- Amazon.co.jp ・本 (450ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200519
感想・レビュー・書評
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【わたしを離さないで】
カズオイシグロっぽかった。素晴らしかった。偉大な小説を読むたびに、自分には小説が書けないと強く思う。
構成がすごい。小さな点だった話の入り口がどんどん大きくなって、最後にはすごく大きな世界が描かれてる。いびつな世界。ちょうどメガホンを横から見たような、語られる世界のそういう広がり方のイメージをわたしは持った。
書物は、人が自分の中に持っているものを映す鏡。わたしがこの作品を読んで思ったのは、技術が発達し過ぎた世界のいびつさ。人間の身勝手さ。自分たち側の生への欲求が満たされるなら、臓器移植提供だけのために作られた、消費され、廃棄される人間より一段劣った存在がいてもいいということ。ここに描かれてるのは虚構の世界だけど、実際に起きてもおかしくないと思った。エミリ先生やマダムは同情に値する。彼女ら自身正義感や道徳観にかられてヘールシャムを作ったけど、それは状況の改変には程遠い。ある意味では自己満足かもしれない。しかも結局は彼女らの試みも社会から拒否され忘れられ失敗に終わる。さらに彼女らが社会から拒絶された理由のきっかけも、ある医療技術を巡る事件。それは優秀な遺伝子を持った人間をつくる技術だった。そんな人間ばかり人工的に作っていては、やがては人間社会全体がそのような人工人間に乗っ取られてしまう可能性がある。人々はそのことを危惧した。しかしここで、彼らが身を背けていた問題が頭をもたげて来ざるを得ない。ー人工人間が自分たちの上をいくとき、それはあってはならないことだとされる。では、自分たちより下位に位置づけられる人工人間は?その存在は倫理的に許されるのか?この問題を議論すること自体に人々は拒否反応を起こし、ヘールシャムは閉鎖に追い込まれ、やがて提供人間に対する社会的運動もなくなってゆく。人々は自分たちの倫理観の暗部にふたをして、社会を営み続ける。何かがひどく間違っている。
「癌は治るものだと知ってしまった人に、どうやって忘れろと言えます?不治の病だった時代に戻ってくださいと言えます?そう、逆戻りはありえないのです。」エミリ先生の言葉はわたしの心を強く揺さぶった。やはり技術の行き過ぎた発展は、人間の社会を歪ませてしまっているし、倫理観まで損なわせかねない。そこには本来あるはずの人間の限界に対する恐れや諦め、自然界への畏怖というものが著しく欠如している。
「あなた方の存在を知って少しは気がとがめても、それより自分の子供が、配偶者が、親が、友人が、癌や運動ニューローン病や心臓病で死なないことのほうが大事なのです。」私の母も以前似たようなことを言っていた。愛する人の延命のためなら、たとえ独りよがりな考えであっても技術にすがる気持ちはやめられないと。私はこのことについて繰り返し母を批判し衝突してきた。母の気持ちもわかる。私はまだ、本当に本当に近しい大切な人を失った経験がない。だからいたずらに母を道理で責めるのは間違っているし、母が私を心無い子と思いたくなるのも理解できる。人は本来的に自分と自分の身の回りの人のことが一番大事なのだ。いざとなったら、倫理もへったくれもない。でもだからこそ思う、技術の発展で人間の欲求を満たし過ぎてはいけないと。人間にできないことがある限り、いろんなことは諦めがつく。コントロールできない自然的・生物的事象にも健全な恐れの心を持っていることができる。わざわざ自分たちのどうしようもなく自己中で残酷な面を知る必要もない。だから私は日頃から言っているのだ、技術の発展はもういらないと。
カズオイシグロの作品はいつも素晴らしくて、重い。読後感は非常に重苦しい。でもだからこそ、深い気づきと内省を与えてくれる。静かな語り口も素敵だった。臓器提供用に生まれてきたクローン人間だって、すごく細かい表情のひだを持ってた。「かゆいところにてがとどく」ような、あぁわかる。と言いたいような繊細微妙な感情の描写がたくさんあった。そしていつものように語られないところもたくさん。でもトミーとキャシーの関係に対する違和感は私の思ってた通りのものだった。あのルースと再会以後の、作中において言葉では何も語られない彼ら二人の関係の変化は、私の違和感は当事者たちも当然持っていたものでそれが正しく修正されただけであるから、というので間違っていないのだろう。いい読書をありがとう。また一つ豊かになれました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて読んだカズオイシグロ作品。
話のあらすじを全く知らないで読んだが、結果的にそれで良かったと思う。
冒頭から一気に引き込まれた。…「提供者」とは、「マダム」とは何者なのか…
個人的には、ネタバレは全く無しで、偏見のない状態で読んで欲しいと思う。
素晴らしい作品です。 -
カズオ・イシグロ作品として初めて読んだ「日の名残り」とは、また異なる作風の小説でした。
あらかじめ喪失することが宿命づけられている子どもたちの物語と言えましょうか。
主人公とその友人たちは「提供者」と呼ばれています。
なぜなら、彼らは将来、臓器を提供するために造られた子どもたちだからです。
読者は本作の冒頭から、それを知らされます(ただし、あからさまではありません)。
子どもたちは、施設の中という隔絶された場所ではありながら、普通の子どもたちのように授業を受け、友情を育み、恋をし、喧嘩をし、感情のすれ違いを経験し、大人へと成長していきます。
ひとつひとつのエピソードが、抑制の利いた文体で優しく丁寧に描かれます。
読者は、彼らが「提供者」であることを分かっていながら、それを読みます。
ですから、一つひとつのエピソードが、たとえどんなに明るいものであっても、切なく、また愛おしい。
彼らが、彼らを生んでくれた親(ポシブル)を思い、また親かもしれない人物をみんなで遠方まで探しに行く場面は、涙で目が潤みました。
実に素晴らしい作品です。
お恥ずかしい話、ノーベル文学賞を受賞しなければ、恐らく読まなかったはずなので、スウェーデン・アカデミーの皆様に率直に感謝申し上げたいです。
それにしても、カズオ・イシグロ作品は実にリーダブル。
「日の名残り」を読んだ時も感じましたが、難解さや読みにくさは全くありません。
本書を読んで、カズオ・イシグロの小説は、全ての読者に開かれているという印象を強くしました。
少し技術的なことで気付いたことも書いておくと、たとえば終盤、もっと正確に言うと、ラストの手前、いわゆるラス前です。
最も物語が盛り上がる場面。
作者なら一番熱を入れ、あるいは加速度を付けて書きたいところです。
ところが、カズオ・イシグロは、最後まで抑制の利いた文章で描き切ってしまうのですね。
そこがまた、強い訴求力として作用しているのが大変に魅力的です。
実に冷静で、辛抱強い作家だと脱帽した次第です。 -
翻訳本は苦手なのだけれど、知らずに買ってしまった。著者名詐欺…!
