。薬だってそうだそうな。
    こんな昔に現代を予見していてすごいみたいな書評を見た気がするが、全然予見してない。たまたま情報産業という名前を使ってることと、かの時代に起こりはじめたソフト的な産業について話しているだけじゃないのか。
    それが重要だと言ったくらいなもので、重要とかってよりも、これもそう、あれもそう、あっちもそうじゃん!情報じゃん!ってことを書いたにすぎず、昔に特に注目を集めた時期もあるようだけどイマイチよくわからん。

    僕の理解が少ないのでしたらすみません。そのうちまた読み返します。

  • 初めて梅棹先生の本を読みました。
     読めば「1960年代に、この現代を見抜いていた」という慧眼に感服することは間違いないと思います。過去・歴史の分析と、現在に起こっている事象との相違・繋がりを、絶妙な「言い換え」によって表現し、そこから未来を読む。この「言い換え」が梅棹先生の慧眼に結びついているのではないか?と感じました。
     分かりやすい例えもあれば、一読では理解しがたい表現もあり…だからこそ余計に、好奇心を掻き立てられるのかも。読むのに難儀して、一旦置くんだけど、時間をあけるとまた読みたくなり…を、読み切った後もしばらく繰り返しそうです。

  •  梅棹忠夫氏が「情報産業論」を最初に論じられたのは1962年ですが、その後の時代の流れを正確に見通していることに驚きました。生物の発生学にもとづいて情報産業を外胚葉産業と例えた着眼点もさることながら、情報の意味と価値に関する認識を改め、情報経済学までも打ち立てようとされています。

     特に情報産業時代の価格決定システムとして提案されている「お布施原理」には目からうろこが落ちる思いでした。一般にモノの価格は需要と供給で決まりますが、情報の価格は売り手の格と買い手の格で決まるという洞察されてます。実際に現代社会ではソフトやコンテンツに対して正規料金を支払う人もいれば、で無料でダウンロードする人もいます。このお布施理論は来るべき「評価経済社会」にも通じるものを感じます。

     また、梅棹氏はマーケティングについても先見性があったようです。梅棹氏が80年代以前から指摘していた体験情報の重要性や顧客ニーズの個別化の動きは、その後「経験価値マーケティング」や「1to1マーケティング」としてMBAコースでも教えられています。

     コンテンツビジネスについても、80年代当時に民放が情報の価値を理解せずに古いフィルムを廃棄していた一方で、梅棹氏はビデオオンデマンドの構想を先駆けて打ち出し、ライブラリの構築を進めていました。

     現代では当然と考えられていることを40年以上前に予見した梅棹氏の思考の根底を理解することは、この先に起きる変化に対応する際に必須かもしれません。

  • 昔とった杵柄・・とはこのこと。しかし内容はむしろ今こそ読み返されるべきものだと思いました。情報=コンピュータと思い込んでしまう世代にはとくに情報の本質を感じさせる本です。

  • 糸井重里『ほぼ日刊イトイ新聞の本』で良書として紹介されていたので購入。1960年代に書かれた論文「情報産業論」は、まさに21世紀の現代を予見した驚きの内容だ。『情報』の性質を正しく見極めることで、その将来像を言い当てるすごさ! 情報産業は従来の第1~3次産業とは別次元の産業構造なんだ。「情報の考現学」では職種ごとの考察と疑問提起がなされているが、2045年問題と考え合わせた時に、人間とコンピュータをはじめとした情報機器との関係性が逆転してしまうかもしれない未来を想像して少し不安になるな~

  • 情報といってもマスメディアが垂れ流すものから、米の袋の銘柄や産地など、色々。昭和37年執筆の情報産業論に出て来た中胚葉産業という喩えが面白いのだが、高度情報化社会となった現代は、指摘するところの外胚葉産業の時代になってしまっているのだろう。

  • 「情報産業」というと、今ではコンピュータとインターネットというイメージが強い。しかしそれは狭義の情報産業でしかない。本来は宗教やレジャーなどの、体験や感覚に訴えることも含むのだ。

