- Amazon.co.jp ・本 (128ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152099457
作品紹介・あらすじ
2020年2月から3月のイタリア、ローマ。200万部のベストセラーと物理学博士号をもつ小説家、パオロ・ジョルダーノにもたらされた空白は、1冊の傑作を生みだした。生まれもった科学的な姿勢と、全世界的な抑圧の中の静かな情熱が綾をなす、私たちがこれから生きなくてはならない、コロナウイルス時代の文学。
感想・レビュー・書評
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ジョルダーノがこの世界的に有名なエッセイを書き始めたのは、中国の感染者が8万人を超え、イタリアは未だ感染者数百人の段階だった。2020年2月29日のことである。しかし、科学者であり文学者でもあるジョルダーノの危機意識は高く、その透徹した眼は、その後のイタリアや世界の混乱を予測していた。
本書は予約してやっと8ヶ月目に手に取った。お陰で、私はジョルダーノの目線から一挙に1年後、2021年3月にワープした。俯瞰して彼の言説を読むことができる。
予言の的中やコロナウィルスの分かりやすい説明部分は省略する。私は未来の話をしたい。
ジョルダーノは、我々には「誰ひとりとして逃れることの許されない責任」があると言う。どんな仙人生活を送っていようとも逃れることができないだろう、という。
それは分かっていたけど、非常に重い認識だ。でも、コロナが去れば、新しい可能性も広がる。ふと思い出したのは、深夜のテレビ番組で見た、1人のツテを5人辿れば世界のどんな有名な人とも繋がれるという企画だ。そうか、コロナはこれも証明して見せたのか!5人いれば、イタリアのウィルスは僕の手元のマグカップまでやってくることは可能だ。
‥‥「誰もひとつの島ではない」
私の書評は、時に著者自身の眼に届く事がある。年に2回以上は起きるようになった。こんなこと、10年前にはなかった事だし、20年前にAmazonが日本でレビュー掲載を始めたころには思いつきもしなかった事だった。
私たちは繋がれる。いい事だけじゃない。コロナは最悪の事態だし、新しいファシズムの条件でもあるだろう。でも、私たちは繋がれるんだ。
例えば、ジョルダーノは言う。
専門家は口々に別なことを言った。(略)今回の流行で僕たちは科学に失望した。確かな答えが欲しかったのに。(略)(でも)実は科学とは昔からそういうものだった。
←確かにそうだった!科学は万能じゃない。いつも正しいわけじゃない。でもそうやって繋がって口々に言い合って少しずつできる事が増えてきたんだ。
例えば、ジョルダーノは言う。
フランスのマクロン大統領が「戦争」という言葉を使ったらしい。他のジャーナリスト、コメンテーター、医師までも使い出したらしい。私の国でも、遂には隣のおばあちゃんが「戦時のようなものだ」と言ったのを覚えている。ジョルダーノは、それは「恣意的な言葉遊びを利用した詐欺だ」と断罪した。彼の言葉は瞬く間に広がり、その後鳴りを潜めた。あのトランプさえ選挙戦で使わなかったと思う。言葉の力は、繋がる力であり、恐ろしい。そして、素晴らしい。
例えば、ジョルダーノは言う。
「僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは」(108p)
そうだった。地球の凡ゆるところが病室だ。僕らは、小さな看護師になって、ベッドのそばでひとつひとつメモしておかねばならない。次のカンファレンスに活かしてもらうために。
例えば、ジョルダーノは言う。
「僕は忘れたくはない。政治家のおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。」「僕は忘れたくはない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを」
僕は忘れたくはない。
半年休会していたサークルの例会が、オンラインで繋がった時のことを。
僕は忘れたくはない。
いつも遠くて欠席していた会議が、オンラインで繋がった時のことを。
僕は忘れたくはない。
100メートル先に感染者が出現した時に、みんな不安な顔をしながら、やるべき事をしていたことを。
2021年3月10日読了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
レビューを拝見して読みたくなった本です。ありがとうございます。
この本を読んで、コロナとの戦いはまだ始まったばかりで、この先いつ終わるのかとため息がでましたが、戦い方に関しては、これからまた、どなたか、優れた著作を書いてくださる方は現れると思います。
