- Amazon.co.jp ・本 (373ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150700287
感想・レビュー・書評
-
読了は高校生の頃だったかな。
一応、ポアロ物ですが、ミステリーというよりも人間関係の描写に力を置いた文学的作品でもあり、ミステリーとの融合を狙った異色な作品といえます。当時はそうした表現が少し退屈に思ったものです。(笑)ポアロの役割として今回は影が薄くて・・・。しかし、ミステリー部分でもそこはクリスティーのこと、犯人は十分に意外性があるもので、むしろこうした人物関係の描写そのものを上手くプロットとして活かしたともいえるでしょう。
医師ジョン・クリストゥと妻・ガータ、そして、クリストゥとヘンリエッタの関係は・・・。ある意味、クリスティーが得意とした性格設計と人間関係ともいえます。事件発生は居合わせたポアロを困惑させるものでしたが、その出来事は様々な経緯と想いが一気に収斂された瞬間でもあり、ラストの余韻につながります。
こうした流れが舞台化しやすいのでしょうか、映画では『華麗なるアリバイ』(仏)、『危険な女たち』(日)、ドラマでは名探偵ポワロシリーズなどと本作品は割と映像化されているようです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりに本格推理ミステリー作品を読みたくなり「アガサ・クリスティ」の長篇推理小説『ホロー荘の殺人(原題:The Hollow)』を読みました。
「アガサ・クリスティ」作品は今年の8月に読んだ『クリスマスプディングの冒険』以来ですね。
-----story-------------
「アンカテル卿」の午餐に招かれホロー荘に来た「ポアロ」は少なからず不快になった。
邸のプールの端に一人の男が血を流して死んでおり、傍らにはピストルを手にした女が虚ろな表情で立っていたのだ ─ いくら彼が探偵とはいえ、こんな歓待の仕方は見当違いというものだ。
だが、死体は本物だった。
殺されていたのは、やはり午餐に招かれていた医師で、女はその妻だった……
ホロー荘に集まった人々の心理葛藤のなかに真相を読む「ポアロ」。
-----------------------
本作品は1946年に発表された「エルキュール・ポアロ」シリーズの作品です。
ホロー荘に招かれた人物の間には様々な恋愛模様が絡んでいるし、殺人事件の動機も含めて恋愛サスペンス… って感じの展開でしたね。
「ポアロ」の活躍も控えめで、裏方で物語を支えている感じの存在だったことも、その印象を強くした要因だと思います。
でも、「ポアロ」は目立たない存在ながらも、確実に真相に近づき… 最後まで真相に辿りつけなかった警察とは違い、最終的には真相を解明し、危機一髪で第二の殺人を防ぐとともに粋なエンディングを演出しました。
それにしても、最も意外な人物が犯人でしたねぇ、、、
しかも、真犯人に感付いた周囲の人間が、他の人間に容疑が向くような行動を取ったことで、警察と同様に読者もミスリードされてしまう展開となっており、見事に騙されてしまいましたね。
以下、主な登場人物です。
「ヘンリー・アンカテル卿」
行政官
「ルーシー・アンカテル」
ヘンリーの妻
「ミッジ・ハードカースル」
ルーシーの従妹
「ヘンリエッタ・サヴァナク」
彫刻家
「ジョン・クリストゥ」
医者
「ガーダ・クリストゥ」
ジョンの妻
「エドワード・アンカテル」
ルーシーのいとこ
「デイビッド・アンカテル」
ルーシーの親戚
「ガジョン」
執事
「シモンズ」
メイド
「ヴェロニカ・クレイ」
女優
「エルシー・パターソン」
ガーダの姉
「グレンジ」
警部
「エルキュール・ポアロ」
探偵
登場人物が多いと、読んでいる途中に、これ誰だったっけ… と思うことが多々あるのですが、、、
ホロー荘の主人と妻、ホロー荘へ招待されていた6名の親族、そして近所の住人が、それぞれ個性的な性格を与えられており、序盤の丁寧な心理描写等により、一人ひとりの性格が自然と理解できる展開になっているので、頭の中で上手く人物を描き分けることができました。
このあたりの展開は見事ですね… 巧いっ!