    時代の流れとして、農業の時代、工業の時代、情報の時代という考えがある。今では一般的なこの考えだか、最初に発表したのがこの本の著者、梅棹忠夫らしい。感心してしまうのはその着想をTV放送から得たという。ようやく民法の放送が始まったような時代にである。そうとうの先見の明があったと言うしかない。

    ある意味で残念なのは、今この本を読むと当たり前なことばかり書いてあるということだろう。新しい考え方に触れられるというのではなく、こんな昔に思いついていたのかという驚きしかないのだ。

  • いっつも「情報は力だ」と考えるようになった僕としてはとても楽しく刺激的に読めた。
    例えば宗教の聖書もコーランも古典情報でありその脈々と語り継がれた「情報」が世界を今でさえ動かし絶え間なく変えてきたし、個人にとってもある「情報」を知ってるか知ってないかで、大きく選択が人生が世界が変わってくる。
    音楽でいえば和声概念とか音階とか。サッカーでいえば蹴り方とか蹴る場所とかフォーメーションとか戦略とか。なるほど!と思えるような情報は、我々がなにも知らず闇雲に無限の中を進む時間を無益なものにしないよう正してくれる。
    だからこそインターネットの凄みを感じさせる昨今であるが、この本に記されている論文はインターネット以前の1960s〜1980sにかけて書かれたものであるにもかかわらず、来るべき現代そして未来を見事に予測するものであった。
    内胚葉産業、中胚葉産業、外胚葉産業という言葉でそれぞれ比喩された農業の時代、工業・エネルギーの時代、精神産業の時代へと向かう人類。まさに精神産業は体験を売る情報産業の時代。それはいわばUXの時代。アカデミックながらも古く平易な文体で書かれた本書は全然デザインに関わる自分の職業領域に繋がっていた。名著。

  •  皆さんは、高校の情報科で何を学びましたか? 情報を使いこなす上で大事なのは何か、技術的な理解を深めることと、情報の意味や価値、社会的影響を理解することと、どちらが重要なのかを考えるきっかけになればと思います。

  • モノ自体に価値はなく、体験に価値がある。すべてをひっくり返す新しいルールが顕在化しようとしているときに、何をすべきかに意識的になる。

  • 勉強になりました。

  • 流石に「情報」を広義に捉えすぎだと思う。「体験」まで情報に含めるのは違和感を禁じえない。
    それはともかく,先見性はすごい。

    「お布施の原理」:
    「情報の提供者と,うけとり手との,それぞれの社会的,経済的な格づけは,いちおう客観的に決定することができるはずのものである。このふたつの格の交点において価格がきまる,というかんがえかたなのである。」(61頁,「情報産業論」)

    「工本主義もまた,反動イデオロギー化するおそれがあるということです。工業生産第一主義が,いまや日本の進歩の足をひっぱる可能性がでてきている。もう工業の時代ではかならずしもなくなりつつある。……情報産業化というのはひとつの時代のながれ,時代のうごきだということを見さだめて,それに歩調をあわせる方法をかんがえてゆくべきではないか」(139頁,「情報産業論再説」)
    ……ものつくり大学のことかな?

    「工業時代の前期には,いろんな社会悪が発生している。日本には「女工哀史」の例がある。あたらしい生産システムに人間が適合できなかったからだ。おなじことが二一世紀の初期におこるかもしれない。」(148頁,
    「人類の文明史的展望にたって」)
    ……ブラック企業(特にITドカタ)のことかな?

    「情報手段が発達し,情報ネットワークが完成にちかづくと,全国の情報的都市化は完成し,地方は安定するというのが,一般に期待されているところである。しかし現実にはかならずしもそうではない。情報が欲望を開発してしまうのである。……人びとは,擬似体験をこえて,なま体験をのぞんでいるのである。」(292頁,「情報の考現学ーー現代世相の解読のために」)

    「結婚式にしても,神前結婚が古来のかわらざるスタイルとして一般にうけとられているが,それは完全な誤解である。神前結婚は明治期にはじまり,戦後に普及した流行現象である。」(297頁,「情報の考現学ーー現代世相の解読のために」)

