阿呆の鳥飼 (中公文庫 う 9-10)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (261ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122062580

感想・レビュー・書評

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  • 鳥が好きなんだねえ、先生。
    ちょっと偏屈なとこもあるけど、小さいもの、可愛いものへの愛情が深い。

  • 鳥を中心にした小動物に対する百閒先生の、愛情にあふれる…、というか、熱が入りすぎたかと思えば、急に醒めたり、と、まあ、何と言うか…。不思議な随筆集である。

    愛でる気持ちと、その真逆の気持ちが表れる、人間の矛盾性。

    「魚の死ぬのを上がると云い、小鳥の死ぬのを落ちると云い」。

    鶏の鳴き声がうるさい。二階の書斎にいて我慢していてもあまりに騒がしいので、癪に障り、わざわざ庭に出て棒で追い出す始末。余計に鳴き声が激しくなるwそして余計に頭にくるwww
    このエピソードは、百閒先生の姿が思い浮かぶ。

  • 啼き声、を意識するようになりました
    ホウホケと啼く小鳥やチルチルチルと啼く小鳥
    啼き声の方を見ても小鳥は見つからなくて
    傍で小鳥の羽根色や
    ぴょんぴょこ動き回る姿を見ながら
    啼き声に耳を澄ませたら
    百閒先生のように
    幸せな気持ちになるのでしょう

  • “ 死にもしない様な金魚を飼って、どこが面白いのだろうと、私は軽蔑した。”

  • おや、百閒先生のアンソロだと手に取って買って帰ったら家にもう一冊あった…。そうか、後で読もうと買ってあったのか…

    それにしても百閒先生は精神年齢が幼い気がする。物凄い素直で嘘のない人だけれども物事に対する接し方というか生き物に対する接し方があまりにも幼い。欲しいと思うとどうしようもなくなってしまう衝動のようなものを大人になっても抱えている人ってのは大変だろうなぁ。だからこそ彼の文章は今も読まれているのかもしれないけれども。

    私はノラやを読む前に他の随筆を読んでいたので元々は猫キライの小鳥飼いな先生の方が印象に残っていたのでそうか、百閒先生というと猫好きってイメージを持っている人も居るのかぁなんて後書きを読んで思いました。それにしても作中、ネコ二匹失っただけで辛くてやりきれないのに何頭も飼っている人が信じられない、みたいなことを先生が書いてらしたけどご自分は小鳥を30も40も飼っている割に変なことを言うお方だな、と思いました。まあ昔の旦那さんなんてご自分で生きものの世話をなさるなんて言ってもするのはせいぜいエサやりぐらいだろうし後の事は家の者にやらせているんだろうなぁ…なんて事が透けて見えるからちょっと冷ややかな目で見てしまうってのもあるのかもしれないけど。

  • ちくま日本文学の「内田百閒」を読んで鳥に関する随筆を読んだ記憶があるのと、裏表紙に漱石山房に文鳥を連れて行く……とあったのが文鳥好きの私の心を摑みました(大げさ)。
    鳥を主に動物に対する百閒先生の愛玩具合は波のように大きく動き、時にはそれが恐いようでもあり、冷たいようであり、熱過ぎるようでもあり、なんだか一人の人を知ったような気になった。
    漱石先生とのエピソードもいくつかあって微笑ましい。
    明治~戦前中後を含めての昭和の生活史・文化史という面もあった。小鳥や金魚、鯉、こおろぎ、蛍、いたちにウサギ。確かに昭和40年代は屋台の金魚屋や鈴虫やこおろぎを籠に入れて売っている露店の店もあった記憶が微かにあるし、鶯の鳴き声の選評会もなんとなくニュース番組かなにかで耳にしたような。
    風流というか、のどかだった昔の一片も垣間見れる随筆集でした。

  • まだ読んでない内田百閒があった、やれ嬉しやと思ったけど半分ぐらいは既読だった。せめて旧字体で出してほしい。
    昔の人は、家が広いからかいろいろ小動物を飼っている。つげ義春の漫画に出てくるような目白や鶯などの和鳥が多い。昔のこととて簡単に死なせてしまうしそれが普通のことだったが、やはりそのときの悲哀が一番筆を動かすようで、そんな話が多い。
    「魚の死ぬのを上がると云い、小鳥の死ぬのを落ちると云い」。

  • 鳥に関するエッセイ集。
    内田百閒の随筆といえば、飼い猫のことを書いた『ノラや』が圧倒的に有名だが、本書に猫は基本的に登場しない。飼っていた鳥、そして小動物のことが主になっている。
    随筆とも小説ともつかないものが幾つか混じっているが、その、現実と幻想の境界が曖昧なところが内田百閒らしいなぁと思う。
    角田光代の解説も良かった。

  • 鶯の鳴き方が悪いと気に病み、漱石山房に文鳥を連れて行く……。『ノラや』の著者が小動物たちとの暮らしを綴る掌篇集。〈解説〉角田光代

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著者プロフィール

内田百閒(うちだ・ひゃっけん)1889―1970
岡山県生まれ。本名・栄造。15歳のときに親友・堀野寛と出会い、堀野を通じて読書の趣味に目覚める。翌年、夏目漱石の『吾輩は猫である』上篇を読み、漱石に傾倒。19歳のころには俳句熱が高まって、俳諧一夜会や苦渋会という句会を結成。岡山近郊の百間川から俳号を「百間」とした。1910年、東京帝国大学文科大学へ入学。翌年2月に、静養中だった漱石を訪ねる。漱石の面会日「漱石山房」に出席するようになり、小宮豊隆、津田青楓、森田草平、芥川龍之介、久米正雄などと知り合う。以後、陸軍士官学校や法政大学で教鞭をとる。1920年には、作曲家・筝曲家の宮城道雄に知遇を得て親交が続く。同年、幼少期より寵愛を受けてきた祖母の竹が死去。1922年、はじめての著作集『冥途』を稲門堂書店より刊行。翌年、関東大震災に遭い、『冥途』の印刷紙型を焼失してしまう。1933年に三笠書房から『百鬼園随筆』を刊行してから、『冥途』の再劂版や第二創作集『旅順入城式』(岩波書店)、『百鬼園俳句帖』(三笠書房)などを刊行。その他、『贋作吾輩は猫である』(新潮社)、『ノラや』(文藝春秋社)など多数の書籍、作品を発表する。1965年には、これまでの功績を評価され芸術会員に推薦されながらも「いやだから、いやだ」とそれを辞退。それからも『麗らかや』『残夢三昧』(いずれも三笠書房)などを著す。多くの名筆を世に刻み、1971年4月20日に逝去。

「2023年 『シュークリーム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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