介護人、はもちろん老人介護や障害者介護だと思って読み進めた。だけど段々、誰を介護するのか、被介護者が何を提供するのかがわかってくる。そうと知っていながら、そうある自分を全うする登場人物たちが送った青春時代。昔見た「アイランド」という映画を思い出した。倫理を問う小説ではなかった、と感じたけれどどうだろう。そういう状況下でしか生まれ得ない美しさを描きたかったのかな。 -
重く衝撃的な内容にも関わらず、感情を抑えた語り口で淡々と進む。
だが、それが良い。
透明な膜が周りに張り巡らされたような、そしてその膜を破ろうにも破れない心持ちがして辛い。
いや、辛いというよりは虚しい…のかな…
そんなにみんな長生きしたいの??
ひょっとしたら反抗したり逃げられるかもしれない状況なのに、誰もそう思わない。それがとても怖かった。 -
イギリスを舞台にしてはいるものの、この物語の中の世界はカズオ・イシグロが頭の中で造り出した世界。現実世界ではあり得ないお話。
でも、どこかで歯車が狂っていたら・・・
もしかしたら現実世界でもあり得た話しなのではないかと感じた瞬間、背中がゾッとしました。
カズオ・イシグロの文章はとても柔らかで静か。物語に引き込まれて、するするっと読めてしまいますが読後、心の奥底に重いものがズシッと乗っているような感覚になります。
今回もそうでした。
色々と考えさせられます。 -
テレビドラマで見てから、原作を読んでみたくなりました。提供者として生きるクローン人間達を登場人物として設定した小説であるという特異性。その特異性の裏側に描かれた、私達のリアルな世界の一面。なんとも言えない不思議な世界。
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かなり衝撃的な内容。
始終淡々とした語り口調なのですが、だからこそ異様な雰囲気が目立ちます。
目立った事件などはないのですがジワジワとくる恐怖。
私はSFと言う認識で読んでいましたが、もしかしたら私が知らないだけで
どこかでこういう事がもうすでに起こっているかも知れない、遠くない未来起こるかも知れないと
震える思いで読み終えました。
何とも悲しい子供たち。
普通に感情を持ち、他の少年少女と変わりなく成長していくのがまた悲しい。
やはり人間が手を出してはいけない領域が確かにあると、強く感じます。
読み終わった後に題名と表紙のカセットテープを改めて見直すと、何とも言えない切ない思いに襲われました。 -
提供者と呼ばれる人々の世話をする介護人のキャシー・H。彼女は生まれ育った施設”ヘールシャム”の友人たちの介護もしながら、これまでの日々を回想する。
一人称での語りと過去の回想話って本当に相性がいいよなあ、としみじみ感じた作品です。にじみ出る郷愁を美しい語り口で回想されると、読者も知らず知らず感情移入して、どこか懐かしい、そして寂しい気持ちになってしまいます。
この心情は、決してイヤなものではありません。切ないけどどこか心地よくも感じます。寂しさと懐かしさの混じり合ったそんな不思議な感情です。
キャシーの青春時代の回想は、どこか自分たちにもつながるものがあるような気もします。自分たちの運命やこれからの将来をなんとなく受け入れながらも、一方で青春時代を生きている。それは環境や状況は全く違うのですが、どこか社会に出る前の、学生時代のモラトリアムを楽しんでいる、自分の現状と被るところがあったのかな、というふうに思います。
話の引っ張り方も巧いです。施設の保護官の言動や、時々訪れるマダムの存在など謎を提示し、それに対する情報を、日常生活の回想の中で小出しにしていくことで、ついつい物語に引っ張りこられてしまいます。
謎の解決については、そこまで意外、というものでもないです。しかし、これまでに語られた日常が効いているためか、物語が閉じられるころには、様々な思惑に踊らされた子どもたちの悲哀が伝わってくるような気がします。
青春や恋愛小説の面に加え、ミステリやSFの面もある、不思議で重層的な小説だったと思います。
2007年版このミステリーがすごい! 海外部門10位 -
一見のどかなヘールシャムでの子ども時代。そこに見え隠れする小さな違和感。少しずつ少しずつ知らされる、自分たちの存在意義。
そのレールに乗って、大人になった生徒たちは使命を果たす。定められた運命に抵抗する事もなく。
しかし、彼らの魂もレールの上を走ったのだろうか。
生命や倫理や人間の人生、人が生きるとはどういう事なのか、幅広い視点から考えさせられる1冊。視点が多く、読む人によって印象が大きくかわりそうな作品。