物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤 (中公文庫 た 84-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122056732

感想・レビュー・書評

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  • たくさんのエピソードを集めて紹介してくれる労作。ここに出てくる人たちの学問への情熱の高さが、読んでるこちらにもうつってくる。自分ももっと勉強しようという気持ちになれる。(2015年4月12日読了)

  • 西田幾多郎を中心とする京都学派の解説書や研究書は数え切れないほどあるが、彼らの哲学や思想そのものではなく、その人間関係にスポットを当てた書物は意外に少ない。本書は西田の高弟である下村寅太郎の書簡を中心に、これまで紹介されることのなかった興味深いエピソードを交えて、日本哲学史上極めてユニークな思想山脈を形成した哲学徒達のドラマを綴ったものである。

    京都学派の形成にあたって西田の強烈な個性の果たした役割は言うまでもないが、中でも著者は西田の人事の「妙」を強調する。波多野精一やのちの田辺元のような自己の批判者を迎え入れ、和辻哲郎や九鬼周造といった東大出の異色の人材を主要ポストに抜擢するとともに、一方で卒業生の俊秀を内部に送り込むという配慮を怠らなかった。外部の批判や異質性への開かれた風土と、師弟関係を軸とした濃密な人間的結び付きを両立させたところは、あらゆる組織に通じる成功の秘訣でもあるだろう。学派というとボス教授を中心としたムラ社会的なイメージが先行するが、西田と田辺の熾烈な論争や、弟子の下村寅太郎や西谷啓治が師の西田に与えた学問的影響をみれば、それが京都学派と無縁であったことが分かるだろう。

    京都学派と言えば西田と田辺の学問的対立が注目されがちだが、見逃せないのは、西田に代表されるSelbstdenken=「自己自身の哲学」を重んじる狭義の京都学派(当然田辺もその一員である)と、波多野精一、山内得立、田中美知太郎といった古典文献学の伝統に忠実なグループとの、思想的というより方法論上あるいはスタイルの対立である。波多野は「西田君のような学問は一夜漬けが出来るが、僕のはそうはいかない」と言い放ち、田中は「ハイデガーによって示唆された時間の問題」を「私の立場で考え」「私の言葉で語った」梅原猛の卒業論文を「心境小説だね」と酷評した。戦後西田の高弟達が公職追放された後、京大哲学科を再建した山内得立はあくまで地味な哲学史研究を重視した。それが厳密な原典研究の成果を着実にもたらす一方で、思想的な華々しさではむしろ東大にお株を奪われた感があり、評者のような西田びいきの素人哲学ファンは一抹の寂しさを禁じ得ない。

    本書で紹介されるエピソードの中で個人的に最も興味深かったのは、西田の最大の批判者であった田辺が、最後の病床で弟子の大島康正にやっぱり自分が間違っていたと告白したという話である。大橋良介は全ての西田批判は基本的には田辺の批判で言い尽くされていると言っているが、その田辺が最後に兜を脱いだということだ。田辺の西田批判の上っ面をなぞった議論が今も横行しているだけにこの事実は重要だ。西田哲学は決して「乗り越えられた」過去の哲学などではないと思う。

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