五郎治殿御始末 (中公文庫 あ 59-1)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122046412

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  • 『男の始末とは、そういうものでなければならぬ。けっして逃げず、後戻りもせず、能う限りの最善の方法で、すべての始末をつけねばならぬ』

    千年続いた武士の時代が終焉を迎えた明治の世、武士だった男たちのそれぞれの幕引き、新たな生き方を描いた六編。
    様々な身の振り方や生き直し或いは身の始末があって、短編ながら読み応えがあった。

    ある者は商人になり、ある者は妻の在地へ行き農民になる。ある者は十三年も主君の仇討ちを望み、ある者は藩士たちの始末から家の始末、最後は自分の始末も終える。
    そこに至るまで足掻きながら悩みながら苦しみながらの日々。しかもそれは自分ひとりのことではなく、妻や子、孫にまで苦労を掛けながら。一体なんのために抗うのか、誰のために足掻くのか。

    「椿寺まで」
    商家の旦那と初めて共をする丁稚の旅。旦那が旅の共に少年を選んだ『のっぴきならねえわけ』とは。

    「函館証文」
    かつての戦争であちこち繰り広げられた命乞い。その証文三通が行き交う結末は。

    「西を向く侍」
    突然西洋暦に変わり、師走が二日で終わってしまう大混乱。その中で文部省天文局に雇ってもらう予定の暦の専門家は何を思う。

    「遠い砲音」
    一日が十二刻だった時代から二十四時間、さらに一分一秒まで計る時代に変わる中で戸惑う軍人。

    「柘榴坂の仇討」
    井伊直弼が桜田門で斃れたその場に居合わせながら何も出来なかった元近習は、十三年経った今も主君を斬った残党を追っている。

    「五郎治殿御始末」
    桑名藩の藩士だった祖父が歩んできた苦衷の日々。同じ藩士たちの人員整理、家の始末、そして孫を連れての死出の旅。

    ここに出てくる元武士の人々は、武士という身分に無理にしがみついていたり誰かに押し付けたりするのではなく、自分なりの心の整理や新しい世界への一歩を踏み出すきっかけを探す人。
    元主君との関係、主君側の情も良かった。単なる忠心という言葉では括れない、絆があった。
    西南戦争に身を投じた人々にもいろんな思いがあったのだろうと改めて思った。
    しかし切ないだけではなく、前向きだったりユーモアも入れてくれたり、その辺も良かった。

    解説は磯田先生。歴史の視点での解説もありがたい。
    カバーは新装版のようだが、私が図書館で借りた古い装丁のほうが雰囲気が出ているように思う。

  • 価値感や習慣の劇的変化に翻弄される幕末に戸惑いながらも馴染んでいくしかない武士の生き様を描く。
    「西を向く侍」
    「遠い砲音」
    が良かった。

  • 嫌う人も多いと思いますが、私は浅田次郎さんの"泥臭さ""しつこさ""あざとさ"が嫌いでは有りません。いやむしろ、それがあっての浅田次郎と思っています。
    最初の4作は、そうした浅田節が余り表に出てきません。こんな作品なら誰が書いてもいいだろうという感じです。「なんだろう?」と思いながら読み進めました。
    最後の2編は浅田さんらしさがやや現れてきます。特に表題作の「五郎治殿御始末」は"らしい"作品と言えるでしょう。

  • 江戸時代から明治を迎えた武士たちの物語。

    椿寺まで
    箱館証文
    西を向く侍
    遠い砲筒
    柘榴坂の仇討
    五郎治殿御始末

    維新を迎えた侍たち、それぞれの矜恃。時代の大きな波に翻弄された、生きるのが下手な無骨な男たちの物語。じんわりと胸を熱くします。

    桜田門外の変を題材にした柘榴坂の仇討は、中井貴一、阿部寛、広末涼子のキャストで映画化されます。楽しみです。

  • 幕末の人情物。
    維新の変わり目を生きた武士たちの物語。

    実際には、こんなロマンチックな話ばかりではないと思うけど、当時の武士の価値観からすると、頷ける話。

    不器用な生き方は、ある種の美しさがあり、
    狭苦しいところに、人間らしさがあると言える。

    表題作の、五郎治殿御始末、武士と町人の絡みで現される人間というものの描写が、浅田節といえるのではないか?

  • 浅田次郎の短編集です

    明治維新、武士という職業そのものが消えた時代。
    古いものの代わりに新しいものが次々に表れる激動の中で
    時代に適応しつつ、自らを適切に“始末”する男たちの物語


    当時の人々にとって「御一新」がどれだけ大変だったか身に沁みました

    わずか100年と少し前の
    太陰暦から太陽暦へ、1日は24時間と60分と60秒に分けられ
    政府体制から着る服まで変わった大事件を
    改めて身近に感じられます

  • 明治という変革を迎えてしまった武士達の姿を描いた短編集。物理的存在否定だけでなく、急激な近代化、西洋馴化による士道の忠義忠節すらも失われゆく中、ある者は不器用に時代に抗い、ある者は溜まった澱と決別し、時と共に歩む道を選ぶ。
    各話とも胸にこみ上げるものがあり、涙無しでは語れない。コミカルな「お腹召しませ」と合わせ読みで効果絶大。

  • 幕末から明治、「最後の武士たち」の生きざまを描いた作品集。
    時代の転換期に自らの居場所とアイデンティティを同時に喪った武士たちの悲哀・嗚咽・希望がまるで見てきたように鮮やかに描かれている。
    ある作品は哀愁に満ち、またある作品は弱々しくも向日的であるが、どの作品を通しても「普遍なるもの」を求めているのが印象的だ。
    信じるものが無くなったとき、生きる理由が見当たらなくなったとき、それでも人は何を求めて残すことが出来るのか。
    時代や洋の東西を越えた理念は現代にも確かに通低していて、「いまの時代の生き方」というものを今一度、俯瞰して考える必要があるのだな、と思わせてくれました。
    雑事のない連休には良い一冊でした。

  • ご一新後(明治維新後)の元・武士達の日常を描いたお話。 激動な時代を精一杯生きてます。 今も激動の時代とか言いますが、このときほど歴史が大きく変わり、人々の生活に変化をもたらしたことはないだろう。

  • 武士道に痺れる男たちには密かな嫌悪感を抱いていたのですが、己の信じる価値観を一時も疑わず、ぶれることとなく生き抜くことの美しさへの憧憬なのですね。
    ここに出てくる侍たちは、世の中の価値観がひっくり返って混沌としても、他人に己の価値観を押しつけることなど露ほども思わず、ただ信ずるところに誠実に、淡々と、必死に生きた。美しい生き方とはこういうことだったのですね。
    そんな美しさのかけらでも持ってみたい。何かひとつ、ぶれずに持ち続けたい。強烈に思いました。

著者プロフィール

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で「吉川英治文学新人賞」、97年『鉄道員』で「直木賞」を受賞。2000年『壬生義士伝』で「柴田錬三郎賞」、06年『お腹召しませ』で「中央公論文芸賞」「司馬遼太郎賞」、08年『中原の虹』で「吉川英治文学賞」、10年『終わらざる夏』で「毎日出版文化賞」を受賞する。16年『帰郷』で「大佛次郎賞」、19年「菊池寛賞」を受賞。15年「紫綬褒章」を受章する。その他、「蒼穹の昴」シリーズと人気作を発表する。

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