ですが、この本が緊急出版された意義は大きいと思います。
この本の著者はトリノ大学で物理学を学んだのち、2008年に小説『素数のための孤独』で文壇デビュー、25歳でイタリアの最高峰の文学賞であるストレーガ賞受賞。
この本は2020年の2月29日から3月4日までの日々の記録をエッセイとしてまとめたものだそうです。
感染症の仕組みを「ビリヤードの球の衝突」といった身近でわかりやすい比喩を用いて解説しています。
感染症のスピードは「アールノート」という記号で示され、その数字が1より大きければ流行の始まりを意味するそうです。
新型コロナの場合「アールノート」は2.5ぐらいではないかということです。ただし「アールノート」は変化しうるそうです。
彼は新型コロナが人間に伝染したそもそものきっかけには、環境破壊や温暖化といった現代人の生活スタイルが生んだ問題があるはずだと訴え、わたしたちが今のような生活を続けている限りは、流行が終息したとしても、必ず新しい感染症の流行が何度も訪れるはずだろうと予測しています。
今、始まったばかりの「コロナの時代」をわたしたちがこれからどう生きていきたいのかを、まずは自分ひとりで、そしてできればいつかみんなで一緒に考えてみよう、というジェルダーノのメッツセージでもあるそうです。
家にこもって過ごす時間の増えた隔離の日々を思索のための貴重な機会ととらえ、あとで忘れてしまわぬよう、この苦しい時間が無駄にならぬよう、「元どおりに戻ってほしくないもの」リストを今のうちに作っておこうと呼びかけています。
なお、著者はこの本の印税収入の一部を医療研究および感染者の治療に従事する人々に寄付するそうです。 -
考えらせられる。
イタリア人の著者が、新型コロナウイルス感染症に関して書いたエッセイ。
著者は、
ー 感染症の流行は、集団のメンバーとしての自覚を持てと僕たちに促す
という。
そして、
ー 感染症流行時に助け合いの精神がない者には、何よりもまず想像力が欠けているのだ。
と、ばっさり。
なぜなら、
ー ひとりひとりの行動の積み重ねが全体に与えうる効果は、ばらばらな効果の単なる合計とは別物
だから。
「自分は大丈夫だから」とか言う人の無責任さったらないよね、ということ。もしかしたら、知らず知らずのうちにコロナウイルスのスーパースプレッダーになってるかもしれないのに。
水沢アリーが言うとおり、「もう自分はコロナなんだ」という行動がそろそろ求められている。
今は人として生きることを試されている時なんだ、と改めて思い知らされた。
そして、
ー この大きな苦しみが無意味に過ぎ去ることを許してはいけない。
肝に銘じよう。
評価が3点なのは短いから。
もう少し読んでいたかった。 -
本書は、新型コロナウイルスがイタリア国内で大規模な広がりを見せ始めた2020年2月29日から3月4日までの5日間に綴られたエッセイです。
著者は素粒子物理学の博士号を持つ作家で、コロナ禍が拡大する世界を冷静に、研究者の目線で見ていることが文章から伝わってきます。
無駄のない言葉で記録された、自身の周りのこと、社会の動き、メディアの報道、人々の様子…。
著者の地に足の着いた文章を読んでいると、自分の中にわだかまる漠然とした不安や不満の熱が、少しずつ冷めていく感じがしました。
著者あとがきとして掲載された「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」という文章にこめられた静かな熱量に心を打たれました。
「僕は忘れたくない」と繰り返しながら綴られた内容は、決してイタリアだけの話ではないと思います。
将来このパンデミックが「喉元過ぎれば…」とならないよう、各々が考えることが大切であるという呼びかけに身が引き締まりました。
この先、コロナウイルスに対して気が緩みそうになったとき、油断するなと自分を戒めてくれる1冊になると思いました。
図書館で借りたけれど、うちの本棚にも置きたいな。 -
2月29日から3月4日までのエッセイは、淡々としていて、「さすが、理系の作家だなー」と新鮮な気持ちで楽しく読みました。
でも、日本語版に特別に掲載が許可された「コロナウィルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、「イタリアの死者は中国のそれを超えた」段階であったせいか、著者の不安な気持ちが伝わってきた感じ。
訳者飯田亮介さんは、いくつかジョルダーノの翻訳をしてきたので、「こんなにも熱い文章を書けるひとだったのか、といい意味で驚かされた」と訳者あとがきで述べています。
