- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150311506
作品紹介・あらすじ
円城塔の作品世界は難解ではない――格好の入り口となる全10篇を収録する第3作品集!
感想・レビュー・書評
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わかるとかわからないとか問題にするならば、まずはわかるということを明確に定義し、わかるということがよくわかるようにしなければならないということがわかるのである。
円城塔の書評ならば、まずはこんな感じで始めればいいんじゃないか。
お風呂掃除をしながら、猫はそう考える。
そして「おふろそうじ」は「さむらごうち」と似ている、と思う。
思えば、かの「おふろそうじ」氏も、「わからない」現代音楽を否定して、「わかる」語法で長大な交響曲というモニュメントを打ち立てたかったのではないか。そこにナルシシスティックな自己宣伝が混じっていたから人々の反発をかきたてているのだが、「わかる」ものを作り出したいという、純粋といっていい目論見も一方ではあったのではないか。他方、「わからない」現代音楽を書いていたゴーストライター氏の作品は例えばYouTubeで試聴できるが、パフォーマンス性が高く、脈絡なく訳わからないものだが、会場の笑いをとっているほど「おもしろい」。
わからないとおもしろくないという誤解が巷に蔓延している。おそらく「わかる」と「おもしろい」は排他的でもなければ、連動もしていない。「わかる」はずの「おふろそうじ」交響曲も多くの人がわかったのかといえばそうではなく、人々がわかったのは、悲劇の作曲家がすげー曲を作ったという「わかりやすい」お話だったのである。そしてそういう「わかりやすいお話」というのはトリヴィアル以外の何ものでもないではないか。
「ばななむき」は「さなだむし」に似ている。
夢の中でトイレ掃除をしながら、あなたはそう考える。そしてサナダ虫には最適の場所のことを考えてちょっとうんざりする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「どんな話なんですか?」
葉月は、胡散臭げな表情で表紙を眺めている。そこには確かに、胡散臭いとしか形容しようがないバナナが描かれている。
「短編集だから、一言でまとめるのは難しいんだけど…」
そう言われ、葉月は目次を開いた。まとまらないなら、まとめなければいい。
「んじゃ、『コルタサル・パス』」
「後ろからなの? まあいいや。いつも思うけど、円城塔は読者を巻き込むのが非常に上手い。それに尽きる」
「次、『エデン逆行』」
「名前はエデンでも何でもいいんだけど、文章の上で展開する壮大な宇宙創造っていうか、何でもいいや」
「ここで面倒くさがらないでくださいよ。次。『Jail Over』」
「これは好き。赤いソーセージが白いソーセージを家に招いて食べようとする話だ」
「わけわかりません。次、『捧ぐ緑』」
「これも、個人的に非常に好きだ。ゾウリムシの寿命を縮める研究についての話なんだけど」
「さらにわけわかりませんが、次、『equal』」
「唐突に横書き。何というか、冗談にしては意味不明だし言葉遊びでもないんだけど、ええと、何だろうこれ」
「ええと、じゃあ、『AUTOMATICA』」
「文章の自動生成について。円城塔は割とこのテーマに拘っている印象を受ける」
「はい。で、『祖母の記憶』」
「植物状態のお祖父さんを爆走させて映画を撮る話だ。人形が人形であるためには鋏は不要だ。己に繋がれた糸に意味がないことに気づいてはいけない」
「なるほど。では、『パラダイス行き』」
「今、ひとつ飛ばした?」
「表題作は最後です」
なるほど、と蛹は頷く。
「右が生まれると同時に左も生まれるという話。もう少し言うなら、レモネード抜きのレモネードを注文する方法」
ふむ、と葉月は頷く。
「んじゃ次。『バナナ剥きには最適の日々』…表題作ですね」
