- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150119553
作品紹介・あらすじ
SFの抒情詩人が豊かな感性と叡智をこめて現代文明を痛烈に諷刺! 名作待望の新訳版華氏
感想・レビュー・書評
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1953年刊行とは思えない、より早くより短く情報が細切れになり、あらゆるものが消費されるアテンションエコノミーの現代へ示唆に富む一冊。本を燃やさずとも人々が自発的に本を読むことをやめてしまって考えることを軽視した社会へ一石を投じる。当時の米国で大衆が熱狂した赤狩り<マッカーシズム>への批判も込められいているとのこと。
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華氏451度(摂氏233度)──この温度になると紙は引火して燃え上がる。451と刻印されたヘルメットをかぶり、昇火器の炎で書物を焼き尽くす男たち「昇火士(ファイアマン)」。モンターグは社会で禁制品になった本を焼くその仕事に誇りを持っていた。そんなある晩、風変わりな少女・クラリスと出会う。彼女と話す内に、この社会に疑問を抱くようになり──。
ディストピアSFを読みたい熱が高まり、白い表紙の『すばらしい新世界』に続き、黒い表紙の『華氏451度』へと手を伸ばした。SF小説によくあるダークな黒表紙がカッコいいよね。焚書が公然と行われている社会が舞台。消防士ならぬ、昇火士が昇火器を持って本を燃やす絵面がいい。その行為の邪悪さが鮮やかに照らし出されている。本という身近なものがテーマになることで、SFへの橋渡しとなり、質感や香りなどが自然と伝わってきた。
また、詩のような文章表現と皮肉が入り交ざった描写も美しい。
「少女は彼がかぶっていた幸福の仮面を奪って芝生を駆け去ったが、いまさら彼女の家の玄関をノックして、返せというわけにもいかない。」
「忘れてしまえ。ぜんぶ燃やしてしまえ、なにもかも燃やしてしまえ。火は明るい。火は清潔だ」
などなど、ファンタジー寄りの叙情的な語りが好き。後半はそこに哲学性も加わって、その勢いは増していく。「現実にあったはずの愛が灰に変わり、現実に残された灰がいつか愛に変わる物語」とでも表現したくなる。
『一九八四年』や『すばらしい新世界』のように、ディストピア感たっぷり系ではない。寓話に近いかも。本がない=文化も語彙もない=テレビ漬けになって表層的なコミュニケーションになる=思考しなくなり、その代償として悩みがなくなる、みたいな話なのかな? 妻・ミルドレッドがモンターグとまともな会話ができず、壁にかかったテレビとしゃべり続けているところは狂気を感じた。現実に目覚めたモンターグからしたら悪夢だろう。
テレビを鵜呑みにすることへの警鐘については、まさしくその通りという感じ。テレビに限らず、面倒でもなるべく一次情報を得て考えることが大事。あと、ぼくにできる「ささやかでも、救いに向けて自分のできること」は、まさに読書と感想を伝えることかもしれない。ここのシーンを読めただけでも価値があった。
p.125
「わたしは事実については話さんのだよ」フェーバーはいった。「事実の意味をこそ話す。わたしはここにすわっている。だから自分は生きているとわかるのだ」
p.137
「もう誰もぼくの話など聞いてくれません。壁に向かってはしゃべれない。向こうがぼくに向かってわめくだけですからね。妻とも話せない。妻は壁のいうことしか耳にはいらないんです。ぼくは、どうしてもいいたいことを聞いてくれる相手がほしいんです。じっくり時間をかけて話せば、それだけで意味があるような気がするんです。あなたには、なにを読めばいいのか教えていただきたいと思って」(モンターグ)
p.140,141
「テレビは“現実”だ。即時性があり、ひろがりもある。あれを考えろ、これを考えろと指図して、がなりたてる。それは正しいにちがいない、と思ってしまう。とても正しい気がしてくる。あまりに素早く結論に持ちこんでしまうので、“なにをばかな!”と反論するひまもない」(フェーバー)
p.144
「モンターグ君、きみがさがしているものは、この世界のどこかにある。しかし、ふつうの人間がさがしものの九十九パーセントを見いだすのは本のなかだ。かならず、という保証を求めてはいかん。ひとつのもの、ひとりの人間、ひとつの機械、ひとつの図書館に救われることを期待してはならんのだ。ささやかでも、救いに向けて自分のできることをしなさい。そうすれば、たとえ溺れようとも、少なくとも岸に向かっていると自覚して死んでいける」(フェーバー)
p.194,195
「火はいいなあ。なぜだと思う? 年なんか関係なく、誰もが惹きつけられるのはなんでだ?」ベイティーは炎を吹き消し、また灯した。「それはな、火が永久運動だからだ。人間は永久運動をつくりだそうとしてきたが、いまだに成功したためしがない。まあ、ほぼ永久運動に近い、といったほうがいいか。一度火をつけたら、一生燃え続ける。火とはなんぞや? 謎だ。科学者は摩擦がどうの分子がどうのとご託を並べるが、あいつらにもほんとうのところはわからんのさ。その真の美は、責任や因果関係を破壊してしまうところにある。問題が重くなりすぎたら、炉にぶちこめばいい。」
p.263
「“目には不思議なもの、びっくりするようなものを詰めこめ。十秒後には死んでしまうつもりで生きろ。世界を見ろ。世界は、工場でつくった夢、金を出して買う夢よりずっと幻想的だぞ。保証だの安全だのを欲しがるな。世のなかにそんな動物はいない。”」 -
レイ・ブラッドベリ「華氏451度」読了。焚書坑儒のSFか。人を思考停止に陥れ社会を操る事に映画のマトリクスや小説1984年の退廃的な世界観を彷彿とした。翻ってモンターグがフェーバーらと交わす本の問答から本を通じて考える事の尊さを感じるとる事ができた。ふとAIの言語モデルの事が心配になった。
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現代社会(特に日本)もそうなんじゃないかと考えさせられる一冊。
隊長の演説で
「大衆の心を掴めば掴むほど、中身は単純化された」
という一節があるが、まさに現代の娯楽(短時間で簡潔に
楽しむことよりも消費することが重要、は言い過ぎかもしれませんが)
のあり方を表している様に思いました。
1950年台にかかれた作品とは思えない、まさにSF
文体は、詩的な表現も多く正直少し読みづらい部分もありました。
ストーリーがすっと入ってきにくいので、気が向いた時に本を読むくらいの
人だと少し読み進めるのに苦労するかもしれません(私です)
アメリカの文学作品にもう少し明るければより楽しめたのかなとも思いました。
スマートフォンでショート動画とかを見て、理解したつもり満足したつもりに
なってしまっている私には結構考えさせられる作品でした。 -
詩的表現が多いことからか難解で読み進めるのが難しかった…。ストーリーは追えるが、文章から場面を思い描くことがなかなかできず、ストレスだった。名作から引用されたフレーズも多いようで、英語が分かれば原書で読んでみたかったなと思った。
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僕には少し難しかった
描写が想像しきれなかった -
読書の意義を再認識させられると共に、本を読む習慣のない人が増える一方で、事業者から提供される映像サービスにどっぷりハマる人の多い今の状況との近さにゾッとさせられた。
文は詩的表現が多く、自分にはとっつき辛かった。 -
多くのレビューで見受けられた独特の言い回しが個人的には楽しめた作品でした。
また、焚書を題材にしただけあり本を読む事の大切さなどが学べて良かったです。
初めて本を読むならまずこれから読んでほしいと思いました。