- Amazon.co.jp ・本 (413ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200717
感想・レビュー・書評
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色彩の作家だろう。オルハン・パムク(トルコ*1952~)の代表作『わたしの名は赤』といい、本作といい、絵画を彷彿とさせる書き手だ。とりわけこの作品の表題にもなっている雪は、冒頭から終わりまでさまざまなメタファーをからませながら、ときに鈍色のように重く、ときに羽のように軽やかに降る。
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12年ぶりにドイツから母国にはいった詩人のKar。知人の依頼をうけてスカーフの少女たちの連続自殺を取材するためトルコ北東の地方都市カルスを訪う。到着早々、豪雪で交通は途絶し、事件の真相に迫るなか、Karはしだいに政治や宗教組織、警察や軍組織と絡まりはじめ、市長暗殺やクーデターに巻き込まれていく。
わたしの本の読み方がいかにも偏っているせいだろう、トルコという国はなかなか舞台の中心にはない。地理的にも歴史的にも通過点にすぎず、要するに社会情勢や人々の営みがよくわからない――でもこれ、トルコに限ったことではないような気がする(汗)。それでも最後までちゃんと読ませるのはさすが。わたしのような読者を雪のなかにうっちゃって凍えさせるようなことは決してない。これがノーベル賞作家なのだ~と舌をまく。
この作品の醍醐味は雪のもつ色彩とイメージと詩情、分裂してしまったかのような両義性の連続だ。前が見えなくなり、天地もわからなくなる雪の降りようがあるかと思えば、森閑と降る雪の切片が、ときに天へ昇っていくような軽やかさをみせることもある。狂おしい郷愁を覚える一方で、西欧化のすすまない郷里をいつしか見下しているKar。閉塞感にあえいでいるはずの男の中には、べそをかいて母の胎内に逃げ込んでいくようなおさな子が同居している。記憶と忘却、なにもかも埋もれていく恐怖と安堵、喧騒と静けさと生と死と……。
「雪におおいつくされた広場――のちのち彼がそうしたものを目にするたびに覚えた奇妙な、それでいて抗いがたい孤独こそが彼の心を責め苛んでいたのだ。――もしかしたら、この街はとうの昔にみんなに忘れられてしまって、この世が終わるまで、ただ静かに雪だけが降り続くのかも」
ニュースを見ていてもトルコの抱える問題は根深い。民族間の紛争、貧困と暴力、移民、女性解放、宗教と個人主義、イスラム世界と西欧……人種も民族も宗教も多種多様で、イスラム原理主義やトルコ共和国が国是とする世俗主義をはじめ、共和主義、社会主義、共産主義、クルド民族主義、トルコ民族主義……表面では政教分離を掲げるも、必ずしもそれが通らない不条理、宗教を絡めながらの政治や外交情勢も難しい。ふと2001年アメリカ同時多発テロ事件を想起して、時空間の広がりを感じさせる。
そのような混沌をパムクはうまく敷衍している。たとえば『わたしの名は赤』、中世オスマン帝国を舞台としたサスペンス仕立で、イスラム世界と西欧の相克にくわえ、漱石の『草枕』のような色彩(絵)と言葉(文学)を絡めた芸術論はおもしろい。ただ私がイスラム古典文学にうといせいもあるのか、登場するキャラクターのどれにも沿えず(視点が定まらず)あまり深められなかった。
それに比べると、「雪」というキーワードが作品全体を貫いているこの作品は、それが遠くの灯台になり、足元を照らす行灯になり、中身も締まっておもしろく読めた。その国の社会背景や人々の暮らしぶりがわかる作品は好きなので、読むうちにペルーのバルガス=リョサの『ラ・カテドラルでの対話』や、カート・ヴォネガットの『ジェイルバード』といった、現代のハードなリアリズム作品を思い浮かべた。
