愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー c- 3)
- 中央公論新社 (2006年7月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784124034998
感想・レビュー・書評
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読了
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映画 バードマン を観たので確認のため。
やっぱり難解。 -
映画「バードマン」で「愛について語るときに我々の語ること」が出てきたので読んでみた。感想はどうも自分はレイモンド・カーヴァーのいい読者にはなれないようだ。
訳は村上春樹。村上春樹だからこうした作風なのか、レイモンド・カーヴァーを読んできたから村上春樹の小説はああなのか、と答えが出てないが、そんなことを読みながら感じた。本当に‘やれやれ’なんて原文にあるのか、と疑問に思う箇所もあったけれども。
短編集だが、男女の関係性のなかから生じる喪失を描いたものが多い。失ったことで生まれる心の穴をなにかで埋めようとする。その代替行為や喪失が生活に密着した日常のなかで暗喩や象徴として描かれている。が、ゆえに読後がどの話も、もの哀しい。おそらくレイモンド・カーヴァーの小説はこの独特な哀しみを深く味わうべきなのかもしれないが、やはり好みの問題だろうか、私はいい読者にはなれなかった。 -
『バードマン』の予習で読んだ。以前他の短篇集を読んだ時ぴんとこなかったんだけど今回はミニマルな文章とシビアな愛の話がぴったりで、まるで自分が傷つけ傷つけられるかのように読んだ。『ダンスしないか?』短い中に見事に愛について三者三様のスタンスと理解と変化が描かれていた。『デニムのあとで』かつて私はデニム側だったけど今はデニムのあとの気持ちが分かるようになった気がする。『静けさ』1番好きな短篇。『何もかもが彼にくっついていた』カーヴァーはほんとにタイトルをつけるのがうまい。この話をよく知っている気持ちになった。愛って虚しくみすぼらしくて愚かで暴力的で情けない…あまりに絶望的でもあり希望でもあるのかなと分からないなりに読んだ。
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バードマンという映画は、この作品の表題作を舞台化するという設定だった。この作品を読んで、バードマンが、離婚した妻と会話するシーンを思い出した。愛は人によって求めるものが異なるのだから、愛を語るのは難しい。
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ビルは煙草をとりだした。しかしそれに火をつけることはできなかった。そのときジェリーが姿を現した。そしてその後では煙草のことなんか忘れてしまった。
ビルはただ女とやりたかっただけだった。あるいは裸にするだけでもよかった。でももし駄目でも、それはそれでまあいいさと思っていた。
ジェリーが何を求めているのか、ビルにはわからなかった。しかしそれは石で始まって、石で片がついた。ジェリーはどちらの娘に対しても同じ石を使った。最初がシャロンという名の娘で、ビルがいただくことになっていた娘が後だった。
『出かけるって女たちに言ってくるよ』 -
原書で読み取った内容を確認するために読んだ。
内容はほぼ読み取れていたが、やはり英語では行間や、微妙なニュアンスを読み取ることができず、読み終えてもどこか釈然としなかったが、本書を読んでやっと納得できた。
英語でも、微妙なニュアンスを読み取れるようになりたい。 -
原書を読むのに、自分の理解を確かめるため併読した。
原書の良さがわからないと同時に翻訳の方の良さもわからず。
両作家の世界は似ているのだろうか? -
ちょっとこわかった。文章がかなり削ぎ落されていて、村上春樹の解説なしには自分の理解に自信が持てなかった。
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短編の中でも表題が一番よかった。
大聖堂に至る過程としての本作。
ミニマリズムというんでしょうか。バサッと削り取って、無駄を省き、余韻を残して途中で終わりって印象の話が多い。
大聖堂の方が圧倒的に完成度が高いけど、本作も荒いのがよい。