- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122055704
作品紹介・あらすじ
古代の始皇帝・李斯から近世の雍正帝、近代の汪兆銘まで、中国史を語るのに欠かせない名君・宰相・文人等の生涯を、博学を生かした達意の文章で紹介しつつ、各時代の特質を浮き彫りにした人物伝。
感想・レビュー・書評
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[評価]
★★★★☆ 星4つ
[感想]
宮崎市定氏の著作物から中国の君主と宰相に関するものを集めた内容となっている。
特に気になったのは孔子に関する文章で孔子の扱いが歴史が進むと政治家から教育者と移り変わっているということには興味を引いた。現代でも孔子学院と呼ばれる施設が世界各地の大学に設置されることがあるが、これは孔子が政治家ではなく、教育者という扱いだからなのだろうかと考えた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東洋史の大家、宮崎市定氏の、皇帝・宰相・儒家など、実に多くの人物に焦点を当てたエッセイや論文がまとめられている。
有名な人物から、日本ではそれほど知られていない人物まで。資本家や地方官にまで及ぶので、その知見。見識はさすがというほかない。
他の書評にもあるが、「南宋末の宰相賈似道」と「張溥とその時代」。これは実に読み応えがあるので、このためだけに読むのも一読の価値ありと言える。 -
地域史
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清の康熙帝、雍正帝の名君ぶり業績、秦の李斯の史記列伝の語りが講談物を集めたような語りになっていること、乱世の五代十国で数々の国に仕えた馮道を後世の価値観で変節漢と称すのいかがなものかという指摘と、後世の王兆銘との類似点の指摘、南宋の賈似道について読む。賈似道は、敗者側として史書にはさんざんな書かれようだが、貴妃となった姉の引きで高い地位に登ったが、姉の死後も信頼を得てか皇帝に重用されたこと、財政政策などで一定の見るべきものがあったことなどが描かれる。
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東洋史の泰斗宮崎市定氏の、皇帝、宰相、資本家、儒家など、人物に焦点を当てたエッセイや論文がまとめられている。人物事典の記述であったり、本格的な論文であったり、毛色の違うものが集められているので、全体として散漫な印象も受けるが、どれも軽妙洒脱な名文ばかりである。本書は、もちろん内容も興味深いが、硬軟様々なタイプの文章が集められているので、宮崎氏の名文を味わうという点でも楽しめる。以下、いくつか興味をひいた項目を書き連ねてみる。
「清の雍正帝」は、人物事典の抜粋であるが、名著『雍正帝』のエッセンスが凝縮されている。「南宋末の宰相賈似道」は、宮崎氏の卒業論文をもとにした論文であり、その水準の高さに驚く。「宋江は二人いたか」は、史料批判をしながら問いに対する答えを探っていくという歴史学論文の手本のような論文。「藍鼎元(鹿洲公案 発端)」は、史料の現代語訳かと思われるが、小説のようで仕立てで面白い。「孔子」は、孔子自身についてよりも、孔子が後世にどう評価されてきたかを中心に書かれているが、「政治家」としての孔子、「教育者」としての孔子という二つの見方の相克がわかって興味深かった。 -
秦から清まで(少しだけ汪兆銘にも触れられているが)、タイトルにある皇帝と宰相にとどまらず資本家や地方官、文人も含んだ人物伝。それぞれ別の機会に発表された論文のまとめであり、皇帝から一般にはマイナーな人物まで含むので一冊としてのまとまりは感じにくいが、興味のあるところだけつまみ食いしてもいい。興味深かった点は以下のとおり。
・雍正帝の治世は16年とその前後に比べて短いが、筆者は単著も出しており、好んでいるようだ。この時代は、満州族本来の「素朴な戦士」と中国化した「文明人」両者の気質を併せ持ち、また雍正帝自身は地方官に公式報告書とは別に個人として上級官庁を経由せずに皇帝宛文書を提出させ、また皇帝自身もコメントを入れて返すことで地方の実態把握に努めたこと。
・五代の宰相馮道は六世十二君に仕え、次の宋代では不忠だと批判されたが、自身は「国に忠」だと言い実際に人民によく尽くしていたとのこと。国民党軍が退却した後に日本軍と中国人民の間を取り持った汪兆銘も同様ではないか。 -
2011/11/28:取り上げられている人の順番や文章の書き方にばらつき(例として引用の書き下し文が脚注になっていたり、本文に多用されていたりなど)があり、また私が不勉強なこともありますが知らない人も多く、非常に読み進みにくかったです。