- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150119591
作品紹介・あらすじ
友人グロリアの自殺をきっかけにして、作家ホースラヴァー・ファットの日常は狂い始める。麻薬におぼれ、孤独に落ち込むファットは、ピンク色の光線を脳内に照射され、ある重要な情報を知った。それを神の啓示と捉えた彼は、日誌に記録し友人らと神学談義に耽るようになる。さらに自らの妄想と一致する謎めいた映画『ヴァリス』に出会ったファットは…。ディック自身の神秘体験をもとに書かれた最大の問題作、新訳版!
感想・レビュー・書評
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30年前にサンリオ版を読んで、全く理解できず。いつかは再読をと誓っていた。
新訳のkindleがセール価格だったので購入。英語版を対照しながら読了。新訳のせいですっきりした印象。途中ダレて読みにくなったときには、英語版を確認したほうがわかりやすかった。なにより30年の間に、神話・宗教がらみの用語がアニメやラノベで使われ、馴染みあるものになったのが、抵抗を減らして最後まで読めた最大の要因だろう。気をゆるすと「セカイ系」に読めてしまう弊害もあるが。
ささいなことだが、「電子ノイズ除去のスタックスのヘッドフォン」とはスタックスの「静電型ヘッドフォン」のことではなかろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ほとんどあっちの世界にいっちゃってるような妄想めいた神学論争だらけのお話
あらゆる宗教を巻き取るような天文学的大風呂敷の様に見えて、実はとっても個人的な話で、「ぼく」が経験した喪失を埋めようとして救済を求める続けるあまりに分裂してしまう切ない物語なのかも
1.神様なんて存在しない
2.どのみち神様なんてアホだ -
新訳版で再読です。結論から言うとかなり読みやすくて小説として楽しめた。旧訳版は結構前に読んでて(ディック作品10冊目読了以内)それからディックのSF作品を一通り読んだので感じ方も違ったのかも
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「あいつ」「ぼく」と主人公が分裂している。入れ替わりや統合、突然名前が出たりと、小説ならではの仕掛けがある。主人公のトラウマと薬物による精神崩壊が、古代ギリシア哲学やキリスト教神学を媒介として、神=宇宙につながる。正気と狂気、理性(ヌース)と非理性(偶然、アナンケ)の関係が逆転し、何が現実で妄想かわからなくなる。
引用が古代ギリシアから近代哲学、夢判断・精神分析、詩など幅広く、言語も多様で論文のよう。思いつくだけでも、現象界、精神、弁証法、コイネギリシア語、ラテン語、ヘブライ語、アラビア語、ドイツ語、プラトン、フロイト、ユング、スピノザ 、ヘラクレイトス、ホメロス、パルメニデス、老子、アリストテレス、ワーグナー、ゲーテ、仏陀、ピタゴラス、エンペドクレス、ワレンティノスのグノーシス主義、エンテレケイア、道教など。
この作品は、驚くことに作者の実体験をもとにした半自伝的小説だという。当時のインタビューでも奇怪な発言が多々あったらしく、その一方で、小説内では常に理性を保っている。著者の作風どおり、現実と空想が逆転してしまったと考えると、作品を人生で体現したといえる。 -
「狂気と正気の区別はカミソリの刃よりも細く、犬の歯よりも鋭く、牡鹿よりも身軽だ」
自伝的要素を含むディック晩年の宗教的・哲学的小説。
精神病者の魂の放浪?のようなストーリーだが、主人公は2人??? 一人称なのか三人称なのかわかりにくい叙述が混乱をまねく上、繰り返される神学談義が難解。この方面の知識がないとついていけないのかもしれないが、ディックという作家が持つテーマを掘り下げる内容になっているのはわかる気がする。
とある映画に誘われるところから物語は急展開。登場人物たちの反応は、アニメ「エヴァンゲリオン」を見た時の感覚を彷彿とさせる。あまりにも情報量の多い映像を何度も反芻して真意を汲み取ろうとする、あの体験を思い出した。仏陀、ゾロアスター、イエス、モハメットに続く第五の救済者を探し求める主人公が見出すものとは何か。結末をむかえても消化不良で、繰り返し読まなければならない本だと感じた。
作中で引用される釈義「トラクタテ」は巻末に全文が載っているが、あまりに難解で、ざっと読み飛ばした(汗)。いつか再読に挑戦したい。 -
新訳が出ていたのを知らなかった。
アメリカ人の精神的崩壊感とディックの宗教観が絡み合って、複雑な味わい。 -
うーむ。超問題作といわれるだけある。
まったくついていけず。。。 -
【由来】
・札幌駅地下の文教堂で
【ノート】
・PKディックはブレードランナーやトータル・リコールの原作者で、著名なアメリカのSF作家。そんなディックが死ぬ前に著した通称「ヴァリス三部作」。本書はその第1弾。
・読みたいと思った高校の時から30年。とうとう読了。導入から途中までは、単なる錯乱者のイッちゃってる神学談義かと思っていたら、実はイッてなくて、彼の言ってることは本当でしたというのが判明するのが中盤。この辺りから俄然SFらしくなってくる。元来、SFって妄想とは紙一重なところがあるわけで、しかもそれが神という超越的存在がメインテーマとなれば、その辺りの際どさはスリリングなものになる。ただ、そのスリリングさをディックが確信犯でやったのかどうかは、まだ自分には分からない。
・超越的存在が出てはくるが、最初っから最後までアメリカの普通の町でのお話であり、SF感は正直、薄い。ディックによる「暗闇のスキャナー」もSFというよりはドラッグ漬けの人びとの愛しくもキッツい日々という内容だった。それでも監視社会の設定や小道具なんかでSFしてたけど、本書ではそういうことは全くない。ちなみに「暗闇のスキャナー」は「スキャナー・ダークリー」というタイトルで、キアヌ・リーヴス主演で映画化もされた(ロバートダウニーJrも出てる)。
・どこかにデカルトと北欧の女王のエピソードがなかったっけ?
【目次】