- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122067530
作品紹介・あらすじ
一九六一年の初対談「美について」から三島事件を俎上に載せた「歴史について」、そして七六年の大作『本居宣長』をめぐる対論まで、全五回の対話を網羅する。濃密な対話が描き出す「批評」という精神のドラマ。文庫オリジナル。 〈解説〉平山周吉
感想・レビュー・書評
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対談、対話形式の本は読みやすいので、特に小林秀雄を読む時には重宝する。
BGMを流しながら読んでいたからか、対話ってドラマだなぁという思いが浮かんだ。
解説でも触れられているのだが、最初、二人の話は交わるようで交わらない、薄くて硬い壁があるように感じる。
それが、本居宣長と上田秋成の話が、三島由紀夫の自決に至った時にパァンとぶつかる。
江藤「じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」
小林「あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか」
江藤「日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか」
後に江藤淳は『小林秀雄』を著し、そして小林秀雄の死後、彼の「絶対的少数派」であった人生に触れ、涙する。
交わらなかったのではないな、と思う。
この対話の中では、言語について、話がどんどん深まっていくのだが、文字である前の、声という状態に対する反省。
漢文があり、明治期には英語をも取り込んできた、日本の言語に対する意識が、声に戻ってくる、そういう意味でこの作品もまた「対話集」である面白みがあると思う。
以下、自分のための引用。
「歴史を知ろうと思うと歴史を遡らなければならない。時間を逆に歩かねばならない。そうするといよいよ残酷な因果が見えて来る。それがあんまり微細なことになって来ると押し戻されるんですよ」
この、「押し戻される」イメージが分かったらなあ……。
「実証とは実験によって証する事だ。実験とは合法則的な経験だ。だけど私達の日常経験に照らせば、合法則的経験は、経験のほんの一部の形式だ。そういう生きるという意味と同じになった経験という言葉はフランスにはない。英国人の使っているエクスペリエンスという言葉はフランスにはないとベルグソンは言っています」
「鷗外ももちろんそうだが、日本の伝統への反省、それも外国語を勉強して、これを通じての反省というところにある。この問題をあの二人は、なんとかしなければ、生きてゆけないと考えた。二人の仕事の、基礎をなしているものはクリエーションじゃない、実に日本人らしいクリティックなんですよ」
「老いというものが、いったいなんであるのか、四十代半ばの私にはまだよくわかりかねるところが多い。しかし、最近私は、それが単なる生理の結果ではなくて、一つの文化の表現だと思うようになりはじめた。換言すれば、老いを文化の表現としようとする意志を欠いた老年を老醜といい、その意志の稔った老年を豊かな老年というのである」詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
30歳差、江藤淳の緊張感が伝わってくる。しかし、前半の対話と後半の対話で随分距離感に違いを感じた。前半はひりつくような緊張感であるが、後半は6〜7年後で立場が少し変わっているからかもう少し渡り合うような対話に見える。話題が広く様々に変わっていくが、三島事件に対する評価の違いのところが特に面白かった。そして、現実と言葉ががっちり結びついて、現実の動きを言葉にできるし、言葉が現実を動かす基盤になる、その実感があるのが不思議だ。いまの言葉は何にも触れないゲームみたいに感じるのだけれど。そして繰り返し、言葉が根本の人間の精神性みたいなものを規定するという話をしているが、それは本当にそうで、ゲームのような言葉を使っていると人生全てが架空のゲームになってしまう。現実に触れるというのはひどく難しい。最後の江藤淳の「絶対的少数者」の論文は素晴らしかった。
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小林さんは、コピーライター的な言説に溢れている。
感覚的なので、論証は出来ない。その意味で、他者を拒絶する。 -
19/12/17。
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一九六一年の「美について」から七七年の大作『本居宣長』をめぐる対論まで全五回の対話と関連作品を網羅する。文庫オリジナル。〈解説〉平山周吉