    「現代の工業自体が,前時代における過剰教育の成果なのである。農業については不必要であった知識,学問が,つぎの工業の時代をひらいたのである。そして,工業の時代において,一見不必要とおもわれる高度の教育が,つぎの時代をひらこうとしているのである。そのことをわすれて,現代の工業水準に,まさにぴったりの程度の教育水準に国民をとどめておこうというのは,まったく近視眼的工業家の発想であろう。」(300頁,「情報の考現学ーー現代世相の解読のために」)

  • 工業製品ではない情報とは何かということを論じた作品。単純にインターネット社会の出現を予想した論文ではない。
    放送業、ブランド品等、物質的ではないサービス業を情報産業という作者が定義した単語を、論じられていて説得力があり、一読の価値がある。
    驚異的なぐらいに、60年代に書かれたとは思えない。非常に論理明快で、モレなく論述されており、また、無学な私にも読み易い作品。
    グーグル、LINEなど無料のネットサービスを論じる前に、まず抑えておくべき作品。

  • 偶然、著者の自伝「行為と妄想」を読んで、他の著書も読みたくなった。書店で探してもなかなか見つからない。時代遅れとでも認識されているのであろうか。著作集はあるけれど、もちろん単行本で手が出ないので、やはり文庫でちゃんとそろえておいてほしい。本書に収められた論文は、最も早いもので1960年代に書かれている。その当時の、「情報」という言葉に対するイメージが分かる。まだ、戦争のにおいが残っていた時代。「情報」には良い印象が持たれていなかったようだ。その中で著者は、現在使われている意味で、中立的な立場で、「情報」という言葉を使われている。ラジオやテレビはもちろん、教育も観光もスポーツもファッションもみな情報産業の枠組みで議論されている。情報を基にした経済学を構築する必要があるとも言う。その中で、お布施や原稿料などがおもしろい。つまり、その金額が、支払う側と受け取る側の「格」によって決まるというもの。レストランにしても、ファッションにしても、美容院でも、ホテルでも、教育だって価格の格差は大きく開いている。パーソナルコンピュータが各家庭に入った現在でも、本書の意味は大きいと思う。(今(2015)になって思えば、やはり、このとき、著作集を買っておけばよかったのだ。女性論がまだ見つけられていない。)

  • 梅棹先生が名付け親となった、「情報産業」という概念について語るエッセイ集。情報そのものが価値を持つ、みたいな話。テレビとか、品質ではなくイメージを売るとか。おおもとの論文は50年前に発表されたもので、今読むと当たり前のことを言っているような気がするのですが、逆に今の流れを言い当てているということなので、すごいことなのかもと思った。加えて、「提供する側が金を出す」という構図について言及しているあたりは、より一層、現代に近い考え方のようで、興味深いです。最近は製品に付随した、「物語」を売ったりしますからね…。

  • 「第三の波」よりも早かったが国際的には知られず。
    何か、インフレーション理論を想起させる。
    「情報」という単語を考えていくとどうしても拡散せざるを得ず、本書からもそれは感じられる。一編が短くなるのはそうしたためだろう。
    「環境」という単語と、そういった点で似ている。
    著者の先見性、発想の豊かさは星新一氏を連想させる。

  • 書かれたのが大分昔とは思えない、今でも通用する情報学の本。
    解説を読むとトフラーの第三の波と同じことをトフラーの前に提唱していたとあり、それ自体もすごいことだが、トフラーよりもわかりやすかったことに感動した。
    情報化社会とはどういうことかをもう一度俯瞰して考えたい時に読むのがおすすめ。

    ここからは個人の感想だが、「情報は中身を知ってからお金を出すことはないから常に水物、価値が計りづらい」ということだけど、知財など今の時代は情報を得ることではなく使うことにお金を払うのであり、DVDやiTunesは欲しいときに自由に見られる(聞ける)ような便利さとか検索しやすさ、加えて手元に置いておくことによる所有欲にお金を払うのだとしたら、情報を見てからでもお金を払うことはあり得ると思った。本も買ってから読むのが普通だけれども、本屋で全部読んでそれでも欲しい本というのも稀にある。地図や旅行ガイドブックは手元にないと使えないから買う。そうするとお代は見てのおかえり的な売り方というのは、もしかしたら一読で使い捨てられる情報に対してのみ当てはまるものかもしれない。ただ、一見性が悪いということではなく、観劇などはライブ感を買うということでは、高値が付くことにもつながっているわけで、どちらが悪いということではないのか。