「ああ、これは切なかった。たぶん、一番読みやすいと思う。というか、彼の小説の中で数少ない、普通の小説的な小説といえるかもしれない。俺個人としては、やはり最後の寂しさがとてもいいと思う。もしかしたら誰にでも通じる寂しさではないのかもしれないけれど。メッセージというのは自己満足だ。誰かが拾ってくれればいいと思う、でも返事は全く期待できない。それは途方もない孤独だ」
「そういうの、好きですね」
「うん。たぶん、一番透明な孤独だと思う」
「これは確かにまとまらないですね、バナナにソーセージにエデンじゃ…」
「うん。あ、コーヒー、おかわりいる?」
頷きながら、これは珍しい、と葉月は思う。普段はこんなことを尋ねたりしない。自分が飲みたければ勝手に淹れるし、そうでないなら動かないのだ。よほど気分がいいのだろう。
葉月は改めて、本の表紙に目を落とす。
バナナ剥きには最適の日々。 -
まぁ円城塔である。二回読んだけどわかったとはよう言わん。わからんのと、わかった気くらいになるのと。いや、別にわかりたくて読んでるわけでもないので、わかった気になっておもしろかったりわからんけどおもしろかったりでいいのだ。
ということで、わかった気になっておもしろかったのがまず表題作。うん、頭使わずにぼんやり読んでもおもしろい。
「祖母の記憶」ノリ的にちょっとバリー・ユアグローっぽい。悪趣味さと乾いた感触。ユアグローに比べると長いだけおもしろいのとダレるのと。アイディア一発ではないのだな。
「捧ぐ緑」何だよゾウリムシ。といいながらこういうなんちゃって生物学みたいなの好き。石黒達昌とか。 -
うーむ、円城塔は「なんか分からないけど面白い」と言われてることが理解出来ました。
ほんとに分からないものばかりでした(笑)
でも嫌いにもなれない。。。
ほんとに不思議な小説です。
個人的には曲はいいけど歌詞の意味はあんまり分からない音楽を聴いてる気分になりました(笑)
伝わるかどうかは分かりませんが...(^^;)
一つ一つの単語の意味は分かって、でも繋がると分からない。でもなんか文章のリズムが良くて読めてしまう。
その雰囲気を楽しむ小説。
そう割り切って読めば楽しむことが出来る気がします。
正直、この作品を深く考察する勇気はありません。
なかなか興味深い作品に出会えました。 -
フリオかオクタビオのどちらでもない『オクタビオ・パス』が1番好き。本の上の波紋から魚が跳ね、白紙のページは白い獣の流れ、八本脚の乗物、対岸を求めて旅立つおじいさん、そして白い宇宙服の細身の女性。イメージも内容も綺麗で面白かった。『捧ぐ緑』ゾウリムシの実験構想を長々と語り合いつつロマンチックだった。『AUTOMATICA』文章にまつわる考察的な話。『エデン逆行』DNAを辿ってルーツを調べる調査からこんな考察的な話が生まれたのかしら?文庫帯がとても素晴らしい。まさに「研ぎすまされた適当」を堪能した。
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研ぎすまされた適当。
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だめだ、この人の本は合わない。
何を言ってるのか、どう読むのかわからない。
すっ飛ばして解説を読んだが、
わからないけどおもしろい、にはならない
わからないしおもしろくない、だった。 -
円城塔さんの文章はチューニングが合う時すごくノリノリで読めるのだけど。難解。でも好きです。
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こういう文学の形があるんだなと関心した本。
表紙がなかなか好きだったので買って読んだ。けれども読んでみて「ちょっとわかるけど全然わからないな」と思って掴みだけでも知りたくなってあらゆるレビューを見た。どれも「わからないがそれが良い」というもので何かしらをわかってるらしい人はひとりもいなかった。
この作品の上手いところは「完全にわからないわけでもないな」と思わせるところで、それが癖になって読み返す。やっぱりわかんねぇなと思う。本って別に必ずしもわかんなくていいらしい。
作品を読む上でわからないといけないという焦りがあったけど、こういう誰もがわからない作品を読むと安心する。
高尚な読書家に劣等感を感じても「そいつもきっとこの本のことわかんねぇからいいか」と思える。