奥の細道―マンガ日本の古典 (25) 中公文庫 (中公文庫 S 14-25)
- 中央公論新社 (2001年4月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122038172
感想・レビュー・書評
-
矢口高雄は、漫画「釣りきち三平」を書いた人だ。
自然に対する思いが強い作家である。
そんな矢口高雄が、描こうとする松尾芭蕉は、あるがままの自然人と言える。
矢口高雄は、丹念に松尾芭蕉調べる。
松尾芭蕉の松尾芭蕉らしさを追求する。
奥の細道の舞台はまさに松尾芭蕉の姿を如実に表す。
松尾芭蕉は古歌に詠み込まれた名所旧跡を訪ね歩く。
九郎判官の高館。1189年4月30日 そこで義経は死する。
そしてそこで1689年松尾芭蕉は俳句を詠もうとする。
ちょうど500年後である。
「夏草や兵どもの夢の跡」
その俳句は今も語り継がれる。
時を経ても、みずみずしく色褪せない。
そんな俳句を詠み続けた松尾芭蕉に対する思いが強い。
そこには言葉で説明せず、絵で説明しようとする。矢口高雄の真骨頂である。
松尾芭蕉は人に媚びへつらいご機嫌を伺うことが嫌いだった。
そうだからこそ旅に出て俳句を詠み続けた。
野ざらし紀行。鹿島詣。笈の小文。更科紀行。そして奥の細道。
尾花沢の鈴木清風との交流は清々しい。
清風のもてなし、紅花に想いを寄せる。紅花の未来をも思いやる。
松尾芭蕉の人的ネットワークは素晴らしいものがある。
そして月山に登り山頂での景色を三原して、この物語は終わる。
矢口高雄の芭蕉が表現できることで、切り取ることの巧みさ。うまいねぇ。秋田生まれの東北愛が満ちている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
松尾芭蕉の訪ねた中尊寺、義経堂などを見たあとで読んだので、建物やそこから見る風景の描写が実物に忠実で感動しました。
芭蕉の句のいくつかが取り上げられており、その解釈がわかって、参考になりました。 -
マンガ日本の古典シリーズ。言わずと知れた名作揃い。家に眠っていた本書を何気なく手に取ってみた。面白い。面白すぎる。この歳になって読む「奥の細道」は、人生のいろんなシーンを思い出させてくれつつ、スッと体に入ってくる。奥の細道を辿ってみたくなった。
-
「旅を愛し、旅の中に「風雅の誠」を追求してみずからの俳諧を高めようとした松尾芭蕉の「みちのく」の旅の記録。みちのく出身の漫画家矢口高雄が記憶の中の原風景をたどり、数々の名句が生まれる過程、旅路で芭蕉が得た人々との交流を、こまやかな情景描写とともに描き上げる。平成九年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。」
-
「釣りキチ三平」の著者が、こんな本書いてたんだー、と懐かしさも手伝い、図書館で借りてみる。
読みながら、作者がすごく下調べを行なって描いているのが伝わり感心する。(実は俳句好きなのも初めて知った。)
そして(後書きで作者が述べているように)、当時はどんな風に俳句が詠まれていたのかが分かり面白かった。これ、文章で説明されてもたぶん頭に入らなかっただろうな。
これに併せて、古典の「奥の細道」も追いかけて借りてみた。 -
丁寧な絵があることで旅の世界に引き込まれて一気に読んだ。このマンガには著者の情熱が込められている。
-
「奥の細道」の中の、平泉から出羽路を描く。その中で、夏草や…(平泉)、閑かさや…(山寺)、五月雨を…(最上川)、など、現在でも広く知られる名句が生み出された。
自然描写が何より素晴らしく、東北の人々の訛りも良い感じに表現されていた。芭蕉は、現地の俳諧を嗜む人々とたくさん交流をしていたことを知った。というのも、当時の「俳諧」は今のように五・七・五が独立した形ではなく、数人で集まって五・七・五の長句と七・七の短句を交互に並べて、百韻(百句)または歌仙(三十六句)で一巻とする“座の文芸“であり、芭蕉は俳諧の師として座の中心として自らも作句しながら他の者に指導や評点を加えた。東北の人々はそうした指導を芭蕉に仰いだという訳だ。
芭蕉が蕉風(しょうふう)俳諧という独自のスタイルを確立し、風雅の誠という心持ちを見出すにはこの「奥の細道」旅が重要な役目を果たしたようである。 -
「奥の細道」から出羽路を軸に描かれる。秋田出身の矢口高雄が自ら熱望して描いたとの事で、出身地の奥羽山脈周辺の自然描写は情感が篭って、心なしか瑞々しく見える。また、謎の多い芭蕉の旅の模様も、土地勘のある矢口氏の「解説・推察」が中々に説得力がある。