シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

制作 : NHK出版 
  • NHK出版
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感想 : 72
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140816974

感想・レビュー・書評

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  • 自分にとって本の内容はとても難しく感じた。でも、予見されてる未来が来ると想像すると、ワクワクする。ただ、もうSF映画のような事が現実に起こりつつあるんですね。もう未来はとんでもないことになりそう。他人の経験を自分の脳で経験できるなら、体験してみたい。

  • 請求記号 007.1/Ku 79

  • 次男が明治大学図書館から借りてきた本。
    教授お薦めらしい。
    シンギュラリティ(特異点)は来るか?
    そもそも身体は、毎日置き換わっている。それが非生物で置き換えられても性能が良くなればいいのかも。だが、肌が傷付けば血が流れる生身の身体がそんなに簡単に置き換え可能なのか。ナノボットという分子レベルのAI部品が、開発されて血管を流れて、人体はより頑強になるらしい。
    指数関数的にAI開発?は進んでおり、臨界点で爆発的に変化していく。それは思っているより早い。生きることの意味が変わってくると思う。何のために生きるのか?仕事と遊びとの境目がなくなる?

  • シンギュラリティとは、人工知能が自分自身を改善していき技術や知能が文明の進歩の主役になる(技術的特異点)こと。文献研究目的でなければWikipedeaの記事を読んだ方が面白いです。こういうことを考えることは未来を見通すのに役に立つが、知らなくても特に問題ないようなことだなと思った。

  • 本書はテクノロジーの進化により到来する未来を予測している。
    生物の進化も科学技術の進展も、線形的ではなく指数関数的であり、加速していくものである。
    現在のテクノロジーは、人間の生物学的脳の能力を超えるコンピュータを生み出す段階に達しており、数十年内には全人類の脳の能力を1台の安価なコンピュータが凌駕する時代がくる。
    脳の計算能力は既にコンピュータに敵わず、脳の持つ超並列処理能力(一度に100兆の情報を同時に処理できる能力)については現在のコンピュータでは再現できていないものの、今後も到達できない理由はなく、テクノロジーが進歩すれば近いうちに到達可能であることを著者は確信している。
    こうしたテクノロジーの進化によって、生物学的脳+非生物脳によって人間の知能を圧倒的に向上させる可能性や、血球程度の大きさのナノボットを血管内に入れることによる知能の大幅な向上、栄養吸収の最適化(どれだけ食べても太らない)、排泄の自動化(排便行為を要しない)、身体の自由な変形、神経の中枢を刺激することによるVRの実現 などがもたらされることを予測する。
    本書の原版は2000年代に書かれたものであり、私が読んだ時点(2019年)から見ると、現実が著者の予測よりやや遅れている観は否めないが、それでも予測の内容そのものの実現性に疑問符がつくものではなく、強いinspirationを受けることばかりだった。
    最後に、最も考えさせられた項目として、テクノロジーによってもたらされる脳の完全なコピーやバックアップ(非生物的な素材による)に伴って問題が顕在化する「意識」と「アイデンティティ」に関する考察がある。「わたし」は数ヶ月で物質的に完全に入れ替わるが、それにも拘わらず数ヶ月前の自分と今の自分は連続性をもった同じ「わたし」であると考えている。つまり、「わたし」とは物質的同一性ではなくパターンの同一性と連続性なのである。川に例えると、「わたし」とは入れ替わり続ける水分子ではなく、それが生み出す流れの模様やパターンそのもののことである。であればコピー可能で、コピーすれば複数の「わたし」存在することになるが、それらすべてを「わたし」として受け入れるかという問題が生じる。新しいコピーができたから古い今の身体と脳は壊してしまおうと思えるかということだが、これはできないだろう。ここにアイデンティティの問題内包するジレンマがあり、本書ではそのジレンマにたいする解を出してはいない。(ただし、本書のヒントを基にすると、パターンの連続性こそが「わたし」を「わたし」たらしめる本質であると理解すれば良いことに気づく。同時多発せず、漸次的に変質していく場合は「わたし」が維持されているという主観的認識を保てるのではないか と考える。)
    また、非生物的な知能は確実に「意識」を主張し出すので、それは受け入れるべきとの主張をとる。
    結局のところ、自分以外の人間の意識ですらその存在を検証することはできず、存在するだろうと想像するしかないものであるから、非生物的知能であっても、表れる現象が意識を持つように見えるなら、それを尊重すべきとの見解だ。
    未来予測の視野を広げてくれた点、自分とは何かとい哲学的な問いを突きつけてくれた点で、自分の中で貴重な読書体験となった。

  • 将来どうなるか、楽しみになりました

  • 【由来】


    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】
    ・お師さんからお借りした。

    【目次】

  • * 話題の本だがようやく読んだ。色々と共感も反対もできることが多くて面白かった。
    * トランセンデンスでもLUCYでもそうなんだけど、技術の圧倒的進化の類の話では、ナノボット的な概念を持ち込まれると、急に想像できなくなって置いてかれてしまう。この本も大方賛成できるし(VRもAIも宇宙移住も内臓交換も全然くると思う)自分もどちらかというとテクノロジーの進化に対して楽観的な方だけど、ここでふと冷めてしまうところがある。(BMIに関しても同じようなところがある)ただこれは自分の想像力の問題なのかもだし、その研究の最前線にいる人には想像できる範囲なのかもしれない。とすると人それぞれなんだろうな。
    * 内臓交換がどんどん進んだ時に「じゃあ残るのは」みたいな思考実験は面白かった。
    * 心臓・肝臓・膵臓など脆くてその活動自体を直接感じていない体の一部は代替される。もはや代替されたとしても気づかない。
    * 一方皮膚・口などは食べる行為・性行為などの為にも最後まで手放したくないと思われるだろう体の一部。
    * 本の後半になってくると、段々と哲学的な話になってくるんだけど、その時の印象的な話として、自分の体内を構成してる分子は1ヶ月あれば完全に新しくなる、というものがある。では何を持って自分なのか。このアナロジーとして「川の流れ」を用いているのがすごく腹落ちした。水そのものは常に変わっているが、その流れ、パターンは長い時間をかけてゆっくりとしか変わらない。
    * この本を読んで、普段の些細なトピックでさえも10年後、20年後はどう変化していくのか(寿命は、今の貯金の価値は、地価は、寿命・病気・保険は…などなど)というマクロな見方をできるようになったのはとても大きな収穫だと思う。

  • 人工知能が人間の能力を超える事をシンギュラリティという。そこに到達した社会は、人間の生物としての限界を超越したものとなる。2020年代には、ナノロボットが人間の体の中を駆け巡り、栄養を補給し、問題を発見、改善し、医学的なあらゆる問題はなくなっていくと言う。そうなると心臓の存在の必要性までなくなってしまうのである。まるで、SFのような世界であるが、技術はすさまじいスピードで進歩しているという。

    人間は肉体としてのハードウェアが滅びると、同時にソフトウェアである精神も滅びるものである。しかし、シンギュラリティの後は、精神がハードディスクに複製され、WEB上に生き続ける事が可能となる。肉体の終わりが、人間の終わりということにならないのである。そもそも、デジタル複製された自分は、本当に自分なのか。人間とは何なのか、という問いが根本から揺さぶられる怖い世界である。

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