ところが男女の描写……は、ちょっとちがう。作者のてんねんなのか、わざとなのか?? 誇張したような、戯画化したような、ある種のメロドラマ性が漂っている。はじめはその軽い筆致に度を失い、脳内ではキャラクターもろとも瓦解しそうになったが、とにかく主人公Karを叱咤激励し、気を取り直して読んでいるうちに、ふと閃いたのだ!? その振れ幅の広い筆致で、悲哀漂うリアリズムの重みを支えてバランスをとっているのかもしれない(笑)。なんと不思議な作家だろう、もうすこし彼の描く色彩を探求してみたい、そんな魅力を放っている(2021.8.8)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
3.81/230
『十二年ぶりに故郷トルコに戻った詩人Kaは、少女の連続自殺について記事を書くために地方都市カルスへ旅することになる。憧れの美女イペキ、近く実施される市長選挙に立候補しているその元夫、カリスマ的な魅力を持つイスラム主義者〈群青〉、彼を崇拝する若い学生たち……雪降る街で出会うさまざまな人たちは、取材を進めるKaの心に波紋を広げていく。ノーベル文学賞受賞作家が、現代トルコにおける政治と信仰を描く傑作』(「Hayakawa Online」サイトより▽)
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000011038/
冒頭
『――雪の静けさ。バスの運転手のすぐ後ろに腰かけていた男はそう思った。もしこれが詩の書き出しであったなら、彼はその感覚を雪の静けさと呼んだことだろう。』
原書名 : 『Kar』
著者 : オルハン・パムク (Orhan Pamuk )
訳者 : 宮下 遼
出版社 : 早川書房
文庫 : 413ページ(上巻) -
2012-12-6
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本当によくできた小説。
・短い区切りに出てくる登場人物の一人ひとりが魅力的で飽きない。それぞれの人物像が説得的で魅力的。器となるカルスの街とトルコの歴史。
・主人公となっている詩人の素直さ・軽率さ・人間臭さがこれまた引き込まれる。やや皮肉に距離を置いている語りのおかげで、彼の真剣な様子がユーモラス。
・語りが絶妙。主人公を急に突き放してみたり、後の展開を予告したり、自由自在。今の展開が後の時点に響くことを陰に陽に示して、退屈させない。そして、単なる三人称の神の目線ではなく、誰なのか?と思わされる。
・イスラームの保守派の心情や神を求める信仰心が、ひとりひとりが近代化に持つ希望/不安が、そこまでの文化的障壁やコンテクストの違いがなく伝わってくるかのようだ。 -
新訳。ドイツへ政治亡命していた詩人Kaはトルコに戻り、辺境の街カルスでの少女の連続自殺について取材するためこの街を訪れ、雪に降りこめられる。Kaのカルス行の真の目的である女性イペキ、新聞記者や警察署の副署長、今やイスラム政党に属して市長選を戦うイペキの元夫などが思わせぶりに登場し、Kaが芋づる式に取材を続けるうち、教員養成学校の校長が殺され、Kaはカリスマ的なイスラム主義者の《群青》に引き合わされたり、導師・説教師養成学校の学生から書いているSF小説のことを聞かされたり、そうする間に長らくスランプだった詩が続々浮かんできたりするのだが、何故か詩を朗読することになった劇場では地方ドサ回りの劇団(実は左翼くずれでブレヒト劇の影響を受けているらしい)の公演中に劇の続きのようにクーデターが起こり、ノンポリを標榜するKaは否応なしに事態に巻き込まれていく。
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トルコといえばトルコ行進曲と藤原新也の『全東洋街道』(大好き!)でぐらいしか馴染みがなく、ウィキペディアでところどころ歴史や政治や宗教を調べながら上巻を読了しました。期待以上に面白いです。汚れなき雪が覆い尽くすカルスの街の描写が只管に美しく悲しくて。その雪の下にはいったいどんな世界が隠されているのでしょう。下巻に進みます。
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上巻の半分くらいから、「Kaは死ぬんだな」という不吉な予感にじっとりと責められて、不安なまま下巻へ。
尾行を待っててあげるKaと尾行さん。ここで滑稽さを感じて、息継ぎ。オースターの『幽霊たち』読み返したくなった。 -
社会の重苦しさ・理不尽さがひりひりと伝わってくる。