意識は傍観者である: 脳の知られざる営み (ハヤカワ・ポピュラーサイエンス)
- 早川書房 (2012年4月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152092922
作品紹介・あらすじ
最新脳科学が明かす、心と脳の予想に反したあり方を、平易かつみずみずしく活写。ニューヨークタイムズほか多くのベストセラーリストをにぎわせた科学解説書が、満を持して登場。
感想・レビュー・書評
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本書のテーマは、書名で端的に表されている。つまり、「ヒトの意識は普段私たちがナイーブに信じているほど確かなものではなく、むしろ無力なものである」。本書で紹介されているのは唯物論的な脳の見方ではあるが、還元主義ではなくシステム論を採用している(簡単に言えば、「全体は部分の和よりも大きい」)。
はじめの5章は、多くの具体例を用いて「意識の不確実性」について解説している。例が面白かったので、いくつか箇条書きで紹介。(1)アントン症候群 「これは脳卒中で失明する障害だが、患者本人は失明を否認する。医師団がベッドサイドを取り囲んで言う。「ジョンソンさん、ベッドの周りに何人いますか?」。すると彼女は自信満々で「四人」と答える。たとえ実際には七人いても。医師が「ジョンソンさん、私は指を何本立てていますか?」と訊くと、「三本」と答えるが、実際には一本も立てていない。(略)アントン症候群の患者は失明していないふりをしているわけではなく、本当に失明していないと信じているのだ。言葉で報告することはまちがっているが、うそではない。ただし、本人が見ていると思っているものは、すべて内部で生成されている。」(p.73)(2)私たちが普段行っている動作のうち、意識が関わっているのは実はごくごく一部である。私たちが一歩踏み出そうとするとき、わざわざ複雑な物理の方程式を解いたりなんかせずとも、勝手に足が動いてくれる。(3)平凡な生活を送っていた人が銃を乱射するとき、その原因は彼の脳に生じた小さな腫瘍だったなんてことも多い。
意識とは、なんて不確かで、無力なものなのだろう。そこで疑問が湧く。そもそも意識はなぜ存在しているのだろうか?そして、あるヒトがした行為の責任は誰がとるべきなのか(果たして自由意志や、それに基づく有責性は成立するだろうか)?
まず前者については、「意識は会社のCEOのようなものだろう」と筆者は述べている。つまり、私たちは確かに自動化されたルーチンの集合体ではあるが、意識があることでそれらを制御・あるいは高いレベルの方向性を定めることができる。ルーチンだけで対処できるに越したことはないが、ひとたび予想外の事態に遭遇したとき、意識があれば柔軟に行動を変え適切に対処することができるというわけだ。
後者については、脳は単なる化学反応の場でしかなく、自由意志などは入り込む余地などないという立場を筆者はとっている。現在の法制度では、障害を持ったヒトが罪を犯した場合、責任能力なしとして無罪となる。しかし、そもそもどんな犯罪であれその原因が(それがたとえ現在の技術で検出できないほど微小なものであっても)脳の何等かの損傷によるものではないと言い切れないのであれば、そのヒトに責任を問うことに妥当性はどれほどあるのだろう。罪に対する罰は、報復のためではなく、あくまで脳を正常な状態(あるいは以前の状態)に修正するための「治療」として行わなければならないことになる。
分野としては脳科学に該当するのだろうが、ここまでくるとかなり哲学的になってくる。本のテーマ自体はまぁ正直よくある感じだが、後半の有責性と更生に関する議論はなかなか類書では見ない興味深いものに思った。
1 僕の頭のなかに誰かがいる、でもそれは僕じゃない
2 五感の証言-経験とは本当はどんなふうなのか
3 脳と心の隙間に注意
4 考えられる考えの種類
5 脳はライバルからなるチーム
6 非難に値するかどうかを問うことが、なぜ的外れなのか
7 君主制後の世界詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「我思う故に我あり」は、ある一面でのみ正しいと言えるということがよくわかりました。
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脳科学の視点から無意識について書かれている本です。意識しているようで意識が難しいこと、意思決定しているようでできていないこと、たくさんあるんだなと改めて思いました。
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「無意識にアプローチしよう」的な自己啓発本に疑問を抱いたら是非ご一読を。
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思索
サイエンス -
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mmsn01-
【要約】
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【ノート】
・これも確かfboard。 -
脳にはさまざまな独立したサブプログラムが多数稼動している。そしてほとんどの時は自動的にそのサブプログラムが処理を行ってくれている。意識はそのサブプログラムにアクセスすることもしない。いやアクセスできないといった方がいいかもしれない。どうしても調停が必要なときや、緊急事態が発生ししたときに意識は呼び出される。意識は自分が脳の主人公と思っているが、実際には多数のサブプログラムの上に乗っかっているひとつのプログラムであるようだ。
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自己や意識の問題に、哲学ではなく、脳科学的にアプローチした書籍。自己の不確実性から、話が刑事罰の妥当性にまで発展するのは興味深い。