- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150311759
感想・レビュー・書評
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表題作以外の短篇は皆重苦しい雰囲気の漂う物語なのだが、ただの後味の悪い話で終わらせない、終盤に読者をハッとさせるような仕掛けを残しておくのがとても上手くてそこが素晴らしい 「オムレツ少年の儀式」や「太陽馬」のラストは情景が頭の中で映像化されるような鮮明さを持って迫り来る 「睡蓮」では作中の時代を遡りながら隠された真実が徐々に明らかにされてゆき、それに合わせて物語にのめり込んでゆくような面白さがあった 表題作の思わぬ大団円(?)に笑わされた
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表題作の猫舌男爵がとても良かった
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皆川博子は長編2冊読んでから本書を読んだけど、ほんとに巧いし面白い。重厚な背景が毎回素晴らしいから長編向きかと勝手に思っていたが、短編でもその世界観を作れ、そのうえ作風も変えられるとは。表題作はイロモノっぽいのでズルいが最高に面白いし、「水葬楽」は廃退的な空気感に埋没させるSFでいい。ほかの3篇も皆川カラーがしっかり出ている佳作だった。そして最後の解説にもひと仕掛けというニクさ。
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怪しい雰囲気漂う短編集。
個人的に『水葬楽』『睡蓮』が好きでした。『水葬楽』は未来の死の概念のようなお話ですが、この先あり得るような怖さを感じました。どのお話にも時代が分からないところに感じる不安なような怖さを感じました。
表題作『猫舌男爵』は想像してなかった内容で、純粋に面白かったです。 -
初読みの皆川博子作品。なんとも濃密な短編集だった。幻想的であったり笑いがあったり…。正直難解な部分が多いが、それでも魅せられてしまう。「睡蓮」「太陽馬」が特によかった。この作家さんの、ヨーロッパを舞台にした話をもっと読んでみたいと思って早速購入!楽しみだ。
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「猫舌男爵」三周目。文庫化をきっかけに久しぶりに読んだ。
やっぱり「睡蓮」と「オムレツ少年の儀式」が好きすぎるんだけど、別のアンソロジーで読んだ「猫舌男爵」にどんどんはまってきた。ページが進むにつれてすべてが滑稽にとっ散らかるように感じて、けれど最後はみんな(たぶん)解放されて幸せ、みたいな。千街さんとか日下さんとか実在の人物が登場したり。あと解説ヤン・ジェロムスキって目次で見てすごくわくわくしてた。ヤン・ジェロムスキ文体そのままだった。ヤン・ジェロムスキ、架空の人物。 -
短編集。表題作には実在する人物までもが登場し、大いに笑わせてもらいました。皆川作品で笑うのは初めてかな? 物語に酔う感覚は心地好かったです。
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全部雰囲気が違う短編5編。
やっぱり独特の世界、相変わらずの皆川ワールド。
表題作の『猫舌男爵』は笑える!!
ヤマダ・フタロのファンである外国人が、
日本語もちゃんと理解してないのに《猫舌男爵》と言う本を翻訳。
日本語を理解しないまま翻訳したので…!?
私が気に入ったのは
『オムレツ少年の儀式』『睡蓮』の2編。
『オムレツ少年~』はただ少年が哀しい(w_-; ウゥ・・。『睡蓮』は精神病院に入院していた元画家の老婆。
家族の日記と書簡で過去に遡れば彼女の真実が…
真実が判った時の衝撃半端ない!!(゚Д゚;) -
怪しさと嘘臭さ満タンな短編三つ。
いつもの耽美さと違ったシニカルさが楽しい。 -
5篇の短編集。
読後に「ヤン・ジェロムスキ」の名前をググったのは私だけではないはず。
それから「エーディット・ディートリヒ」と、「ジークムント・グリューンフォーゲル」の名前も。
引用形式というスタイルで、史実や実在人物名もちょこちょこ出てくるもんだから、これははたして創作なのか? それとも史実なのか? と、訳が分からなくなってしまった人がいるに違いない。
「オムレツ少年」と「太陽馬」は歴史ものに分類できると思うのだけれど、これらも「史実」と「創作」の境目が非常に曖昧だったように思う。
特に後者の方では、ロシア・ソヴィエトの歴史を淡々と語る割と長いパートがあるのに、読後の印象としてはやっぱり幻想的なのだ。
それから「水葬楽」。読んでいるとふわふわした気持ちになって溶けて流れて行ってしまいそうな難解な幻想小説だけれど、
BackGroundPoemとしての詩句の引用が要所に挿し込まれることで、現実に引き戻されるような感覚があって、尚更頭が揺さぶられる。
この引用句が旧仮名遣いで書かれていることもあって、その所為か、時間軸も行ったり来たりさせられる感じだ。
こんなふうに、「実在と非実在の境目」、「史実と創作の境目」、「現実と幻想の境目」を曖昧にしてしまう仕掛けや効果が随所に在って、
それがこの作品集の、寧ろ皆川作品すべての特徴であり魅力なんだろうな、と思ったりした。
だからこそ、皆川作品を読んでいると、不安にもなるのだ。
物語の中のこの人は本当にいたのだろうか?
どこにいるのだろうか?
どこにあるのだろうか?
と、現実と小説の区別がつかなくなってしまうから。
そう思いながら文字を追って、彼らの後を追いかけていると、
いつの間にか自分自身が物語に迷い込んでしまって、
果たして自分は今、どこにいるのだろうか?
ということが、分からなくなってしまうのだ。