- Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
- / ISBN・EAN: 9784130130646
作品紹介・あらすじ
「わざ」をきわめることは「世界」を知り、拓くこと。-伝統芸道の伝承における認知過程を解明。
感想・レビュー・書評
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先生がいなかったら、自分で学ぶしかない。
わたしは卒業したら、世界からどう学べばいいのだろう?
社会人になる少し前にこの本に出会って
感激しました。
主体的に参加すること。
解釈する努力をすること。
自問自答すること。
学ぶことの本質を教えてくれました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
知識とは何か。
デカルトの思想に見られる「心身二元論」に立って考えるならば,それは言語を介して伝えられる知識のことである。
この立場では,「体育は得意だけれど勉強はダメ」という生徒は知識がないと見なされる。
しかし,運動について「知っている」こともまた知識と呼べるはずである。
料理をするにも,自動車を運転するにも,知的なプロセスが介在していることは疑いの余地がない。
すなわち,「知識」と「技能」は本来分離できないものなのである。
このような筆者の主張は,ライルの「心身合一論」に依拠している。
「学校での勉強なんて何の役にも立たない」と考える生徒が多いとしたら,その原因は,筆者が述べているような「文脈の欠如」にあると考えて間違いないであろう。
「教えるべきことについてすでに知っている」教師は,教えている内容について,そのすばらしさを子供と共有しなければならない。
一方で,教わる側は師匠に近づくべく模倣をくり返し,わざをぬすみ,そうして自分のわざをあみださなければならない。
わざの探求は,人間が行う活動のなかでもっとも知的なものであると僕は感じる。 -
わざの伝承。
師匠のわざを盗めというのは、なかなか高度な伝承だ。
すぐには理解出来ない投げかけや、取り組みをさせ、
本人に考えさせることでつかませる。
西洋的に、なんでもわかりやすく説明して、
積み上げるように教えるのとは違って、
全体を提示し模索させるなかで継承していくものがある。
おもしろいです。 -
「わざ」言語が、認知や理解に果たす役割に関する考察は特に興味深い。
自分の今後の関心や研究に生かすヒントになる書。