- Amazon.co.jp ・本 (298ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122040748
感想・レビュー・書評
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欲というのは私欲だけではなく、人のため、引いては世のためということがわかった。蓮の花みたいに泥沼の中に美しく咲く花でありたいと思った。
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お経の説明だけでなく、わかりやすい仏教の考え方の説明にもなっていて、繰り返し読みたい。
仏教のこういうところが好き。
"心と言葉と体の三つの作用によって私たちは如来の性格をもっているということになります。体も心も言葉もみな仏さまと同じものをもっているんです。ですから私たちの中に如来が包まれているし、私たちは如来に包まれているのです。" -
「理趣経」松長有慶
絶対的な愛とは自分をなくすこと。仏教では慈悲という。
法身とは真理そのものを具体的な仏様で表したもの。大日如来。
歴史的人物としてこの世に身体をとったのが応身。釈尊
四種法身
1.自性法身、、、真理そのもの。大日如来
2.受用法身、、、完全無欠の大日如来の性格を4つに分けたもの
3.変化法身、、、歴史的に現れた釈尊のような者
4.等流法身、、、世界の全ての生き物
理とは客体的な存在。物質
智とは主体的な存在。精神
欧州近代社会では「我」の確立を大事にし、仏教では「我」の確立と同時に、それが全体の部分である事、大宇宙の中に自分が入り、自分の中に大宇宙を入れる事、この二つが一つである事を自覚する事が「悟り」であると考える。
理趣経は倫理、道徳よりも上位段階の教え。自分を全体の中に融合させ、全く自分をなくしてしまって全体の中で自分を生かす境地。欲は理性で抑えるものではなく、より高次に純化させるもの。
自我を確立し、他人に干渉されないのが自由ではなく、全体の中に自分を取り込み、他人と自分が一つになる事が自由であり自在である。
三毒煩悩
貪(とん)むさぼる
瞋(じん)怒る
痴(ち)愚かさ
三毒煩悩は無くそうとしてもなくならない。もっと高次の大きな欲に高める事。例えば自分の為でなく、社会の為に怒る事。
怒りや欲、愚かさは本性を尋ねていけば自他の対立を離れた平等なもの。そこに行き着いて本当の世の中の姿が見えてくる。
表面的に見て汚いと思っても、それは我に囚われている見方であり、一切のものは本来自他の対立を超えている。
現実世界の一切のものの中に精神的、物質的価値を見出し、全ての人の願いによって宝を与える事が三界の主となること。
永遠性を見つめて自分自身と仏様が同じであると気づく事が悟りの境地。
自分に対する小さな拘りを大きな拘りに育てていくこと。
自分の幸せが他人に移り、他人の幸せを自分が受け取らせてもらう関係になる事が究極。究極に到達すれば、悟りを得る事は二の次になる。自分が全体となり、全体が自分となる。これが平等であり般若の教え。
大欲とは絶対的な欲。欲を持つ事が楽しみになり、自分の励みになるような欲を持つ事。
大楽とは絶対的な楽しみ。自分を捨ててひとの為に尽くす事が大楽。
真理は方便という形で現れてきて初めて私たちの為になる。 -
これはすごい。
読んでよかった。
高野山大学の名誉教授、真言宗の大阿闍梨、密教の法統を継ぐ著者が、ある文化講座でした理趣経・密教についての講義からまとめられた本です。
話し言葉で書いてありますので、とても読みやすく、すっと入ってきます。
性について書かれた経典ということで、好奇の目をもって見られる理趣経。
それを実に明快に解決してくれます。
何度も読み返していきたい本がまたひとつ見つかりました。 -
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(立花隆選)188
仏教 -
とても分かりやすく書かれているだけでなく面白い。
たまに読み返したくなる。 -
世の坊さんどもは、どうしてるのかと思いました。
菩薩勝慧者 乃至盡生死
恆作衆生利 而不趣涅槃
特に真言宗の坊さんは、ここをどう自分のものにしているのだろう?
”大乗の菩薩の中で非常にすぐれていて知恵があるもの、すなわち真言行者は、生きているかぎりは常に他人の利益を心がけそれを実行するようにして、しかも悟りの境地におもむかないと書かれています。” p277