英語のたくらみ、フランス語のたわむれ

  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130830393

作品紹介・あらすじ

外国語を身につけるにはどうすればよいか? 翻訳はどのようにするか? 文学は何の役に立つのか? 英語とフランス語の東大教師が,「語学」「翻訳」「文学」をめぐってその営みの核心を語り尽くす.ふたつの言語の受容のされ方から,その文学の性格のちがいまで対話は繰り広げられる.「外国語や異文化に出会うとはどういうことか」を知る絶好の一冊.

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりの読書。題名が洒落ていたので思わず手にした本。
    期待以上のおもしろさだった。筆者二人は東大の助教授。
    専門用語や東大の内輪話が飛び交うものの、すべて注釈がついているので意外と読みやすい。
    タイトル通り、3つのテーマについて論じられているので、一つのテーマを拾い読みするだけでも楽しい。
    実を言うと、私は語学・翻訳が大好き、でも文学はちょっと。。。の人である。
    最後のテーマ、文学についてはどうしても話がついていけなかった。
    それでも久しぶりに出会った、読み応えのある本である。
    語学の項では、文法軽視、コミュニケーション能力重視という今の語学教育に疑問を投げかけている二人。母語である日本語能力の必要性、読解作文を通して語学力は深まっていく。これは「教養」としての語学だという。
    一方、理系の人にとっては語学は「道具」だという。論文を読んで書くことができればいい。つまり使えるようになればいいのだ。そのために文学を読んだりする必要はない、と。
    私自身は外国語を学ぶのであれば「教養」としての語学だと思っていたが、語学を「道具」としてしか認識していない人がいると知って正直驚いた。今の日本はこういう考え方が主流だと。
    ただ、すでに専攻を特化した大学生や社会人なら語学を「道具」としてとらえるのもいいだろう。が、まだ進路を決めていない中学生、高校生に、もしくは日本人全員に「道具」としての英語が必要かどうかは疑問である。
    使い道のない「道具」をそろえていても宝の持ち腐れ。でも教養は違う。外国語を通してその国の文化や社会を学んでいくと、自ずと自分自身、自分の生まれ育った国に対しても理解が深まる。そういう意味でも「教養」は持っていて無駄になることはない。
    翻訳の項で印象に残ったのは、翻訳作品の賞味期限という話である。
    例えば明治時代に翻訳された本を今読んでも、正直私たちは読みづらい。そういう意味で翻訳作品は賞味期限が短いといわれている。が、果たしてそうなのか。二人は論じている。
    原文はいつまでも読まれているというが、それは翻訳する側の話。実は母語としてる人にとってその作品は古くて読みづらいのだという。が、翻訳する側はそれを新たにもう一度翻訳する自由がある。そういう意味で翻訳は賞味期限が長いのだという。
    また、翻訳作品は所詮亜流で原書を読み込むことが重要だと言われている。が、それも二人は否定する。文学を読むというのは、語学的に正しく読むことはもちろんだが、それ以上に書かれた時代背景、その国の文化、歴史に精通している必要がある。
    それを普通の人が原書で読み込むことは難しい。物事を深く理解するにはやはり母語を通すことが大切だ。一度母語で理解を深めてこそ、外国語を理解するための軸ができる。だから翻訳は大切だという。
    今まで読んできた翻訳論は語学者や翻訳者のものだったので、文学者からの話は刺激的だった。と同時に、文学を読むことの大切さに気付かされた。
    筆者も述べていることだが、今の日本は言語はただ時間さえかければ、何となく習得できると思っている節がある。実際は違う。たとえ母語であっても、じっくりと文学作品などを読み込んで学習していかないと母語をうまく使えない。いわんや外国語をや、である。
    もっともっと日本語を勉強していきたいと、再確認させてくれた本であった。

  • 英文学者と仏文学者の、語学学習から文学研究や翻訳までを扱った対談集。仏文専攻で英米文学好きな私は、楽しめないわけがない本です。

    文学論は専門的だったので、なかなか理解はしづらかったのですが、大学の授業を思い出すようなトピック(バタイユ、ロラン・バルト、サイード、デリダなんか)が多く、今と当時の思想の乖離を甘酸っぱく受け止めました。高尚なお話がたくさんあって、こういうことを日々考えている人がいるんだなあ、と思い出させてくれたことも、読んでよかったと思う理由の一つです。また、私が文学、中でも仏文学を専攻した理由はこれまでうまく説明できなかったのですが、仏文学研究の第一人者である野崎先生の言葉の中に見つけることができました。
    「医者は目の前の患者を直せるけど、文学は万人を癒せるんだ!」と斎藤先生が医者である奥様におっしゃったそうですが、その心意気はまぶしい限りです。いや、これ本当に。

    ただ、お二人が若いせいか、ちょっと議論に深みが足りないような、許容度が小さいような。。『アカデミズム is NO.1、No 実利主義』という枠組みの中で、似た環境に生きるお二人が気持ちよくオタク話を喋っているような印象も受けました。
    少ないながらも同意できなかったのは、一応以下の点。
    ・翻訳は研究者がすべき(強く断言はしていなかったのですが)
    ・翻訳者は黒子に徹するべき(一方で翻案も支持していて、境界が明示されなかった)
    ・外国語は文法をちゃんと理解した上で、良質な文学を精読して身につけるべき(たしかにそれは理想。でも実際、それができないけど外国語を使う必要に迫られた人には簡便メソッドが流行るんでしょう。語学にそこまで心血注げるビジネスマンは少ないと思う)

