大日本帝国の興亡〔新版〕3:死の島々 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

制作 : John Toland 
  • 早川書房
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本棚登録 : 128
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504366

作品紹介・あらすじ

ミッドウェーで大打撃を受けた日本軍。一方、勢いに乗る連合国は要衝ガダルカナル島に上陸、日本軍は撤退を余儀なくされる。さらに連合艦隊司令長官山本五十六がソロモン上空で戦死、サイパン島玉砕……戦況は悪化の一途をたどる。(全5巻)

感想・レビュー・書評

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  •   第3巻では、ガダルカナル島からサイパン島陥落までの流れを追う。日本にとって、ガダルカナルとは、最南端の領地であり、一方、アメリカにとっては、太平洋の主導権を握るうえで、重要な地点である。そのような関係から、両者は必死になって争った。とはいえ、ガダルカナル島は、シロアリやマラリアの発生と、とても人間が快適に過ごせる環境ではない。その為、日米がここをめぐって衝突した際、補給線の確保が重要であったのかは想像できる。ところが、日本軍はこれまでの戦いと同様に、兵站を怠り、精神論で乗り切ろうした。先ほど述べたように、ガダルカナル島は、そもそも人間が長期間いられる場所ではなかったため、当然、飢餓に苦しんだり、マラリアによる感染症など、敵国と戦う以前に、既に、敗北の兆しが見えていた。このように、過酷な環境の下で挑む戦いは長引くほど、悲惨な結果を招くにすぎない。その後、撤退を検討するようになるが、ここでも、現場と参謀本部との齟齬が生じる。ガダルカナル島の例に限らず、中央と実際に戦地で戦う者との対立は発生しており、本書で言及されるが、ラバウルの占領政策で有名な今村均は、中央の意向に反する行為だったためか、一時は地位が危うかったという。そして、いくたびも争いは継続し、サイパン島陥落を契機に、東条内閣は辞職になるが、その後も政府は混乱をきわめた。

  • 第3巻は、ガダルカナルの攻防戦からサイパン島の陥落まで。ソロモン海をめぐる日米海軍の戦いは、知らなかったことも多く、日本側が相手の補給を断つ作戦を展開していたら、戦局は違う展開になっていたのかもしれないと感じた。
    民間人を巻き込んだサイパン島での戦いの記述はあまりに悲惨で、どうしてこの時点で終戦の講和を結ぼうとしなかったのか、読みながら切歯扼腕する思いであった。

  • 太平洋戦争を描いた5巻のうちの1巻。
    この第3巻はガダルカナル島・サイパン島の戦いである。

    相変わらずではあるが、非常に細かいところまで取材されており詳しく書かれているのであるが、私に知識が伴っていないため十分には理解できなかった。

    ただ、両島の戦いがいかに壮絶なものであったかは十分には伝わってきたとともに、自分が先の大戦についてほとんど知らないという事を気でかせてくれた。
    また、歴史の教科書のように数行で終わらせてしまうような話ではないということを、しみじみと感じさせてくれる1冊である。

    非常に読み応えのある本である。

  • 「第三帝国の興亡」より視点がずっと低い。戦争を、生身の人間の殺し合いとして描いていて、読み進めるのが辛い。ひとごとみたいだった「第三帝国・・・」とずいぶん印象が違う。本書にパクリみたいな邦題をつけるのは、ずいぶん失礼な話だ。まあ、ぼくはそのせいで本書を見つけたんだけど。パクリとはほど遠いので、その点は強調しておきたい。

    負け始める大日本帝国。ガダルカナル、アッツ、そしてサイパン。インタビューを元にしているらしく、たとえばサイパン玉砕は生き延びた日本人看護婦の視点から描かれている。ぼくらがいまなんとなく知っている「玉砕」を初めてちゃんと読んだ気がする。

    著者トーランドは(戦争中の)日本人の死生観をことさらに強調、説明しないので、民間人をも巻き込んだ「玉砕」の悲惨さがあらためて迫ってくる。手を上げて生きよう、といった司令官はいなかったのか、と思うと暗い気持ちになる。最近、戦争に行きたくない、といった若者を利己主義だと決めつけた政治家がいたが、大日本帝国陸軍の系譜はこの国に脈々と受け継がれているようだ。

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著者プロフィール

(John Toland)
1670-1722年。アイルランド生まれの思想家。名誉革命の動乱期にスコットランドのグラスゴー・カレッジで学んだ。ロンドンにやってくると、非国教徒内の同盟を推進する長老派ダニエル・ウィリアムズを支援して、その著作をジャン・ル・クレールの雑誌に紹介した。これによってオランダでの勉学の機会を与えられ、ベンジャミン・ファーリ、ル・クレール、フィリップ・ファン・リンボルクなど大陸の自由主義的プロテスタントとの交際を得た。帰国後、反三位一体論争のさなか『秘義なきキリスト教』(1696年)を匿名出版した。多数の反駁が書かれ、イングランドではミドルセックス大陪審の告発、アイルランドでは大陪審の告発と議会下院による焚書と逮捕・起訴が決議された。逮捕を逃れてロンドンにもどると、時事的な政治的著作・パンフレットの出版や、ジョン・ミルトンやジェイムズ・ハリントンなどピューリタン革命時の共和主義者たちの諸著作を編集出版し、「コモンウェルスマン」として活動した。後に『セリーナへの手紙』(1704年)、『パンテイスティコン』(1720年)などで唯物論的自然哲学を展開した。

「2016年 『セリーナへの手紙 スピノザ駁論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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