    そして著者はそういうことを気がついた上でどちらも情報の側面として否定はせず、ご本人は、技術の進歩の恩恵を受けて伸びてきている(既出の)情報の蓄積、整理も大事と言って博物館を運営しているんじゃないかという気がした。

  • 1963年に発表された「情報産業論」は、社会の情報化とその帰結についての展望をおこなった、先駆的業績です。なお著者は、本書の位置づけについて、『文明の生態史観』が人類文明の地理学的な見取り図を描く試みであったのに対して、本書は人類文明の歴史学的な見取り図を描いたものと述べています。

    情報産業革命は、農業革命、工業革命につづく人類文明史における第三の革命だとされます。このプロセスを、著者は動物の発生の過程になぞらえて説明しています。第一段階が消化器官系を形成する内胚葉期、第二段階が筋肉・骨格を形成する中胚葉期、第三段階が脳神経系と感覚諸器官を形成する外胚葉期に、それぞれ相当します。「外胚葉産業」である情報産業は、「腹の足し」になるわけでも、労働の負担を軽減するわけでもありません。それにも関わらず、人びとは情報を求めずにはいられません。言葉やイメージ、色や形、音や映像、味や香りや肌触りなどの情報が人間の感覚器官や脳神経を通過し、活発な活動を生じさせます。

    こうした観点から、著者は現在のあらゆる産業は情報産業化していると論じます。たとえば食料について見ると、現在の食糧産業はエネルギーを供給することを目的としているのではなく、味覚を楽しませることを目的としており、人びとは味覚を楽しませる情報に金を払っているということができます。著者は、衣類や観光、スポーツなども、こうした意味ですべて情報産業だと主張しています。

    こうした発想は、1970年代から80年代にかけて隆盛を見た消費社会論の中で盛んに論じられ、今では当たり前の風景になってしまっていますが、本書の論考が発表された当時はずいぶんと大風呂敷の議論に見えたのではないかという気がします。「コンニャク情報論」などは、今では珍妙な説明に見えてしまいますが、まだ誰にも見通すことのできなかった時代の変化を、何とか直感的に描ききろうとする先覚者の努力を読み取ることができるように思います。

  • 今から半世紀近く前に、今日の高度情報化社会の到来を予言した筆者の慧眼に、ただただ敬服。

  • 「情報」を一つの産業と捉えた情報産業
    論を始めとして補論・再論そして論文についての批評等をまとめた項まであります。 皆さん書かれておられることですが2014年に読んでも遜色なく、とても興味深い内容でした。

  • 2014 1/2読了。Amazonで購入。
    いろいろまとめ買いしているうちにAmazonからリコメンドされ、おうこれは読んでみねば・・・と思い手にとって見た。
    梅棹忠夫先生が1960年代に出した先見性のかたまりみたいな論文で唱えていた「情報産業論」について、関連する複数の論考をまとめた本。この本自体は1980年代末出版。
    「情報産業論」の主題が各論で繰り返されるので、圧縮すればだいぶ情報量が減りそうな気もする反面、どこが肝なのかはよくわかった。

  • 1963年に「物質とエネルギーの産業化から、感覚情報と精神の産業化へ」と説いた先見性ありすぎの書。農業革命によって胃袋が満たされ、工業化によって過酷な肉体労働から解放された。人類は、残る脳と精神を開放する最後の段階に入った。可能性は、無限だ。

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物質とエネルギーの産業化から、精神の産業化へ-。情報産業社会の到来をいち早く予告し、その無限の可能性を人類文明の巨大な視野のもとに考察した、先見性と独創性に富む名著。

情報の文明学 (中公文庫)の単行本

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