最も印象に残るのは、身近には居て欲しくないキャラですが、独特な存在感のある「ルーシー・アンカテル」ですねぇ、、、
つかみどころがない性格で、とりとめのないことばかりを言っているが、実は鋭い洞察力に裏付けられた真実があり、弱いようで強い女性… 何も知らないように思えて、何もかも知ってるような彼女の恐ろしさが本作品に面白味を加えている感じですね。
そして、「ジョン・クリストゥ」のことを愛する、「ガーダ・クリストゥ」と「ヘンリエッタ・サヴァナク」、「ヴェロニカ・クレイ」の三人の女性が、全く異なる性格というのも面白いですね。
個人的には「ヘンリエッタ」の性格に惹かれます。 -
ポアロシリーズ、10年ぶりくらいに再読。
-
なかなか話の進まないもどかしさは、あえて作られたものだったことに衝撃。
-
久々のアガサ・クリスティ作品。
というか、洋物自体が久しぶり。
書かれた時代も違うという事もあって、言い回しが少し回りくどく感じた。
あと、ラブストーリー要素も散りばめられていてキュンキュンしながら読んでました。
犯人は私にとってまたもや意外な人物。
アガサ・クリスティがミスリードしようとする企みに毎回まんまとはまるのが私(笑)。
被害者の奥さんの台詞がなかなか秀逸。
「あの子(息子)は『何故お父さんは殺されたの?』ってきいてばかりいるのです。(中略)納得できないのは、あの子、いつもなぜとだけきいて、誰がとは聞かないことですわ」
息子……切ないね。
(2013/4/20 読了) -
ミステリーの枠でくくるには惜しいくらいに人物描写が秀逸。
最初のうちはなかなか殺人が始まらないのでミステリーを期待する人にはじれったくなる展開かもしれませんが、この人物描写があるおかげでその後の展開に説得力が出てきます。
ヘンリエッタの人物像はクリスティー自身を反映しているような気がするんだけど、どうだろう?
「あなたにとっては、人の心が傷つけられるのは耐えがたいことです。しかし、ある人々にとっては、それ以上に耐えがたいことがあります―わからない、ということです。(略)科学的な精神の持主にとっては、真実が第一なのです。どんなに辛かろうと、真実は受け入れることができ、人生の模様に織り込んでいくことができるものなのです」というポアロのセリフが好き。 -
フランスで映画化された「華麗なるアリバイ」を見たので、原作も読み返してみた。
映画は、現代フランスに舞台を移しているし、なんといってもフランス映画なので、換骨奪胎されているかと思っていたが、意外に原作に忠実だった。
原作は、交互に複数人視点で描かれ、ナゾ(Whydunitで、しかもitは殺人自体じゃない行為のWhyのほうがキモ)も極めて心理的なものなので、かなり不自然ではあっても、そういうこともあるかもしれない…と納得させるものがあるが、外から描写せざるをえない映画という形式では、その点やっぱり不利があり、映画だけだと釈然としない印象を与えるかもしれない。
原作と映画で、時代や社会による設定変更が著しいのは、エドワード(映画ではフィリップ)で、今、原作のままの造形だったら、資産があるだけでニート・ひきこもりと呼ばれないだけの、まったくの腑抜け男。映画のほうはちょいダメ男だけどそれなりにチャーミングに描かれていた。最後活躍するし(ここも原作と違う)。
プロット上の違いは、女優の扱いだが、おフランスとしては、これが原因であれを殺したら、こっちも殺すだろうてことか?(爆)
決着の付け方は、地味で渋い原作と、やや派手に活劇仕立てにした映画と、それぞれ作り方にふさわしい処理がされている。
あ、一番違うのは、映画はポアロ(でなくても名探偵)が出て来ないことか。確かに原作もポアロなしでも書けそうというか、メアリ・ウェストマコット名義で出ててもおかしくないくらいかも。
ところで、映画の原題のLe Grand Alibiは、犯人の人としての大いなる欠如を示唆するように用いられており、翻って、The Hollowのもともとの意味である空虚を思い至らせるという効果があった。(なお、どこからどうみても、「華麗なる」ところはないし、アリバイものでもない。映画に出てくるインテリアとかはステキだが。) -
1946年発表
原題:The Hollow -
実はこの作品は人間描写のほうが
メインと言うミステリーの常識を
ある意味ではぶっ崩してくれている作品です。
なぜそういう風に言っているかと言うと
本当事件は際したことがないのです。
一見してひん曲がった事件かと思ったら、
実はそうでないというオチがついていますし。
それよりも事件に関わった
ある人物のほうがキー人物なのです。
最後は決してハッピーエンドでは
ありません。
これは彼女の作品の中では
珍しい部類でしょう。
読み終わって、かなり気持ちが重くなってしまいました。 -
最近のマイブーム、アガサ・クリスティ。作品としては地味ではあるが、女性陣の造形が魅力的な、現在私の中のクリスティベスト1.