振り返るとこの半年は今までに無いいろいろな体験をし、自分の考え方や気持ちも大きく変わってきました。
いままで考えたことのなかったいろんなことについて、真剣に考えることが多くありました。
たとえば上の時期「なんで北イタリアに多いんだろう」と。もし自分が北イタリアにいたら、不安でたまらなかったでしょう。
今は日本でホスト系に感染者が多いときいて、自分行ったことないので、どんなことをするんだろう?この業界は今後どうなるんだろう?もしホストクラブが無くなったら、ホストをしていた人や利用者はどこに流れるんだろう?そういえば大騒ぎしていたパチンコ屋には何の問題もなかったのか?など、考えています。
閑話休題、この時期のイタリア人のエッセイを読めたのはとても良かった。
訳者飯田さんは、日大で中国語を学んだあと中国留学、いまはイタリアでイタリア文学翻訳をしているそうです。すごい。
だからでしょう、とても読みやすいエッセイでした。 -
簡潔で読みやすい。そして、臨場感がある。数理疫学的基盤に基づき、人間心理の弱さと偏りを暴く。その弱さを直視・意識し、過ちを繰り返さず、新たな時代を作るために著者は「書き記す」という戦いを起こした。古典になり得る、貴重な文章である。
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ヒステリックに感染者数の報道に反応してしまう方や、コロナ鬱に陥っている方におすすめします。じっくり読んでも3時間もあれば読み通すことができ、読み終わったあとには、読んだ人それぞれに合った何らかの指針が胸の中に見つかるんじゃないか?と思います。
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コロナについて書かれたエッセイと言うことで、気になって買ってみた。筆者はイタリア在住のエッセイストと言うことで、その点も気になってはいた。
エッセイを読み始めてまず感じた事は、コロナが始まってまだ2年しか経っていないと言うのにこれが始まった当初のことがすごく懐かしく思えたことだ。 それだけ、このエッセイはコロナ当初の空気感をよく切り取って表現している。
ただ文章全体がエモいのではなく、筆者の趣味として数学があるからか、文章にはどこか理系的というかロジカルな雰囲気を感じた。
印象に残ったのは、人間の視点ではなくウィルスの視点で世界を見てみること。
人間による自然破壊の結果、ウィルスが自然の中から人間の社会へと漏れ出してしまうこと。 世界人口が増えたことで、これまで食べなかったような動物を食べ始めた結果、温存されていたウィルスを人間側に取り込んでしまうこと。
そもそも現在の地球において人間ほど数が多く活発に移動している動物は他にいない。 ウィルスのキャリアとしてはこれほど適した生物は他にいない、という視点もよく理解できた。
それから、あとがきでの筆者の想いも読み応えがある。この世界的な感染症が終わってしまって、世界が全く元通りに戻っていいのか、と言う疑問の投げかけは僕らがよく考えるべきことだと思う。
コロナ初期の世界の空気感を改めて味わえる点、 ウィルスに関して新しい示唆を得られる点など、意義深さを持つエッセイだった。 -
イタリア人の作者による、
2月25日から3月半ばまでにイタリアの新聞に寄稿したもの。
感染症とは何か。
ウィルスとは何か。
そして、コロナ蔓延下での自粛で思うことなど、
イタリア人によるイタリア国内の話だけれど
それは日本の今の状況と心理的にも社会的にも
あまり変わらない物なのではないか。
感染症の拡がりは、自然をも制御できるという
人間のおごりの気持ちから起こり、
にも関わらずよく調べもせずにネットで拡散されたものが
容易く拡がり混乱と不安を招く。
感染というのはどういうことなのか
数学的理性的に説明しながら
精神的な分析も同時に行う。
一つ一つは短いエッセイながら
良い本だなぁと思った。
特に、最後の著者あとがき
「コロナウィルスが過ぎた後も、僕が忘れたくないこと」
は問題や災害が起こって通り過ぎた後、
すぐに忘れてしまう我々に警鐘を鳴らしていて
これだけでも読む価値ありだと思う。
今、何もできずに家にいる間に、
あとのことを考えておこう。
「まさかの事態」に二度と不意を突かれないように。
ほんと、それ。 -
早川書房の緊急全文公開で読んだ。今この状況で読んでて恐いところもあったが、読んでよかった。気を緩めてはいけない。巷の、真も偽も含んだ情報や、不安に駆られた発言、普段そんなこと言わない人なのになあという人のよくわからない発言などに惑わされてはいけない、と自分を戒める。平時の歪みが出ている今、正しく怖がり、何が大事なのか我が身を問いたい。そして忘れていけない。