デリダ: なぜ「脱-構築」は正義なのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (126ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140093351

作品紹介・あらすじ

世界が現象する瞬間へ!すべてが痕跡であり「読み」によって現象するのなら、そのつどの「読み」の正しさは、どこに求められるのか?デリダの世界認識の深奥に迫る野心的試み。

感想・レビュー・書評

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  • 「現象」という概念を軸に脱構築を解説した入門書。高橋哲也の本は「二項対立」を軸にしたものだったけど、こちらにもこちらのわかりやすさがある。特に、高橋本ではちょっとつかみにくかった「差延」「痕跡」「反復」といった概念の理解が多少なりとも深まったと思う。

    本書のサブタイトルでもある「なぜ脱構築は正義なのか」という問いに著者はどのように答えているか。

    “他者をあらためて肯定すること、それが「正義」なのである。脱-構築は、こうした「正義」に「適う」ものたらんとする。こうした「正義」に応じようとする”(p90)

    “脱-構築は他者の到来ないし入来をたえず肯定しようとする。私が痕跡を介して「何」ものかの現象を読み取るとき、それを「何」かとして規定=解釈することそのことが、そのようにして規定されたところのものに対する見えない暴力の行使となってしまっている可能性を払拭できないからだ”(p91)

    “他者への暴力を正義に悖る(=不正である)と考える脱-構築は、他者をそれ自体で、すなわち他者が他者であるがゆえに、そしてそのゆえにのみ肯定しているのだ”(p93)

    つまり、脱構築には「他者を他者として尊重すべし」という「正義」が前提されているのであり、他者を一つの仕方で規定することは、不正な「暴力」として斥けられるのである。自らの信じる「正義」の正当性を常に疑い続けよ。著者はデリダとともにそう訴えている。

  • 言葉の丁寧な定義、適切な喩えによって、脱・構築という主要概念が分かりやすくなっている。

    単純化して言えば、脱=解体であり、同時に構築=解釈であると理解した。そこからわたしと他者、そしてこの世界のありようをめぐる多様な考察が導かれていく。

    デリダとの会話調になっている記述スタイルと問題意識が一般に共有しづらいのが本書の難点か。

    ・P116:かくして脱-構築は「何」かが「何」かとして現象することのうちにはたらいているさまざまな力を、その由来と正当化可能性の程度に関してあらわにしつつ、「より暴力的でない=より正義に適った=よりよい」途を切り開くべく粘り強い努力を続行するのである。

  • 世界の現象とは「表現」である。

    脱-構築は「倒れこみながら前に進んでいる」様態だと認識した。前に進んでいるので厳密には倒れていない(個人の見解です)。

    他者論とつながる。
    レヴィナスと関わりがある。
    不在という事態を包含して遂行する。

  • デリダの脱構築概念の易しい入門書。著者とデリダとの対話という形で構成されています。130ページという少ない項数で脱構築を語ること自体困難極まりないように感じられますが、要点だけを抽出し初めて読む人にわかりやすく、理解できた気にしてくれます。

  • 脱構築とは破壊的ではなく、逆に再生的な
    モノであることが改めてわかりました。
    やはり、ジャック・デリダ好きですね。

  • 2010/3/25読了
    2010/4/25再読開始

  • 顔を知っているセンセイの著書の批評をする勇気はない。しかも、この本にはサインまでもらってあるのだ。ともかくそれだけで☆5つ。
    一言だけ言うならば、本書は「脱構築」というデリダ独特の、容易には近寄りがたい概念について、目からウロコのアプローチをしており、この思索の道行きが感動的である。デリダの著書には歯が立たないけれど、こんな私でも読んでみようかな、と思わせる力を持つ一冊。

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著者プロフィール

1957年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。哲学博士。現在、慶應義塾大学文学部哲学科教授。専攻は現象学、西洋近・現代哲学。
著書に『フッサール 起源への哲学』『レヴィナス 無起源からの思考』『知ること、黙すること、遣り過ごすこと』『「東洋」哲学の根本問題 あるいは井筒俊彦』(以上講談社)、『「実在」の形而上学』(岩波書店)、『デカルト――「われ思う」のは誰か』『デリダ――なぜ「脱-構築」は正義なのか』(以上NHK出版)、『生命と自由――現象学、生命科学、そして形而上学』(東京大学出版会)、『死の話をしよう――とりわけ、ジュニアとシニアのための哲学入門』(PHP研究所) など。

「2018年 『私は自由なのかもしれない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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