検証戦争責任 (下) (中公文庫 よ 38-2)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122051775

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  • 太平洋戦争の戦争責任を検証するという読売新聞の連載特集を書籍化したもの、その下巻である。上巻をとても面白く読んだので、下巻も期待していたが、今一つの読後感だった。
    下巻は、まず、「日中戦争」「日米開戦」「太平洋戦争」「終戦工作」「東京裁判」という具合に、太平洋戦争の推移を跡付ける。
    その後、
    ■第6章:「昭和戦争」の責任を総括する
    ■第7章:「昭和戦争」の責任検証最終報告
    ■第8章:「昭和戦争」から何を学ぶか
    という順番に話を進めている。

    第6章では、「満州事変(の勃発)」「日中戦争(の開戦と継続)」「三国同盟(の締結)」「日米開戦」「戦争継続」「特攻・玉砕(作戦の立案・実行)」「本土決戦(作戦の立案)」「原爆・ソ連参戦(終戦の遅延)」のそれぞれについて、「誰の責任が重いか」を論じている。
    例えば、「満州事変」であれば、石原莞爾と板垣征四郎が首謀者であったという具合だ。「日中戦争」であれば、近衛文麿首相と広田広毅外相の無策によって、泥沼に突入していった、という具合に、それぞれの事項について、誰の責任が重かったかを、論じている。すなわち、それが起こったことを、個人の責任に帰しているのである。
    「戦争責任」といった場合、確かにこういう風に考える方法もあり得るし、現実に東京裁判などは、こういった風に被告を特定していっている。しかし、このやり方は、私が「検証」という言葉からイメージしていたものと違っていた。
    例えば、満州事変であれば、なぜ、石原莞爾と板垣征四郎は、政府や軍部中枢の判断を無視して、現場の判断で事件を起こすことが出来たのか、しかも、それをその後、追認する(あるいは、石原と板垣を英雄視する)ことになったのは何故なのかということを論じて欲しかった。単に「石原と板垣がこういう悪いことをしました」という具合に個人攻撃をするだけでは、「検証」になっていないのではないか、そうではなくて、「何故、石原と板垣は、このようなことが出来たのか」ということ、今風に言えば、当時の軍隊と政府のガバナンスがどうなっていて、そのガバナンスはどのように機能して、あるいは機能しなかったのか、更には、どうしてそのようなガバナンスの形態がとられていたのか、ということを論じなければ、「検証」にはならないと私は思うし、そこから教訓は得られないのではないかと思う。
    第7章、第8章はここでは詳しく触れないが、同じくやや不満を感じる内容であった。

  • 国際情勢、読み誤る
    統帥権を盾にした掌握
    議会 戦争を無批判に追認

  • 東条英機は首相就任当初は開戦を白紙見直しをしようとしていたのは知っていたが、開戦後には余りにも酷い対応をしていたということで自分の認識を刷新した。天皇の御心はわかっていると思っていたのだが。小中学校で教わる昭和戦争は内容が薄い。やはり昭和は今に繋がる大事な時代なのできちんと教えるようにしてもらいたい。

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