    ちょっと保守的な感じはありましたが、東大の文学講座(濃縮版)を受けた気分になれるので、とてもお得で勉強になる本です。これが理解できるくらいに文学的教養をつけるのが目標です。

  • 翻訳論、語学論、比較文学論として面白く、役に立つ小ネタ満載の対談書。仏文と英文の違いとして「英文学は語学の延長として読めるが、フランス語はそうはいかない」というのはなるほどと思った。ただ、「翻訳が翻訳されることはないというパラドックス」については、重訳や別言語訳の参照といういまだにさかんな(!)事象を見て見ぬふりしている。

    「文学は何のためにあるか」というお決まりの問いに対する対処の仕方を随所で講じている。東大の先生はさすが頭がいい。

  • 語学、翻訳、文学の3つの主題を軸とした対談。
    3つ全てに興味津々の私のような人間にはぴったりの本だった。

    さて、本書では「実用英語」「コミュニケーション英語」偏重の教育を目指す動きに警鐘が鳴らされている。(確かに大学に在学する身としてそうした潮流は強く感じる。実際に科学論文とプレゼンのための英語の講義などもあるわけだし。)
    でも個人的には、この傾向はある程度仕方ないことなのかなと思った。勿論、本当に外国語が好きで習得したいという熱意がすべての学生にあるのなら、著者らが言うような教育のあり方が望ましいのは頷ける。しかし、実際はそうではないのだから。
    彼らのうち相当数は英語なんて嫌いだし、必要最小限のこと(著者らの目からすれば不十分だろうが)しか勉強したくないと思っているだろう。大抵の者は文学に興味はないわけで、訳読なんて真面目にやるとは思えない(というか実際に皆真面目にやっていない)。在学中からやれ就職だ資格だと慌ただしい中で、「実用的」でないものは多くの学生には訴えかけないのが現状だ。
    そんな中で現行のような教育システムになってしまうのは当然の成り行きなのではないか。これは教育界というよりは社会全体の風潮の問題だという気がする。

    ・・・でもね、やっぱり理想はお二人の主張なんだよなぁ。そういう授業じゃなけりゃ、語学・文学・翻訳の本当の面白さ、奥深さというものは伝えられないよね。難しい。

    全体を通して印象に残ったのは、フランス語に魅せられた数学科の学生のエピソード。私自身理系に属しながら語学・文学にはまりこんでしまい、周囲の友達も理数にしか興味のない人が多く寂しい生活を送っている中で、こういう学生さんの存在を知って訳もなく嬉しいという(笑)彼の発言にはことごとく共感してしまった。ぜひお近づきになりたいくらい。

  • 1596円購入2011-02-28

  • 実用偏重に異議。

  • 東大の英文学、仏文学教授のお二方の対談形式本。
    難解な部分もあるが、文学論以外ではあまりアカデミックなボキャブラリーは使われていないので全体的に読みやすくとてもためになる本。
    とくに語学、翻訳、英仏文学に興味がある人は絶対読むべきです!

    翻訳が言語形成にもたらしてきた影響の大きさを改めて実感することができました。
    また本著で紹介されている書籍に読みたいと思うものが多く、読書の幅が広がりそうです。

  •  面白いけど難しい……。いつか購入して手元に置いておきたい。

    (図書館で借りた本)

  • 東京大学英仏語のツートップ、斎藤兆史さんと野崎歓さんの語学・翻訳・文学論の対談集です(柴田元幸さんはとりあえず置いておきます:笑)。

    米原万里さんの著書で「英語通訳は生真面目で冗談が通じず、仏語通訳はひらひらと華やかで…」といったような描写を読んだ覚えがあったのですが、お二人の言語への取り組み方はまったくその通り。「生真面目に学んできました」テイストの斎藤さんと、「何だかそんなに…」と軽やかにぼやかすテイストの野崎さん。まったくかみ合わないんじゃない?というお二人が言語観を論じる、内容は割合硬派な1冊です。

    でも、カンカンガクガクの言語論になるわけではなく、ヒートしそうなところで野崎さんがかわす、という感じで柔らかめにどのトピックも着地をみます。でも共通点は多く、「バイリンガリズムの盲信」ということで今の教育をめった斬りなところは、「外国語をできるようになりたい」とぼんやり考えているかたにはいい示唆になるように思います。個人的には、カズオ・イシグロのある面をボロカスに言っているところが面白かったです(彼の才能はちゃんと評価しておられますよ:笑)。

    翻訳文学が好きなかたには、お二人のエッセンスを知ることができる本ですし、外国語を操る人の歩いてきた道をちょこっとのぞき見するにはいい本です。

  • 共に東京大学で教鞭をとる2人の文学者の対談本。
    英文学の斉藤兆史とフランス文学の野崎歓。主に語られていたのは、自分たちの学生時代における文学の位置づけ。
    文学に思いをはせる2人の対談は熱い!

    以前斉藤が医者である妻に、なぜ直接的に役に立たない文学を研究するのかと問われ、「医者は患者を治せるかもしれないが、文学は万人を治せるんだ!!」と豪語したとか。確かに。

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2019年 『言語接触 』 で使われていた紹介文から引用しています。」

斎藤兆史の作品

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