- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152095985
作品紹介・あらすじ
十二歳のときに大都市イスタンブルにやってきたメヴルトは、伝統的な飲料ボザを売り歩きながら、恋をし、家族を作り、成功を夢見るが……『わたしの名は赤』のノーベル賞作家の最新作。
感想・レビュー・書評
-
文学
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
上下巻ともに読了。
一目惚れ、まさに人目見ただけで惚れて駆け落ちした女性が別人だった!という強烈な「違和感」で始まる、冒頭のつかみはOKだ。そのままぐいぐいと物語に引き込まれる。
主人公メルヴトの妻や家族をめぐる人生の物語であると共に、彼が生涯行商を続け下町の路地を歩くイスタンブール、近代化が進み人口が増え急激に変わり行く街の物語でもある。パムクの、隅々まで緻密な物語の構成は今回も見事だ。トルコの宗教、人種、文化が生き生きと描かれている。トルコでは、宗教的金銭的理由から、「駆け落ち」は結婚のためのよくある手段、なるほどなあ。
パムクは架空のイスラム過激派のテロが起きる政治的小説「雪」を書いた。現実にいま、トルコではテロが起きている。先日映画「裸足の季節」を見たが、トルコの女性の不自由さ、見合い結婚がテーマになっていた。そして本書。フィクションと現実がすべて地続きになっている。それは卓越したストーリーテラーであるパムクの透徹した視点ゆえであろう。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784152095985 -
東西文明の十字路イスタンブルを舞台に、ある行商人の半生を描きながらトルコの現代史を点綴する、ノーベル賞作家オルハン・パムクの最新長篇小説。出だしこそ主題をはっきりさせるため、物語の中盤あたりから書き出されているが、主人公の人生を決定する駆け落ちのくだりを語り終えると、話者は時間を戻し、主人公メヴルトの少年時代から語りはじめ、物語はひとりメヴルトに限ることなくその係累、親戚縁者をはじめ、友人知人にいたる多くの人の口を借りて紡がれる。
その語り口は、現代小説というよりも一昔前の大衆的な読物を思わせるとっつきやすさで、上下二巻に及ぶ大長編であるにもかかわらず、一気に読みきってしまう。また、主人公メヴルトの人物像が、誰にも愛される善良で朴訥な性格と、頑丈なくせに華奢な体躯にいとけない少年のような顔を持ち合わせた人物に設定されていることもあって、読者は身構えることなくやすやすと作品世界に入っていける。トルコ風の人名地名こそなじみがうすいが、出てくる人物は誰もかれも少し前の日本のどこにでもいそうな等身大の人物ばかり。
目次のすぐあとに登場人物一族の家系図が見開きいっぱいに記され、下巻巻末には登場人物索引も付されている。この人物相関関係こそが小説の眼目だからだ。主人公の父ムスタファとその兄ハサンは姉妹を妻に娶り、メヴルトにはハサンの息子であるコルクトとスレイマンという従兄弟がいる。トルコの中央アナトリアにあるコンヤ県からイスタンブルに出てきた一族は担ぎ棒を肩に担いでヨーグルトや伝統的飲料ボザを売り歩く仕事を生業としていた。父と伯父はイスタンブルの端に位置する国有地の丘に一夜建てと呼ばれる粗末な家を建てることで、土地を事実上所有する。
その後家族の多い伯父一家は別の丘に移るが、それを契機に土地の所有をめぐり父と伯父の関係はぎくしゃくしたものとなる。ひとつには、行商をやめたハサンが雑貨商を経営し、その息子たちも地域の顔役の手伝いをしながら少しずつ裕福になっていくのに比べ、妻を故郷に残し長男だけ連れて首都に出たムスタファは、故郷の人々が生業としている伝統的な行商に執着し、兄のように時流に乗れなかったことを口惜しく思っていたのだ。
コルクトの披露宴の席上、花嫁ヴェディハの妹と目が会い、その瞳の美しさに運命の出会いを感じたメヴルトは、まだ十三歳の少女に手紙を書き続ける。四年後二人は駆け落ちを決行することになるが、メヴルトが手紙を書いていた相手は当の少女の姉のライハで、美しい瞳の持ち主は末娘のサミハの方だったのだ。題名の『僕の違和感』は、駆け落ちの夜、闇夜を照らす稲光ではじめて未来の妻の顔を見たメヴルトが抱いた思いからきている。
手紙のやりとりや駆け落ちの手助けをしてくれたスレイマンは、以前からサミハに思いを寄せていたが、姉が片付かないと妹も嫁にいけないと考え、姉のライハを従兄弟のメヴルトに嫁がせようと仕組んだのだった。仲のこじれた両家の間で、三姉妹の嫁取り競争が演じられることになる。これだけでも十分喜劇的な設定だが、これにトルコという国家の歴史が重なってくる。
建国の父アタチュルクによって脱イスラム色を強めたトルコ共和国だったが、その内実は脱イスラム的な左派世俗主義からイスラム擁護的な右派民族主義を奉じる集団まで様々なイデオロギー的確執を含んでいた。一例をあげれば、メヴルトの中学生時代からの親友フェルハトは、アレヴィー教徒のクルド人一家の息子で世俗主義を奉じる左派。従兄弟のコルクトやスレイマンは、右派民族主義に属している。メヴルトは親友のフェルハトと共に左翼のポスター貼りを手伝ったかと思うと、まだ糊も乾かないその上に、黒いペンキで右派のスローガンを書くなど、文字通り右往左往する。(下巻に続く)