- Amazon.co.jp ・本 (438ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122067547
作品紹介・あらすじ
「忙しくてくたびれて」日記を付けられなかった二年間を経て、ふたたび丹念に綴られる最後の一年間。昭和四十四年七月から五十一年九月までの日記を収録。田村俊子賞受賞作〔全三巻〕
〈巻末エッセイ〉武田花
感想・レビュー・書評
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下巻は昭和44年7月から51年9月まで。
またまたすてきな表現に出会いました。
「ふなふなふなふな」と歩く小犬…その丸くて柔らかくて頼りない感じが詰め込まれた擬態語にときめきます。
最後の方の日記は、夫・泰淳が病を患い、食事の内容や生活習慣に配慮しながらの暮らしがうかがえます。
途中に挿入され附記には、2年間の日記の空白期間の概要とともに、次のように記されていました。
「年々体のよわってゆく人のそばで、沢山食べ、沢山しゃべり、大きな声で笑い、庭を駆け上り駆け下り、気分の照り降りをそのままに暮していた丈夫な私は、なんて粗野で鈍感な女だったろう」
ここまで武田家の日記を読んできた一読者として、百合子さんに声をかけたくなりました。
そんなそのまんまの百合子さんを、旦那さんは愛していたと思います、と。
読み終えたとき、私のノートにはたくさんの日記の断片が抜き書きされていました。
人に読ませるために書かれたわけではない、よその家族の記録が、こんなにもこんなにも愛おしい。
次は10年後、その次は20年後…それぐらいの間隔で読み返したい滋味深さがあります。 -
胸がいっぱい。
私もあの山荘で生きて、今はその記憶が私の中にあって、読む前と今の私とでは確実に違うだろうと思う。
時折のひやっとするところ(夫婦間のことであったり、他者や命に関してだったり)も含めて、よくこの日記を出版してくれた、と思う。
折に触れ、私は読み返すことだろう。 -
読み終わってしまった。読み終わりたくなかった。私も一緒に山小屋で日々を送っているみたいだった。描写が生き生きとしているわけでもないのに、本当に不思議。読むこと自体が人生みたいだ。いつか終わりが来ることを知りながら、そんなこと知らないかのように日々を一頁ずつめくり、やっぱり終わりは来てしまって、私はずっとここに、この中にいたかったと思う。ずっと著者たちに山に通ってきていてほしかったと思う。でも読み終わってみると逆に、終わっていないことがわかる。日記の中で、日記を読んだ人たちの中で、著者たちがいつまでもこうやって生きているとわかる。
この本のよさはうまく言葉にできない、本当に。 -
『富士日記』三巻を再読して思ったこと。
百合子さんがお世話になった人に必ずといっていいほどお礼を渡している、その姿勢がさすが大正生まれだな、と。
奔放な人と思われがちだけど、実は律儀。
あと、聡明だから色々なことが見えてしまって、辛いだろうけど、書くことで発散していたんだろうな。
飾らない、ありのままの自分をさらけ出している所が本当に魅力的。
辛い時にも百合子さんがいるからと思い、この三巻を蔵書としている。 -
読み終わっちゃった
山荘の日々が優しくて温かくて寂しかった
毎日の食事が美味しそうで読んでて幸せだった -
ご夫婦の仲の良さがうかがわれる。自分が生まれた時分の様子が垣間見れるのも興味ふかい。
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完結したので全3巻纏め読み。
日々の出来事であったり、家計簿代わりのメモであったり、日記文学としても、また、昭和40年代の日常生活の資料としても第一級のものだと思う。現代から考えると色々なことが大らかで、事故っても警察を呼ばずに済ませたり、飲酒運転がバレなかったり、今、こんなことを公に発信したら大炎上するような内容がサラッと書いてあるw
また、本書は昭和39年から記されているが、昭和42年の中央道開通、翌昭和43年の東名高速開通に伴い、富士の山荘へのアクセスが飛躍的に改善した様子も見てとれる。何気ない内容ではあるが、本邦のモータリゼーション黎明期の貴重な資料でもあるのでは。 -
途中で主人(武田泰淳)の病気及び死後の話が出てきたり、日記の中断が出てきたりしていた。
ネコの話が出てきてさらに主人の病気の悪化で山荘の日記ではなく、東京でのことが書かれるようになってきた。主人の死の記載で終わるかと思っていたら、入院前の記載で終わってしまった。しかし、あくまで陽気な話として持っていきたかったのであろう。 -
上、中、より日記の間隔が空くようになり生活がだんだん小さく、消えて行ってしまうのではないかと思わせるところもあり寂しい気持ちになった。
ただ作者の感情はさらに濃く表わされている。